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これまでとまったく違うヤバい円安が起きている

円安はヤバい。

このままでは、日本経済は破綻への道をまっしぐらだ。

これまでとまったく違う円安が起きたワケ

3月28日、為替は一時1ドル=125円を突破した。これは、10年物国債利回りが0.25%に上昇したため、日銀は複数日にまたがって国債を決まった利回りで無制限に買い入れる連続指し値オペを初めて実施すると発表したことによる。つまり、日銀は、長期金利を抑え込む姿勢を鮮明にし、為替トレーダーは、アメリカ中央銀行であるFEDとの方向性の違いが改めて鮮明になったことを嫌ったのだ。

29日、岸田文雄首相は原油価格・物価高騰への総合緊急対策を4月末までに取りまとめるよう関係閣僚に指示した。そして、30日には、官邸に黒田東彦総裁が呼ばれ、岸田首相と1時間会談した。これを受けて、円は1ドル=121円台まで戻した。

わざわざ誰もが知っているこの数日の円の大幅下落と乱高下を改めて描写したのは、今回の円の大幅下落は、これまでの円安局面とまったく違うことを改めて示すためである。

それは、ほぼすべての日本の人々が、円安を悪いことだと思っているということだ。政治家たちまでもが、円安を止めるために躍起になっているのだ。これは画期的だ。

そして、さらに驚くべきことは、その中で、日銀だけが円安を指向しているということだ。これは、日本の戦後において初めての状況であり、まさに歴史的転換点なのである。

さらに、さらに、最悪なのは、これはあるべき姿の正反対であることである。つまり、本来あるべき姿=通貨の番人たる一国の中央銀行にとってもっと重要なことは、自国通貨価値を維持すること、守ることであり、通貨価値を安易に毀損しようとする政治的勢力と戦い、通貨を「ポピュリストたち、経済を理解していない人々」から守り、価値を死守することが、唯一最大の役割なのである。

そのために、中央銀行の政治的独立性が重要なのであり、日本銀行も独立性を獲得するために、悲願だった日銀法の改正を21世紀に入る寸前、1997年になってようやく達成したのである。

「通貨の番人」が自ら通貨価値を下落させようとした

それにもかかわらず、皮肉なことに、日銀自らが通貨価値を下落させることに躍起になり、政治家たちがそれを止めようとしているのである。これがこの世の終わり、日本経済の終わりでなくて何であろうか。

これがヤバいことは、経済の素人にも一目瞭然である。具体例も目の前にある。ロシアのウクライナ侵攻が起こる前の世界のリスクといえば、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の「ご乱心」によって「トルコリラの暴落を止めるため」などと称して、中央銀行に金利を下げさせて、暴落が大暴落を呼んでいたことだった。

つまり、トルコの破綻が新興国の通貨市場、金融市場に波及することを恐れていたのであった。通貨価値が下落するとどれだけ悲惨になるかということは、トルコ経済を見ればわかる。さらに、ロシアもルーブルが暴落し、この防止が最優先で、ウラジーミル・プーチン大統領は、原油や天然ガスの支払いにルーブルを強制しようとしたが、これもルーブルの価値を回復するためであった。

そもそも、自国通貨は強いほうが良い。これは、経済学においては、はっきりと成立している。そして、実際の経済においても、明白だ。短期的な雇用維持、あるいは目先の需要喚起として、一時的には自国通貨が弱いことのメリットがある場合があるが、それを続けていれば、国富が目減りし、経済は衰退する。これは、「日銀は庶民が苦しむ円安政策をすぐ変更すべきだ」でも書いた通りだ。

しかし、事態はより深刻である。本当にヤバいのである。

の理由は、冒頭で述べたように、日銀が、あえて円安が進むような金融政策をとったからである。無制限指値オペの連日の実行だけでなく、それ以外の通常の国債買い入れを倍増させ、さらに、イールドカーブコントロール政策で明示的に約束している10年物の国債だけでなく、それ以上の満期、20年物などの超長期債までも、買い入れの予定になかったにもかかわらず、急遽買い入れを行ったのである。

