アメリカの高校生が学ぶ「環境経済学」の超基本

「持続可能な経済成長」は可能か

成長を続ける経済にはコストもあり、その1つが環境に負荷を与えることだ。経済の状態を計測する数字は実質GDPだけではない。他にも、たとえば「地球幸福度指数(HPI)」という指標もある。これは物質的な豊かさだけでなく、その国の環境への優しさも計測する数字だ。ちなみにアメリカは、GDPなら世界一かもしれないが、HPIによると地球にはあまり優しくないようだ。

人口が増えると、それに伴って消費するリソースも増える。しかし、それが必ずしも環境破壊につながるわけではない。市場の力を活用すれば、環境と成長のトレードオフに直面した個人や企業のインセンティブを変化させることができる。

資源への需要が高まると、資源の価格が上昇する。そして価格の上昇は、それらの資源を使う個人と企業にとって、使用量を減らすインセンティブになる。しかしこれは、再生できない資源の場合だ。この状況をチャンスと見た起業家にとっては、再生できる資源を増産するインセンティブになる。これらのインセンティブには大きな力があり、さらに効率的だ。

再生可能資源

 

たとえば、木材は再生可能な資源だ。木材への需要が増えれば、木材の価格が上がる。そして価格が上がると、林業者は需要に応えて増産する。つまり、木材への需要が増えるほど、森林への需要も増えるということだ。そして森林への需要が増えると、森林が増え、緑豊かな環境が実現される。

「木を切ってしまうのだから、結局は何も残らないのでは?」と考える人もいるかもしれない。しかしこの考え方は、経済的なインセンティブの存在を無視している。人々がトウモロコシを食べるのをやめたら、トウモロコシの生産は増えるだろうか? それとも減るだろうか?

正解は「減る」だ。誰もトウモロコシを食べなくなったら、農家にとってはトウモロコシを育てるインセンティブがなくなる。反対に人々がトウモロコシをたくさん食べるようになったら、農家もたくさんトウモロコシを育てる。木もそれと同じだ。ただし、木は育つまで時間がかかるので、その分トウモロコシよりも高価になる。

再生不能資源

石炭、石油、天然ガスなどは再生できない資源だ。この場合も、市場は生産者と消費者の双方にインセンティブを与える。

再生不能資源への需要が高まると、価格が上昇する。すると、これらの生産要素を使用する企業の生産コストが上昇する。生産コストの上昇は、企業にとって生産性を高めようとするインセンティブになる。

たとえば、生産過程で天然ガスを使っている企業は、天然ガスの価格が上がれば、できるだけ効率的に天然ガスを使用する方法を考えるだろう。無駄が多く、非効率的な企業は、効率的な企業との競争に敗れていく。そして最終的に、市場から撤退することになるだろう。

コモンズの悲劇

1968年、アメリカの生態学者、ギャレット・ハーディンは、科学専門誌『サイエンス』に寄稿した記事の中で「コモンズの悲劇」という概念を取り上げた。ハーディンによると、政府や個人の所有地でない共有地は、過度な資源開発の犠牲になりやすいという。

ハーディンの主張は基本的に正しい。共有地の所有者はすべての人であるというのなら、つまり誰の所有地でもないということだ。

たとえば、ある村の近くに共有の牧草地があるとしよう。牛を育てている農家は、その牧草地に自分の牛を放して餌場にする。牧草地は自分の土地ではないので、負担するコストもまったくない。そのため農家は、できるだけたくさんの牛を牧草地に放す。当然ながら、他の牛農家も同じことを考えるので、共有の牧草地はあっという間に牛に食い尽くされ、すっかり荒れ地になってしまう。これがコモンズの悲劇だ。

 

この問題への解決策はいくつかある。よく選ばれがちだが、もっとも効果の薄い解決策は、「政府がコモンズを管理する」というものだ。もっと効率的な解決策がいいのなら、「コモンズを私有地に変える」という方法もある。そしてもっとも古く、そしてもっとも実用的かもしれない解決策は、「農家同士の話し合いで決めてもらう」ことだ。

