「情報戦」でウクライナが圧倒的に優勢な理由

現地時間の2月24日、ロシアはウクライナへの侵攻を開始。ウクライナ東部2州への派兵を行い、さらに首都キエフを含めたウクライナ国内の軍事施設へのミサイル攻撃も始めた。執筆時点では、ロシアはウクライナ南東部にあるヨーロッパ最大規模の原子力発電所、ザポリージャ原子力発電所を掌握、東部の要衝マリウポリへの攻勢を強めている。

「ナラティブ」の発話数が急上昇

PRの専門家として見ると、この戦争での「情報の戦い」では、ウクライナのほうが有利と考えている。その理由として「ナラティブ(物語)」というキーワードを挙げたい。

日本語だけの調査ではあるが、ツールを使って独自にTwitter上での「ナラティブ」というワードの発話量を調査した。すると、「ナラティブ」の発話量がロシアによるウクライナ侵攻を機に急上昇しており、侵攻前と比べて平均で約9倍に膨れ上がっていることがわかった。

投稿の内容は、「ナラティブの積み重ねではウクライナの圧勝」「ウクライナのナラティブの醸成は完成している」等々。この傾向は日本だけではなく、国際的な報道にも見てとれる。

ナラティブとは「社会で共有される物語」のことだ。「ストーリー」が起承転結のフォーマットで一方的に語られるものであるのに対し、ナラティブは「共に紡ぐ」、つまり共創という特徴がある。

ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー教授もその著書『ナラティブ経済学(Narrative Economics)』の中で、「特定の物語が世の中で語られて人を動かす」と述べている。「ナラティブ」は今注目のキーワードなのだ。ウクライナでの戦争で「ナラティブ」という単語の発話が増えていることもそれを示唆している。

戦争における情報戦としてよく知られているものに、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争がある。1992年春から1995年末まで続いた旧ユーゴスラビアの民族紛争だ。旧ユーゴスラビア連邦からの独立を背景として、セルビアvs.ボスニア・ヘルツェゴビナ(以後、ボスニア)の戦いという構図になる。

ボスニア紛争での情報戦のポイントは、ボスニア政府が当初から紛争の「国際化(internationalize)」を考えていたことにある。それについては『ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』(高木 徹、講談社文庫)に詳しい。この本での解説を参考に、情報戦の全容をかいつまんで紹介しよう。

「世論を味方につけよ」というアドバイス

紛争を国際化する手段として、ボスニア政府はアメリカのPR会社、ルーダー・フィン社と契約する。担当は当時同社の国際政治局長だったジム・ハーフというすご腕のPR専門家だ。

というのも、当時のアメリカの国務長官、ジェームズ・ベーカーに次のようにアドバイスされたからだ。「西側の主要なメディアを使って欧米の世論を味方につけることが重要だ」。

ハーフは、ボスニアのハリス・シライジッチ外務大臣をメディアトレーニングしてスポークスマンとして鍛え上げ、記者会見を開く。ハンサムで流暢な英語を話し「流血と殺戮の現場サラエボからやってきた外相」というイメージを作り上げたシライジッチ外相を語り部とする作戦は見事に成功した。

そしてハーフは次のフェーズとして、決定的な手を打つ。それが「民族浄化(ethnic cleansing)」という戦略PRのキーワードだ。

ポイントは、「民族浄化」というワードが新しく作られた言葉ではなかったことだ。先に旧ユーゴスラビア連邦から独立していたクロアチアやスロベニアではすでに使われていたが、国際社会で定着しているわけではなかった。ハーフはこれに目をつけたのだ。ハーフの言葉を借りると「メッセージのマーケティング」ということになる。

ルーダー・フィン社はこのセンセーショナルなワードを駆使してボスニアで何が起こっているのかを発信し、あらゆるメディアがこのワードに飛びついた。最終的にはアメリカ政府、そしてジョージ・ブッシュ(父)大統領もスピーチで使うようになる。ちなみに「民族浄化」は後に辞書にも載る。戦略PRのキーワードとしては第1級の成功例だろう。

一方のセルビアはPRの重要性に気づくのに遅れた。そのため、次々と悪役のレッテルを貼られ、国際世論を味方につけることができず、結果的に敗北した。

さて、ルーダー・フィン社とハーフの仕事は見事だったが、SNSのない1990年代のことで、戦術的な面においては、オーソドックスなことしかしていない。プレスリリースやニュースレター「ボスニア通信」はファクスで送信、あとは記者会見やジャーナリストとの面会などだ。現在から見ると、前世代的な手法である。

フラット化した世界とSNS

ひるがえって、2020年代のウクライナ情勢における情報戦を見ると、そこには非常に現代的な要素がある。実際に起こっていることを3つのポイントにまとめてみよう。

1つめは、フラット化した世界とSNS。ボスニア紛争ではトレーニングされたシライジッチ外相が、セットされた記者会見で話すことで情報発信をした。一方、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、等身大で親近感を持たれる振る舞い──自身をMan on the Street(一般の人)と見せる発信がポイントとなっている。

象徴的なのが、「逃げた」と噂を流されたゼレンスキー大統領が政府の高官4人と一緒に首都キエフの中心部から自分のスマホで「私たちはまだここ(キエフ)にいる。国を守る」と話す自撮り動画を国民に向けて発信したことだ。国のために戦うウクライナ市民と上下関係を感じさせないフラットなスタンスが見てとれる。

また、ロシアの攻撃が始まった直後の2月24日に開かれたEU首脳の緊急会議で、リモート会議でつながったゼレンスキー大統領がEU首脳を前に行った切実な訴え──「われわれは、欧州の理想のために死んでいく」「生きて会えるのはこれが最後かもしれない」は多くのメディアで報道され、経済措置に及び腰だったEUの空気を変えたといわれる。

ウクライナのミハイロ・フェドロフ副首相兼デジタル変革大臣のSNSの使い方もうまい。Twitterで直接スペースX社のイーロン・マスクに通信衛星回線を要請したのだ。内容はこうだ。

「@イーロン・マスク、あなたが火星を植民地化しようとしている間に、ロシアはウクライナを占領しようとしています!