日銀だけがあえて円安を指向した

これは、大事件だ。

これを行えば、円が急落することは当然予想されたはずである。しかし、それでもあえて行ったのである。しかも、明示的にコミットしている10年国債金利0.25%を死守するだけでなく、それ以上の期間の金利をも低下させようと、積極的にサプライズを起こした買い入れを行ったのである。
これは、大事件どころか、「大大大事件」である。

なぜ、こんなことを日銀が行ったのか。

日銀は、これまでも金融政策に失敗したことは何度かある。もっとも大きなものは、1985年のプラザ合意後の急激な円高に対して、金融緩和を継続したことである。この結果、国内不動産市場、株式市場、そして実体経済にも、日本の歴史上最大のバブルに拍車をかけることになった。これは、円高不況と言われ、政治的に「何がなんでも円高を止めろ」、という政治の圧力に抵抗できなかったからである。

これは失敗だが、当時としてみれば仕方がない面もあり、理解できる。しかし、今回は、政治的な圧力は逆方向なのである。輸入価格の高騰による物価高を抑える、そのために円安はなんとしても抑える、という政治的圧力なのである。しかし、それに抵抗して、円安を指向したのである。しかも孤軍奮闘して、日本銀行だけが円安をあえて指向したのである。

政治的圧力もなく、メディアの圧力もない。世論はもちろん輸入価格上昇を抑え、物価高を回避してほしい。それでも日銀が円安を指向したのはなぜか。

黒田総裁が、円安指向であるのは事実である。だが、現在の状況では必ずしも円安が良いとは言えないことは、記者会見で彼がどう答弁しようが、わかっていないはずはない。メディアは安直に日銀、黒田総裁を批判するが、彼らはプロ中のプロ、セントラルバンカーである。一般メディアにわかることがわからないはずはない。

では、いったいなぜなんだ?

中央銀行としての信頼性を失わないための行動

それは、おそらく、中央銀行としての信頼性を失わないためだったと思われる。金融政策の方針として明示している10年物国債金利の変動幅の上限0.25%を死守しなければ、日本銀行の政策、日本銀行が今後打ち出す政策に対する信頼が失われてしまい、金融政策による金融市場のコントロールが利かなくなることを恐れたためだと思われる。

セントラルバンクとしては、それは最悪のシナリオだ。金融政策が効かない、中央銀行の政策コミットメントが信用されない、それは大事件どころではなく、中央銀行の終わり、日本経済の終わりである。

だから、それはなんとしても回避しなくてはいけない。物価目標どころの騒ぎではないのである。だから、インフレ率2%が達成されなくても、彼らはそれほど気にしていないが、イールドカーブコントロールという金融政策として明示したことを自ら放棄する姿勢は許されない。そんなことをしたら、もっとも危険なシナリオを招くと考えたと思われる。

実際に、それに近い例はある。豪州中央銀行のイールドカーブコントロールターゲットの放棄事件である。同国の中銀は、3年物の国債利回りのターゲットを0.1%に設定していたが、2021年10月末には0.2%を突破した。中銀はそれを放置し、一時は一気に0.5%を超える水準まで上昇したのである。そして、その後、豪州中銀は、イールドカーブコントロールを撤廃し、事後的に、市場の暴落を追認したのである。つまり、市場に従わざるをえなくなったのである。

日本銀行は、このシナリオを一番恐れているはずだ。日本国債市場で豪州と同じことが起きれば、その影響は次元が異なる。国債市場の規模も違うし、日本銀行が抱えている国債の金額はまさに桁違いであるからである。

したがって、私は、日銀のとった行動を批判する気はない。むしろ同情する。しかし、だからこそ、日本国債市場は危機であり、「ほぼ終わり」なのである。

日銀は、為替暴落を放置してでも、自らの政策コミットメントを守らなくてはいけない。しかし、国民も政治家も、そして何より経済実態そのものが、それを望んではいない。そして、日銀は、それをわかっていながら、この矛盾を解決できず、むしろ、矛盾を拡大するような、為替暴落放置、もはや望ましくない国債金利コミットメント、イールドカーブコミットメントを死守しないといけないのである。将棋や囲碁、チェスなどのゲームで言えば「詰んだ状態」になってしまったのである。