政府がコモンズを管理する実例を挙げると、国立公園局、土地管理局、森林局などがそうだ。これらの政府機関の役割は、国のコモンズである自然を守ることだ。しかし、実際に決定を下す役人たちは、自分たちが管理するコモンズから遠く離れた場所で働いている。

彼らはしばしば、利益団体から圧力を受け、ごくわずかなコストでコモンズを利用することを許可してしまうことがある。政府が管理する土地の多くがコモンズの悲劇を経験するのもこのためだ。

たとえばアメリカ西部の牧草地は、政府がお金を出して管理しているために、付近の酪農家がこぞって自分の家畜を放して餌場にしている。その結果、せっかくの牧草地が過放牧で荒れてしまった。

国立公園の本来の目的

また、国立公園の本来の目的は、アメリカの美しい自然を保護することだ。しかし、大勢の観光客が訪れ、さらに観光客のための道路や建物、キャンプ場を整備したために、かえって自然が荒らされてしまっている。

コモンズの悲劇を効率的に解決したいなら、「コモンズを誰かの所有物にする」という方法がある。土地が私有地であれば、所有者には土地の生産性を維持しようとするインセンティブがある。

言い換えると、酪農家が牧草地を所有すれば、過放牧で荒れ地にするようなインセンティブはほぼ存在しないということだ。むしろ牛を移動させたりして、土地を適度に休ませようとするだろう。牧草地を自分で所有しているなら、管理コストも自分で負担しなければならない。そこでコストを最小限に抑えるために、もっとも生産性が高く、もっとも効率的な管理を行おうとする。

もっとも古く、もっとも実用的な解決策は、コモンズを利用する人たちの話し合いで管理を決めるという方法だ。そして、これがもっとも現実的な解決策かもしれない。

2009年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者エリノア・オストロムは、コモンズの悲劇を研究し、コモンズをすでに利用している人たちによる話し合いがしばしば最適の解決策につながるということを発見した。コモンズが存在する地元のコミュニティ内に非公式の取り決めがあると、コモンズはもっとも適切に管理される。

たとえば、スイスアルプスのチーズ農家は、高地の牧草地を共同で管理している。彼らはコモンズの過放牧を避けるために、その場所で越冬した牛だけに放牧を許可するという解決策を編み出した。この取り決めがあれば、夏だけ高地の牧草地に牛を連れてくることができなくなる。

また、コモンズを利用する農家は、高地で牛を越冬させるコストを負担しなければならないので、できるだけ効率的に牧草地を管理するインセンティブも発生する。ちなみにスイスのチーズ農家がこの解決策を思いついたのは、今から800年前のことだ。

私たちはここから何を学ぶことができるのか。それは、モンタナの酪農家がコモンズで牛を放牧したいなら、遠いワシントンで働く536人の弁護士と1000人の役人に任せるより、自分たちで話し合って過放牧の問題を解決したほうが効率的だということだ。

汚染する権利

公害は経済的にも悪いことだ。とはいえ、すべての生産工程で何らかの汚染が発生するので、汚染をゼロにするという目標も現実的ではない。どの程度の公害であれば許容範囲なのだろうか?

正しい汚染量、あるいは「社会的に最適」な汚染量は、生産による社会の限界効用と限界費用がイコールになると達成される。つまり企業は、生産による効用が、生産が生み出す公害などの費用とイコールになるまで生産しなければならない。

コモンズの悲劇でも見たように、企業には、社会的に最適な生産量を守るインセンティブがないことが多い。公害のコストを負担するのは企業ではない。そのため、生産量を増やしすぎ、そして汚染も増やしすぎるという結果になる。

企業に汚染の適正量を守らせるには、公害のコストを企業に負担させるしくみが必要だ。まず考えられるのは、課税する、汚染物質を排出する権利(排出権)を販売するという方法だ。他にも、公害の影響を受ける人たち、つまり公害のコストを負担する人たちが、汚染源の企業と交渉して金銭の支払いを要求するという方法もある。

この世に「きれいな空気」も「きれいな水」も存在しない。すべてただの水か空気であり、汚染の度合いがそれぞれで違うだけだ。ここでの問題は、どの程度の汚染までなら耐えられるかということだ。環境問題は現実的、かつ合理的に考えなければならない。