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「ロシアの工作」ウクライナ侵攻と共に増す情報戦

ロシアによるウクライナ侵攻をめぐる情報戦が激しさを増している。

混乱の主な原因はロシア側から大量に生み出される偽情報やデマである。ロシアのプーチン大統領をはじめとする政府関係者などから発信された真偽不明の情報が、政府系メディアだけでなくソーシャルメディアなどを通じて拡散され、政治家やマスコミだけでなく世界中のネットユーザーを巻き込む形で進行している。

例えば、ウクライナ東部のドンバス地域でジェノサイド(集団虐殺)が行われているとか、アメリカとウクライナが秘密裏に生物兵器や化学兵器を開発しているなどといった情報だ。それだけではない。ソーシャルメディアなどでは、ディープステート(影の政府)に関連付けた陰謀論もまき散らされており、ウクライナ侵攻自体が巧妙に演出されたうそだと信じる者すら現れている。

ロシアのプロパガンダはソ連時代からお家芸だった

偽情報対策などのソリューションを提供しているアメリカのベンチャーMythos Labsによると、昨年11月に比べて12月と今年1月上旬に親ロシア派の偽情報・プロパガンダを拡散するTwitterアカウント数が急増したという。11月全体で58件だったものが12月1日~1月5日の期間に697件に増加。同アカウントによる12月のウクライナ関連のツイート量は、11月と比べて375%、9月と比べて3270%増加したという(Analyzing Twitter Disinformation/Propaganda Related to Russian Aggression Against Ukraine Report Number 2)。

今回の危機を契機にロシアのプロパガンダの実態が事細かに報じられ話題を呼んでいるが、もともとロシアはこの分野においてはソ連時代からお家芸であったことは一般的にあまり知られていない。

国際政治学者のP・W・シンガーとアメリカ外交問題評議会客員研究員のエマーソン・T・ブルッキングは、「ロシアがこの戦略の先駆けとなったのは驚くには当たらない。ソ連は誕生以来、偽情報(ロシア語でdezinformatsiya)の巧みな操作と兵器化によって、国外ではイデオロギー的な戦いを行い、国内では民衆を統制した」と指摘。

「冷戦中、ソ連は偽情報操作を組み立てラインの工程に変貌させた。一説には、KGBと関連機関は1万を超える偽情報作戦を実施した、ともされる。これらの作戦は、西側における政治的分裂を増大させようとする偽装団体やメディア拠点を作ることから、作り話や陰謀論を広めてソ連の敵の信用を落とすことまで、広範囲におよんだ」と述べた(『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』小林由香利訳、NHK出版)。

ウクライナ情勢に絡んだものでは2014年に起こったマレーシア航空17便撃墜事件が有名だ。

ウクライナ東部の親ロシア派支配地域上空でミサイルによって撃墜され、乗客乗員298人全員が死亡した。実は昨年12月にようやくオランダの裁判所において、検察側がロシアの元情報機関員ら4人に殺人などの容疑で終身刑を求刑したばかり。ロシアは事件当初から現在に至るまで関与を否定していたが、2019年にオランダを中心とする国際合同捜査チームの調べで、撃墜に関わったウクライナ東部の分離指導者に対し、ロシア政府による指示があったと結論付けた経緯がある。

コロナ禍でも偽情報を故意に流した

イギリスのブレグジットやアメリカ大統領選(2016年、2020年)における他国の干渉、偽情報の分析などに携わってきた政治アドバイザーのニーナ・シックは、2017年のイギリス下院の情報安全保障委員会が行った報告を振り返り、「この発表で特に衝撃的だったのは、ロシア政府がソーシャルメディアをはじめとする新しいコミュニケーションツールをフル活用して、独自の筋書きを拡散したことだ」と述懐している(『ディープフェイク ニセ情報の拡散者たち』片山美佳子訳、日経ナショナル ジオグラフィック)。ロシアの国営メディアであるロシア・トゥデイ(RT)がYouTubeチャンネルで、マレーシア航空とウクライナ紛争についてロシア側の主張を一方的に垂れ流していたからである。

シックは、2015~2016年の欧州の移民危機でも、ロシアがシリアで展開した無差別爆撃により大量の難民・移民を作り出し、戸惑う市民の不安や緊張に付け込んで情報操作に勤しんでいた点を重くみる。

これら一連の流れを見ると、2020年以降の新型コロナウイルスのパンデミックにおいても、単純に既定路線が引き継がれていただけだと考えることができる。コロナワクチンに対する恐怖を煽るディスインフォメーション(故意に流される偽の情報)がそれだ。昨年4月に欧州連合(EU)が公表した報告書によれば、ロシアと中国のメディアが西側諸国の開発したコロナワクチンを標的に、大量の偽情報を流布するキャンペーンが激化したとしている(EEAS SPECIAL REPORT UPDATE: Short Assessment of Narratives and Disinformation Around the COVID-19 Pandemic(UPDATE DECEMBER 2020 - APRIL 2021)- EU vs DISINFORMATION)。