あなたのロケットが宇宙着陸に成功している間に、ロシアのロケットがウクライナの市民を攻撃しているのです。

ロシア人に立ち向かうことができるように、ウクライナにスターリンク局を提供してください。お願いします」

10時間後、イーロン・マスクは次のように返信した。

「ウクライナでスターリンクのサービスが開始されました。さらに多くのターミナルが控えています」

これらのやり取りは非常に現代的だ。今は組織格よりも「個人格」の訴求力が強い時代となっている。国や会社よりも(国や会社に所属していても)個人の時代であり、そこには上下関係がなくフラットな世界となっているのが特徴だ。個人の発信が先で、メディアはそれを報道している構図である。メディアが個人格の後を追っているというわけだ。対してロシアはまったく異なるアプローチをしている。ちなみに、真偽のほどは不明だが、プーチンはスマホすら持っておらずネットも見ていないともいわれている。

巨大なストーリーではなく個人ナラティブ

ポイントの2つめは、巨大なストーリーよりも個人ナラティブが人々の心に響くということである。

象徴的な出来事に、ロシア兵の捕虜の話がある。

ウクライナはロシア兵の捕虜のためにホットラインを開設した。その名も「come back alive from Ukraine(ウクライナから生きて帰る)」。ウクライナで捕虜となったロシア兵がどのような状況にあるかをロシアにいる家族に知らせるもので、開設早々、問い合わせが殺到しているそうだ。

これまでの戦争でも捕虜の扱いについての発信はあった。国の代表などが出てきて「捕虜は無事で丁寧な待遇をしています」と記者会見で述べるというやり方だ。それに対してウクライナによるホットラインは非常にうまい方法となっている。なぜならロシアで待つ家族は、現場にいる捕虜となった息子の口から直接「大丈夫だったよ」「こんな戦争はすべきではない」と聞くのだから。

3月1日にニュースとして伝えられた国連総会の緊急特別会合でのエピソードが象徴的だろう。ウクライナのキスリツァ国連大使がロシア語で読み上げた、死亡したロシア兵の携帯に残された母親とのメッセージのやり取りだ。「ママ、ウクライナにいるんだよ。本当の戦争が起きている。怖いよ」。

これは、巨大なストーリーではなく、1人の若いロシア兵の個人のナラティブだ。メディアが個人ナラティブを増幅させる時代であり、大義名分による巨大な政府(国)のストーリー、つまりロシア政府が発信したい、「ロシア軍は解放者だ」というストーリーはまったく効果を上げていない。それよりも、捕虜となったロシア兵と母や家族との物語のほうがよほど強いメッセージとなる。

3つめのポイントは、戦争当事者以外が参画する余白と、それによって形成される共創の構造だ。ボスニア紛争のときにはなかった事象で、これこそネットやSNSなど現在の環境があってのことだろう。

いわゆる「シチズンジャーナリズム」ともいえるだろう。ロシアによるプロパガンダや、ウクライナによるSNSなどでの情報発信という当事者に加えて、一般の人がどんどん参画してきてナラティブを作るという構造だ。

例えば、今年1月、イーロン・マスクのプライベートジェットを追跡するボット「Elon Musk's Jet」を作った19歳の大学生が話題になった。その彼が今度はプーチンやオリガルヒ(政権と深い関係のあるロシアの新興財閥)のプライベートジェットを追跡するアカウント「@PutinJet」「@Russian Oligarch Jets」を作った。

また、広く報道されているとおり、国際的なハッカー集団「アノニマス」を名乗るグループが、2月25日にロシアに対するサイバー攻撃を行うとTwitter上で発表している。

このように、情報戦に当事者外の人や集団がどんどんと入ってきて、それによって情報の再生産が起こる。非常に現代的な共創構造といえるだろう。

戦争プロパガンダから、ナラティブの戦いへ

現代社会は共感と共創の時代に入っている。プロパガンダと呼ばれるものは通用しなくなってきているし、プロパガンダはプロパガンダであると見抜かれてしまう。

プロパガンダは日本語だと世論操作、大衆扇動と呼ばれる。歴史的にプロパガンダは戦争において多用されてきた。ナチスの宣伝相ゲッベルスによるものが有名だが、ゲッべルスの宣伝省は最盛期で1万5000人を有する巨大組織で、「宣伝省の中に政府がある」と揶揄されたほどだ。北朝鮮政府内にある「宣伝扇動部」しかり、もちろんロシア政府の中にも同様の部門がある。

これは自分たちに都合のいい、(フェイクも含む)お話を作り上げて一方的に押し付け、自国民に信じさせるというやり方だ。こうしたやり方はかつての日本にもあったし、それが効いた時代もあった。しかし、一方的な都合のいいストーリーの押し付けというプロパガンダ・アプローチはもう通用しないだろう。

これからはナラティブ・アプローチが共感と共創を生むのは明らかだ。それが、この戦争の情報戦においてウクライナが有利となった理由でもある。ボスニア紛争の終結に情報戦の貢献があったように、ウクライナとそれを支持する人々の動きが功を奏して、1日も早くこの戦争が終結に至ることを願ってやまない。