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「GDPが国力のすべて」と思う人の大いなる勘違い

 

「収支」をひたすら足して景気を算出

GDPは「国内総生産」と定義され、ある国の中で生産された財とサービスの総額を指す指標です。国の経済活動を計測する際によく使われ、GDPが下落すると景気後退と見なされ、政府は財布の紐をきつく締めます。

このGDPはアメリカで生まれた概念で、時は第2次世界大戦に向かおうとしていた時代でした。

当時のアメリカを覆っていたもの、それは歴史的な大不況です。しかし、「ではどれくらい経済は悪いか?」を問われると、正確に答えられる人は誰もいない状況でした。物価や輸送についてのピンポイントな統計はいくつかあったものの、アメリカ経済全体の状態がわかる数字は1つもなかったのです。

そこでアメリカ政府は、経済学者で統計学者のサイモン・クズネッツに「国全体の収入」の計算を依頼し、クズネッツはすぐさま仕事に取り掛かることに。アメリカ全体の家計と会社の収入を地道に足し、1934年にその結果が出ると、アメリカ経済は政府の予想を凌駕する悲劇的状態で、ほぼ「死体」となっている実情が浮かび上がっていました。

クズネッツが計測したところ、1929年から1932年の期間で、国全体の収入はわずか半分に減少していました。史上初めてアメリカ経済の体温を測ったところ、氷点下をはるかに下回る結果になったのです。

政府はどう動いたか――。アメリカ政府は、このクズネッツが算出した結果に不満を抱きます。戦争が目前に迫っており、この結果をそのまま公表することは政治的に不都合きわまりなかったのです。

2度目となる世界大戦を睨んでいたアメリカ政府には、国民の救済より軍事にお金を回したい事情がありました。しかし、クズネッツの数字に従うなら、軍事支出には経済全体を押し上げる力はほとんどありません。つまり、戦争にお金を注いでも国民は豊かにならないということです。

この問題を解決するために誕生したのが、「国内総生産」(G D P)という考え方です。G D Pはアメリカ国内で生産されたすべての財とサービスの価値を合計した数字なので、その中には政府が自らの都合で生み出す価値も含まれます。つまり、GDPが生まれた瞬間から、爆撃機も経済のためになる存在として認められるようになったのです。戦争のために兵器を作れば作るほど、GDPに加味されアメリカの経済指標がどんどん上がる仕掛けです。

クズネッツにとって、国の経済を計測することは国民生活の豊かさを計測することとイコールでした。彼の考えでは、軍事力は国民の豊かさと結びつきません。しかしクズネッツは論争に敗れ、1942年、軍事支出も含んだ数字としてアメリカのGDPが初めて公表されることになりました。

犯罪増加で経済が成長する仕組み

このように、GDPは政治的な思惑から生まれたもので、自然の法則ではありません。しかし、近年では、政治家も官僚も、「GDPは客観的な数字のふりをしているだけ」ということを忘れてしまったかのようです。その証拠に、彼らの政策の根拠には必ずと言っていいほどGDPが挙げられ、緊縮財政の必要性を主張したりします。

多くの政府にとって、経済成長、すなわちGDPの数字上昇は至高の善です。これがGDPを絶対視することにつながり、「GDPに含まれるものはなんであれいいもの」という非常に近視眼的で短絡的な思考になっているように思えてなりません。

しかし実際には、GDPの数字を上げるものが必ず国民にとっていいものとは限らないのは兵器で見たとおり。有害物質を撒き散らす産業もGDPの数字に貢献しますが、環境を破壊する側面も持ち合わせています。また、犯罪が多発する社会は安全とはとても言えませんが、それによって防犯カメラや頑丈な鍵が売れるのであれば、経済成長に貢献していることになるのです。

ここで考えたいのが、「GDPに含まれないもの」の存在です。

たとえばオランダ人は、掃除や他人の手助け、子どもの世話などに平均して週に22時間を費やしています。しかし、これらが無償のボランティアならGDPには含まれず国の豊かさには反映されません。皮肉なことに、純粋な善意ではなく、金銭のやり取りが発生すれば、これらの活動もGDPに反映され、国民生活の豊かさに計上されます。

GDPなどの数字を出す際、私たちは「重要だと思うもの」を計測していると思っています。しかしその裏で起きているのが、「計測されたものを重要とみなしている」現象。ドナルド・トランプ前大統領はGDPを根拠に、中国との貿易摩擦を正当化し、自国の経済成長を優先しました。ヨーロッパでも、ある国がユーロ圏に加盟できるかどうかを決定する重要な指標としてGDPが使われます。これはまさに、「GDP=重要なもの」と決めてかかっている典型例です。

どうすれば「現実」が見える?

一国の経済を1つの数字で表せるようになったこと自体は、画期的な出来事です。1つの数字を見ただけで経済の風向きがわかるのですから。

しかし、経済のような複雑な存在を1つの数字で表すには、必ずなんらかの要素を除外していることも、ぜひ心に留めてほしいと思います。

GDPの場合、除外されるのは「お金に換算できないすべてのもの」です。ノーベル経済学賞を受賞したマルティア・センも言うように、国の成長は金銭だけで語ることはできません。質の高い教育や医療が全国民に行き渡っていることなど、大切な要素が他にたくさんあるのです。

人間は自分の頭で何かを考えると、それが自分で考えたものであるということを忘れ、最初からまるで実体として存在していたかのように勘違いしがちです。

数字を鵜呑みにしないと同時に、自分の頭で考えるとき、勝手に客観性を与えてしまっていないか、今一度意識することで「現実的に考えられる」のではないでしょうか。