日本人が知らない「熊本の水がすごい」本当の理由

昨年11月、熊本県に台湾の半導体大手TSMCが「進出」するという発表があった。ソニーとタッグを組んで、熊本県菊陽町に半導体工場を新設するという。

 

TSMCは半導体製造の注文を受けて生産する受託製造の先駆者であり、熊本や長崎でスマートフォンや車載向けの画像センサーを生産するソニーは、その分野で世界シェア1位である。が、同社は同時に、画像センサーに組み込む半導体のほとんどを他社に依存しているため、調達先の確保が課題となっていた。

 

「水資源」が豊富な熊本に目をつけた

進出先に熊本が選ばれた理由は、関連企業の集積、交通アクセスのよさはもちろんだが、半導体生産に欠かせない「水資源」が豊富なことにある。半導体生産には純度の高い超純水が大量に必要で、TSMCのCSRレポートによると、2019年には台湾の3つの科学工業団地で1日当たり合計15万6000トン、2020年には同19万3000トンの水を使用している。

ところが、目下台湾は歴史的な水不足に苦しんでいる。2020年に台風が1つも上陸しなかった影響で、昨年は主要ダムの貯水率が軒並み低下。TSMCは節水や水再生の技術力向上に注力してきたが、それでも水が足りず、生産活動を維持するため、給水車を準備したり、建設用地の地下水の無償提供を受けたりして水を調達した。今後の気候変動の加速を考慮すると、安定的な生産のために水が必要で、こうした中、目をつけたのが熊本だった。

実際、進出先の熊本は「水どころ」として知られる。熊本県の生活用水の8割が地下水で、特に熊本地域(熊本市、菊池市の旧泗水町と旧旭志村の区域、宇土市、合志市、大津町、菊陽町、西原村、御舟町、嘉島町、益城町、甲佐町の11市町村からなる地域)は、ほとんど地下水に依存している。

となると、半導体製造によって大量に地下水が「奪われる」のではないか、と心配する向きもあるだろうが、実は熊本には「地下水保全条例」があり、地下水を大口取水する事業者に、知事の許可を得るよう課している。

この条例では地下水を「私の水」ではなく「公共の水」であるとしている。地下水は水循環の一部であり、県民の生活、地域経済の共通の基盤である公共水と明記されており、基本的には憲法や民法に抵触しないゆるやかな許可制度であり、大事な水を一定のルールのもとに使うことを目的としている。

なぜ条例を改正したのか

条例改正のきっかけは、地下水が減少していたことに始まる。2008年の地下水採取量は1億8000万トンと、17年前の75%に減少していたのにもかかわらず、地下水位が低下していたのだ。

熊本県が所管の33カ所の地下水位観測井戸で水位を測定ところ、1989年と2010年の水位を比較すると、14の井戸のうち12の井戸で水位が4、5メートル減少していることが判明。手を打たなければ、将来枯渇してしまうことがわかったのである。

原因は、涵養(かんよう、地表の水が地下にしみ込むこと)量が減ったことだった。熊本県では東から西へ白川が流れる。出発点は阿蘇カルデラで、急流となって田畑の広がる中流部を駆け抜け、熊本市街地を貫流し、低平地に広がる穀倉地帯を経て有明海に注ぐ。水の流れは地表だけではない。目に見えない地下の流れは人々の命の水となる。

白川中流域は、地下水の重要な涵養域となっている。「白飯1杯、地下水1500リットル」という言葉を聞いた。これは地下水と田んぼの関係を表したものだ。

阿蘇の噴火でできた土壌は水を通しやすい。今から400年以上前、加藤清正が熊本に入り、白川中流域に井堰を築いて水田を開いた。熊本地域の地下水涵養量は年間6億4000万トンとされ、そのうち3分の1を水田が担う。とりわけ白川中流域の水田は、他の地域に比べて5倍から10倍の水を浸透させ「ざる田」と呼ばれていた。