 

西側諸国のワクチンに対する不信感を植え付けることを狙ったもので、「ワクチンの副作用の可能性を選択的に強調し、文脈情報や進行中の研究を無視」し、接種と死亡例との間に根拠のない関連性を持たせて、自国のワクチン外交を有利に進めるための情報戦だというのだ。コロナ関連の陰謀論も例外ではない。

ここで思い出さざるをえないのはエイズが生物兵器だとする陰謀論にソ連の暗躍があったことである。

前出のシンガーとブルッキングは、「とりわけ悪名が高いのはアメリカ軍がエイズを発明したと主張するインフェクツィオン(ドイツ語で感染の意)作戦」だと述べている。1983年にKGBがインドのパトリオット紙に論文を掲載したのが作戦の始まりだという。同紙はKGBの前線として創設されており、偽著者による偽論文は40以上のソ連の新聞、雑誌、ラジオ、テレビで取り上げられ、また親ソ的な西側メディアにも浸透させ「作戦はめざましい成功を収めた」という(前掲書)。

コロナ禍の初期でもRTなどが「アメリカの生物兵器説」を唱えていたことを考えると、これが現代のロシアによる情報戦のひな形になっているといっても過言ではないかもしれない。

両論併記、中立的なふるまいは、もはや有害

しかし、ウクライナ侵攻で情報戦の状況は変わりそうだ。

グーグルはRTなどのロシアメディアについて、アプリやYouTube動画などで広告収入を得ることを禁止した。フェイスブックを運営するメタも同様の措置に乗り出した。さらに欧州通信社連盟(EANA)は、偏向報道を理由にロシアのタス通信の会員資格停止を発表。ついに欧州連合(EU)もRTとスプートニクの禁止措置を明言した。

これはうそをうそで塗り固めた「うそのミルフィーユ」状態をもたらす戦術の前では、従来のような両論併記、中立的な振る舞いがもはや有害であることが明らかになったことの表れであり、あらゆるメディアは情報戦の当事者であることを自覚した取り扱いが求められるということでもある。あからさまなうそと思われる主張をそのまま流すのは、事実関係に争いがあるような印象操作に加担することになるからだ。つまり、場合によっては中立的であることが偽情報に一定の信憑性すら与えてしまう。

また、厄介なことに今日の情報戦は、ソーシャルメディアの登場によりアテンション・エコノミー(注目経済)に大きく依存する傾向が強まっている。事実よりも人物としての魅力や物語としての面白さがあるほうが有利になるからだ。これは陰謀論がはやる心理要因の1つでもある。

このような意味においてウクライナは善戦しているといえる。ロシアメディアから「キエフから逃亡した」という噂を流された際、ゼレンスキー大統領は、首相や高官とともに自身の姿を撮影して配信した。「私はここにいる。私たちは武器を捨てない。祖国を守る」などと述べ、噂を明確に否定するだけでなく、国民を団結させ広く海外にもアピールする好機に変えるしたたかさをみせた。ソーシャルメディアの戦場でゼレンスキーは圧倒的な支持を集めることに成功している。

虚実のダイナミズムを熟知するゼレンスキー

ゼレンスキーの来歴を踏まえると、興味深い事実が浮かび上がる。コメディー俳優だった頃、ゼレンスキーのイメージを決定付けたのは、ウクライナの大ヒットドラマ「国民のしもべ」(2015)の高校教師役であった。政治汚職に怒り狂う様子が隠し撮りされ、その動画が拡散されたことをきっかけに、大統領になる道が開かれるという筋書きだった。

その後、ドラマと同名の政党「国民のしもべ」を立ち上げて2019年に大統領になった。虚構から現実へとシームレスに移行しつつ虚実のダイナミズムを熟知するその特異な経歴とキャラクターは、情報戦の枢要に驚くほど敏感なハイブリッド的な感受性の持ち主であることをうかがわせる。

スマートフォンの普及により高まる人々のネタ消費への誘惑を大いに活用し、動員ツールに変える現代の情報戦は、わたしたちにとって、絶えず注意を奪うように仕向けたり、感情的な被害を受けたりするといった事態を引き起こすだけでなく、他愛のない陰謀論が及ぼす影響も含めて誰もが無関係ではいられない。オンライン上にいても、いなくてもだ。

アノニマスが参戦し、IT大手各社が規制に舵を切り、膨大なボランティアが画像や動画の検証を行い、Qアノン信奉者が訳知り顔でウクライナがディープステートの本拠地だと吹聴する──「デジタルの小競り合いがことごとく『戦争』であり、傍観者全員が戦闘員になりうる世界」「見るもの、いいと思うもの、シェアするものすべてが、情報戦の戦場の小さなさざ波を象徴し、戦っているどちらか一方を支持することになる」(前掲書)というシンガーとブルッキングの言葉は、ますます真実味を帯びているように感じられる。