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賃金が上がらないのに「値上げ」日本の絶望未来

国民目線の「良いインフレ」

2021年後半から日本でもインフレの話題をSNS上で目にする機会が増えた。私を含めて、経済の専門家や投資家たちは眼前のインフレに対して、需要が物価を牽引する「デマンドプル型のインフレ」や、原材料高による物価上昇を指す「コストプッシュ型のインフレ」など、インフレの性質について議論をしていた。

メディアも「良いインフレ」や「悪いインフレ」といったもう少しわかりやすい表現を使い、昨今ではついにスタグフレーションという言葉も頻繁に取り上げられるようになった。

インフレについての議論が活発に行われることは結構だが、決して忘れてはいけないのは「国民目線」だ。家計からみれば、デマンドプル型であろうが、コストプッシュ型であろうが「悪いインフレ」でしかない。今日100円で買えたものが105円になれば、そのインフレの理由が何であれ、家計を圧迫するのだから。

国民目線で「良いインフレ」というものがあるとするのならば、賃金が上がって購買力が高まり、物価上昇率が賃金の上昇幅の中で収まっている場合であろう。そこで、先進各国の名目賃金がどのように推移してきたかをまとめた図がある。ドイツのデータが1991年からのため、1991年を100として指数化している。

グラフをみれば一目瞭然だが、日本の賃金だけがまったく上昇していない。この状況下でモノやサービスの値段だけが上昇すれば、国民の生活が厳しくなるのはいうまでもないだろう。

日本人の賃金が上がらないのは物価に敏感だからという指摘もある。たしかに、日本人の値上げへのアレルギーは尋常ではない。ステルス値上げすらも買い控えの理由になってしまうのだから。

「卵が先か、鶏が先か」

しかし、これは「卵が先か、鶏が先か」の議論に近く、そもそも長いこと賃金が上がらないからこそ、消費者が家計防衛のために値段に敏感になっているともいえる。その結果、値上げにシビアな消費者に対して値下げをすることで商品の魅力を訴求することを覚えた企業が、値下げをしても利益水準を保てるように人件費を抑えるべく非正規雇用の割合を増やし、投資を抑制するなどした。

そうすると就労環境が悪く、雇用環境も不安定な労働者が増える。それはつまり、値上げにシビアな消費者の数が増えていくことを意味するため、企業はさらに商品を値下げして売る……という負のスパイラルに突入したのだ。

これもまた「卵が先か、鶏が先か」の話になってしまうが、厚生労働省が発表した「厚生労働白書 令和2年版」に、日本が成長できなかった平成の30年間をまとめた表がある。その一部をみてみよう。

平成の30年間で高齢化率は12.1%から28.4%に高まり、出生数は125万人から87万人へと急減した。少子高齢化が進んだわけだ。未婚率も男女ともに高まり、平均世帯人員は減少した。30年間で賃金は上がらず、非正規雇用の割合は19.1%から38.3%まで高まれば、結婚をしたくてもしない、子どもが欲しくても作らない。そういった人が増えるのは自明の理だ。

世帯人数が増えれば水道光熱費は増えていくが、1人あたりで算出した場合は単身世帯が最も負担率が高くなる。低賃金で不安定な非正規雇用者が経済的な理由から単身生活を選択せざるをえない状況の中で、物価や水道光熱費だけが上昇すればどれほど生活が大変になるか? この30年間為政者のポストについていた者たちは想像したことはあるのだろうか。

いまだに終わりのみえないコロナ禍において、進行するインフレは格差拡大を加速させたと考えている。その理由を総務省のデータからみてみよう。

総務省は家計調査の中で支出を「基礎的支出」と「選択的支出」の2つに分類している。分類の定義は消費支出が1%増加した際の各品目の支出の伸び率(支出弾力性)が1未満であれば基礎的支出、1以上であれば選択的支出項目というものだ。少し難しいと思うので、もう少しくだけた表現を使えば、基礎的支出は生活必需品、選択的支出は奢侈品(ぜいたく品)と置き換えてもよいだろう。

総務省が発表している消費者物価指数では、この2つの品目の物価データも取得可能なので、グラフにしたものが下図だ。

2021年から生活必需品の価格が上昇

2021年から生活必需品の価格が上昇しているのがわかるだろう。ぜいたく品は高ければ買い控えても生活に影響はないが、生活必需品は価格が上昇したからといって買わないという選択ができない。

分析対象として重なる部分もあると考えるが、総務省が発表している購入頻度別品目の物価推移をグラフにしたものが下図だ。

頻繁に購入するものは生活必需品と重なっている品目が多いと推察するが、頻繁に購入するということは、それだけ値上げを実感する回数が多いということだ。

生活必需品の価格が上昇すると、低所得者ほどその影響を受ける。総務省が発表している家計調査において、消費支出に占める生活必需品の割合を年収別に表したものが下図だ。

ここでいう生活必需品は食料、住居、水道光熱費、被服および履物、保健医療、交通・通信と生活に欠かせないものを用いている。

賃金が上昇しない中、海外から入国した安い労働力と時給ベースで安値競争を強いられ、非正規雇用という不安定な雇用条件を突きつけられている国民が増えるわが国において、生活必需品の価格が上昇していくことは、低所得者たちをどん底に追いやってしまうことを意味する。

コロナ禍で消費はどのように変化したのか?

クレジットカードの決済情報を基にJCBとナウキャスト社が算出している、消費動向指数「JCB消費NOW」のデータを用いて、実際にコロナ禍における消費はどの品目で強く、どの品目で弱かったのかをみてみよう。

 

やはり、生きていくうえで不可欠な飲食料品、水道光熱費、医療といった支出はコロナ禍であっても減っていない。むしろ通院する機会が増えて医療への支出は増え、リモートワークなどで在宅する時間が増えたことで、水道光熱費やデリバリーの利用が増えて関連支出も増えたことがわかる。

一方で、娯楽、外食、宿泊、旅行といった余暇としての支出は大幅に減っている。低所得者からすれば、そもそも生活必需品に対する支出でほとんどの収入を使ってしまうため、コロナ禍で使うお金が減ったという印象はないだろう。

かたや富裕層からすれば、平時では旅行に行ったり、高価な外食を楽しんでいたのに、コロナ禍でそれらに支出することができなくなったため、コロナ禍ではむしろ現金・預金といった資産が増えた。いわゆる強制貯蓄が発生したのだ。

そこで、多くの富裕層は使わなかったお金を株式市場、仮想通貨、不動産市場に投入したが、それらの市場は各国政府、中央銀行による異次元の金融緩和や財政出動によって支えられて堅調な値動きとなっていたため、出費が減ってお金が貯まり、さらに投資で増えるという好循環が発生した。

その結果、コロナ禍におけるインフレは格差拡大を加速させてしまったわけだ。