ところが、近年田んぼは減り続けている。熊本地域の水稲作づけ面積は30年前の3分の2程度。田んぼは畑に、あるいは宅地や工場になった。背景にはコメの供給過剰による、全国的な減反政策がある。田んぼから地面に染み込む量は土壌の性質によって異なるが、田んぼの面積の減少は、地下水の供給源の減少につながったわけだ。

こうした中、1990年代後半には、東海大学の市川勉教授(当時)が、「熊本市の江津湖の湧水が10年で20%減った」という研究結果を発表。その時期に、ソニーの半導体工場(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング・熊本テクノロジーセンター)が地下水涵養地域に進出する。

前述のように、半導体生産は地下水を大量に使用する。そこでソニーは2003年度から地元農家や環境NPO、農業団体と協力し、地下水涵養事業を開始。協力農家を探し、稲作を行っていない時期に川から田んぼに水を引いてもらい、その費用をソニーが負担した。

事業者に涵養も義務づけた

それ以降、熊本では、白川中流域の水田を活用した地下水涵養事業が本格的に行われるようになった。ソニーのほか、富士フイルム、サントリー、コカ・コーラなど地域の水を使う企業が農家と協力し、田んぼの水張りを支援している。

熊本の地下水保全条例は許可制が注目されがちだが、許可を受けた事業者には涵養計画の提出と実施が義務づけられている。地下水取水ルールと、涵養ルールが組み合わされているのだ。

熊本はまた、公益財団法人「くまもと地下水財団」も設立。涵養事業を単独では行えない零細企業は同財団に協力金を支払うと、財団が涵養を行う仕組みもできている。

水質保全や水量保全など、涵養事業のメニューもそろっている。例えば、地下水調査研究事業では、地下水の流れを調べ、各事業を効率的に展開するのに役立てるほか、熊本地域の地下水に関するデータも集積している。こうした市町村の枠を越えての熊本県の地下水保全の取り組みは世界で高く評価されており、「2013国連“生命の水”最優秀賞」を受賞している。

コロナ禍をきっかけにデジタル化が急ピッチで進み、半導体需要は高まる一方である。アメリカの調査会社ICインサイツによれば、世界の半導体市場は2021年に25%増えて5000億ドル(約57兆円)を超え、今年はさらに11%増が見込まれている。

繰り返しになるが、半導体の製造には純度の高い超純水が必要だ。水に溶けている不純物を徹底的に取り除くためである。イオン交換樹脂や分離膜を用いたり、膜の外側を真空にすることで水に溶けているガスを取り除いたりと、物理的な処理、化学的な処理を組み合わせる。

超純水は最新の技術・装置を組み合わせて作られるが、半導体の性能が上がるとともに純度の高さも求められる。現在最先端の半導体は回路線幅が5nm以下という微細さで、わずかな不純物の存在が製造時の良品率に影響するためだ。

性能向上でさらに水が必要になる

今後さらに半導体が高性能化し回路線幅が小さくなると、不純物を取り除くための水使用がさらに増える。次世代チップは1.5倍の水を消費すると予測されている。

こうした中、半導体工場は、水のリサイクルや省資源化を進めている。例えば、半導体工場で洗浄に使った水を可能な限り回収して元のきれいな超純水に戻したり、水処理薬品もセンサーを使って最適な量にコントロールすることで使用量を減らしたり、排水に含まれるフッ素やリンなどの有効成分を回収して再利用したり、といった技術開発が進んでいる。TSMCも2016年には水の浄化とリサイクルの改善に取り組んでいた。

気候変動により世界的な水不足が懸念される中、今後半導体をいかに確保するか、という問題は日本の産業界にとっても大きな課題だ。地下水を活用する場合、市町村の枠を越えて保全と活用を行う熊本の取り組みは参考になる。3月22日の「世界水の日」のテーマは地下水マネジメントであり、4月下旬には熊本市で「アジア・太平洋水フォーラム」が開催される。熊本の水に世界が注目するだろう。