デフレマインドに支配されているのは日銀だけ

この責任は、私は、メディア、そして有識者、エコノミストにあると思う。彼らは、日銀が物価目標2%を達成できないことをつねに責め立て、経済状況がどうであろうと、景気が過熱しようが、株式市場がバブルになろうが、2%が達成できないのだから追加緩和をしろ、と迫り続けた。

そして、最近では、失敗を認めろ、責任を取れ、と非難していた。この結果、まじめで誠実な日銀は身動きが取れなくなってしまい、出口に向かうことができなくなってしまったのである。

そのくせ、ここにきて、それらをすっかり忘れてしまったのか、「インフレをどうする、円安をどうする、アメリカは利上げしているのにしないのか」と、まさに180度手のひらを返して正反対の批判を行っているのである。

デフレマインドと戦っていた日銀は、いつの間にか、世の中からデフレという言葉は跡形もなく消え去り、日銀のコミットメント(約束)の中にだけ残ってしまったのである。

いまや、デフレマインドに支配されているのは、世の中で、日銀だけになってしまったのである。そして、もちろん、投資家、市場関係者も自己利益だけで、株価が上がればよい、国債トレード、日銀トレードで儲かればよい、ということだけで、意に沿わないときは日銀を批判し、売り浴びせ、催促相場を作った。哀れな日銀である。

しかし、哀れんでばかりいても仕方がない。日銀はどうすればよいか。

複雑な状況、困難な状況では、開き直って、基本に戻るしかない。これまでの経緯、体面、評判、反応、攻撃、それらをすべて無視して(穏やかに言えば、目をつぶって)、今の日本経済にとって正しいこと、やるべきこと、そして長期的にもっとも正しいこと、最重要なことを、基本に忠実にやるしかない。

それは何か。

金融政策を直ちに正常化、通貨価値を守るべきとき

物価が上がってきたのだから、そして、失業率は低いのだから、異次元の金融緩和は終了する、正常化を行うのである。金融引き締めではなく、正常化をまず実行するのである。それなら、景気が今後悪くなる恐れがあっても、妥当な政策となる。緩和は続けながら、持続的に緩和を行うために、緊急事態対応の緩和から、通常の緩和にする、まさに正常化するだから、問題ない。

そして、通貨価値を守るのである。円安を回避し、妥当な為替水準を取り戻すのである。これも、意図的に円高にするために介入をするのとはまったく異なる。異次元緩和により、アンバランスな円安になっているのだから、実体経済に基づく妥当な為替水準に戻るように誘導するだけである。

堂々と、為替も物価も実体経済のファンダメンタルズを反映した妥当な水準になるように「金融政策を正常化します」、と宣言すればよいのである。

ここで、唯一の理論的な問題は、為替のファンダメンタルズとは何か、という問題である。

中央銀行は為替を意図して金融政策を行うことはタブーである。実際には、新興国や途上国は通貨防衛のために利上げを行うことがほとんどだが、少なくとも成熟国では、金融政策は国内景気および国内物価のための政策である。したがって、中央銀行、とりわけ日本銀行が「為替はファンダメンタルズを反映した水準で安定することが望ましい」、と言うときのファンダメンタルズとは、国内景気と物価である。

しかし、実際の為替相場は、国際間の金利差で動いている。為替トレーダーだけでなく、すべてのエコノミストが為替のファンダメンタルズというときには、金利(金利差)のことを指している。経常収支、貿易収支もファンダメンタルズに含まれるが、それはゆっくりそして予想された方向に動くので、為替の変動はほぼすべて金利の変動で決まる。

ここに、為替のファンダメンタルズの金融政策の理想と現実の差があるのである。したがって、日本銀行は、堂々と、金利差により、実体経済(リアルセクター)のファンダメンタルズから金融市場の都合(金融市場のファンダメンタルズ)で大きな乖離が生じてしまっている。PPP(購買力平価)を反映した貿易収支、経常収支のためのファンダメンタルズに戻すためには、金利差によって生じたひずみを是正する方向に為替が戻ることは望ましいことだという立場は取れるはずである(明示的に誘導するのではないとしても)。

したがって、為替のひずみを是正することにも資する、異次元の金融緩和の正常化、普通の金融緩和への移行は、正々堂々と、かつ至急行うべきなのである。すべての経済主体、そして政治主体までもが望んでいることなのであるから、何の障害もないのであり、直ちに行うべきなのである