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日本人がメタバースの勝者になりえる3つの強み

優秀な頭脳と技術を持った人が作っていたソシャゲ

僕が育った平成の30年間は、日本にとっては間違いなく暗黒時代だった。

GDPは横ばい、名目賃金上昇率はなんとマイナスだ。Made in Japanの栄光は見る影もなく、グローバルでは、IT産業における日本企業の存在感はないに等しいというのが現実だ。

しかし、令和になって以降、この国の変化への意志に希望を持っている。そしてメタバースが今の日本の状況を打破するきっかけになる──そう僕は信じている。

その理由をこれから述べていこう。

①ゲーム産業のスキルセットを転用できる

日本は世界的に見てもゲームに強みを発揮してきた国だ。2010年代はスマホ全盛の時代だった。スマホの時代に日本のIT産業は何をしていたかと言うと、ソシャゲ(ソーシャルゲーム)を作っていた。

 

その間に、海外では民宿のシェアリングサービスのAirbnb(エアビーアンドビー)やタクシー代わりにクルマとドライバーを配車するUber(ウーバー)が生まれ世界を席巻している。どちらのサービスもアメリカ発だ。基本的にスマホ時代を牽引するIT企業はアメリカと中国を中心に多数生まれた。

日本もメルカリやスマートニュースがグローバルで戦っている。しかし、グローバルに挑戦したい、グローバルに世の中をよくしようというスタートアップ企業の絶対数がまだまだ少ない。

過去10年を振り返って日本にとって痛かったのは、IT産業に集まった優秀な頭脳と技術を持った人たちが高い給料をもらいながら作ったのがソシャゲだったことだ。ドメスティックな価値しか持たないガチャを設計していた。これが日本の現実だ。ふたを開けてみたら、この10年間で世界的に使われている日本のスマホアプリは何ですか? という問いに1つもあがって来ないという結果に終わった。

でも逆に言えば、これからが逆襲のチャンスだと僕は考えている。

ソシャゲ作りの経験がそのまま生きる

スマホ向けにゲームを作っていた人材のスキルセットは、実はメタバースを作るのに使えるからだ。ゲームエンジンを駆使し、キャラクターを量産し、演出を作る。その経験が生きてくるのである。しかも3Dコンテンツを、スマホというスペック的にシビアなデバイスの上で作っているのだ。快適な体験が重要なメタバースにおいてそのチューニングにかけた経験はとても貴重だ。

一方、シリコンバレーはこれからメタバース人材の不足にあえぐはずだ。フェイスブックはメタと改名し息巻いているが、メタバース産業を牽引している技術アセットはゲーム産業のものなので、スマホでネイティブアプリを作っていた開発者を転用しづらい。

日本では、かつては任天堂とセガが、現在は任天堂とソニーがゲームハードで戦っており、切磋琢磨しながら発展してきた。ゲームと言えば日本製みたいな時代があった。そのおかげで日本は今でもゲーム産業に足腰の強さがあり人材も豊富だ。

ゲームの人材がそのままメタバースに移動可能なのは、国として見るとすごくいい状況だ。市場が発展するにはヒト・モノ・カネの流入が重要だが、そのうちのヒトにおいて日本は圧倒的なアドバンテージを有しているのである。

②IPの強さ

日本はアニメ、マンガのようなバーチャルなカルチャーが極度に発達している。コンテンツやキャラクターのIP(知的財産)を多数持っていることは大きな強みだ。

しかも、アニメやマンガはまさに「バーチャル」だ。考えてみてほしいが、平面的な線だけで構成されている絵を見て人間だと認識できるのは不思議なことだ。しかし、それは人間なら誰でもデフォルトで持っている想像力であり、パターン認識能力だ。

「へのへのもへじ」を顔だと認識できる人間の脳はすばらしく、バーチャルな世界を受け入れる柔軟性がある。デフォルメされたものは、コンテンツの中にバーチャルならではの価値を持たせる効果も発揮する。

日本が今、世界に届けているのもゲーム・アニメ・マンガだ。日本のゲーム・アニメ・マンガはメディアミックスも盛んで、世界各国の人たちが日本産だと意識することなく摂取している。

このIPの強さと、マンガやアニメに誰もが子どもの頃に触れていたというカルチャーは、メタバース時代にふさわしいものだ。なぜならリアルなものをそのままバーチャルに持ち込むのは意味がないからだ。

日本人はSF作品『ドラえもん』を見て育った

僕らは物心ついた頃から『ドラえもん』を見て育っている。それはこれから迎えるメタバース時代を控えて、英才教育と言っていいものだ。日本で生まれ育った人は、4次元ポケットから何でも出てくるSF作品を子どもの頃から親しんでいる。『ドラえもん』という固有名詞が通じない日本人はいない。「タケコプター」や「どこでもドア」は一般常識だ。

SF的な概念とそれを表す言葉を共通言語として持つということ自体に価値がある。「メタバースではどこでもドアが簡単に作れます」と言っただけで即座にイメージがわくのはすばらしいことだ。

 

他にも『攻殻機動隊』や『ソードアート・オンライン』はメタバースのような概念を設定に用いており、海外でもよく引用される。細田守監督のアニメ映画『サマーウォーズ』や『竜とそばかすの姫』にもメタバース的な世界が登場する。こうした作品を日本語で楽しめるのは日本で生まれ育った者の特権だ。

こういったカルチャーを背景に、デジタルな身体を持っているバーチャルYouTuberが登場したと言える。バーチャルYouTuberが日本で爆発的に盛り上がったことに関して、われわれは誇りに思ったほうがいいと思う。最初のバーチャルビーイングスは日本で誕生したわけではないが、バーチャルYouTuberの人気が日本から始まり、世界に波及しているのはすごいことだ。世界に誇る日本のカルチャーだ。

メタバース時代に魂は遍在する

③魂が遍在する日本特有のカルチャー

3つ目は日本文化の中に古くからある考え方だ。

欧米や中国、韓国でもなく、日本でゲーム・アニメ・マンガが爆発的に発展したのは、この国の歴史と文化のたまものだと僕は思っている。

 

たとえば僕らは「モノに魂が宿る」ということを自然に受け入れている。日本人は岩や機械にも魂が宿ると考えてきた。モノを大切にしなさいという教育の根幹にあるのも、この魂が宿るという考え方だ。

さらに肝と言えるのが、1つのモノに複数の魂が宿ることを信じていることだ。2人で1人を演じる二人羽織に象徴される文化だ。同時に、同じ魂が複数の場所に遍在することも当たり前のように受け入れている。

神様は複数いて、同じ神様が別々の場所に同時に存在する。この考え方のオリジンは仏教にあるが、思想の中枢に取り入れ日本人ならではの形にアレンジし、常に柔軟に世界と向き合ってきた。一神教文化に比べて宗教的な縛りもゆるい。

こうした日本人のカルチャーとメンタリティは、バーチャルな思考ととても相性が良い。なぜならメタバース時代においては、魂は遍在するからだ。人間の身体1つに魂が1つという考え方を取り払う必要がある。

メタバースにおいて、単純に物理世界をバーチャルにコピーするのではなく、物理的条件にとらわれないコンテンツ作りをめざす際に、日本特有の文化がプラスに働くはずである。