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「文系社員」が生き残るには「数学語」が必須な理由

ジワジワ危機感を高める文系社員の焦り

「会議の書類を見ていると、明らかにデータ分析などが増えていて、しかもどんどん複雑になっていてわかったふりしているけど、いまさら聞くのも恥ずかしいし……」

「いきなり、“グラフの縦軸は対数でとってます”と言われて、とりあえず頷いてみたけど、よくわかってなかったんだよな」

そういう話を耳にすることが、どんどん増えています。つまり、ビジネスの世界でジワジワと、理系的素養が求められているのです。

それは多くの人が日々感じていることではないでしょうか。

オフィスワークではパソコンを使えることは当たり前であり、プレゼンテーション作成はもちろん、表計算やグラフ作成などは大学卒業までに身につける「あたりまえ」のスキルとなりました。

さらに統計に対する知識も求められる一方で、デジタル分野における知識と素養が重視され、ニーズに対して人手不足の状況が続いています。エンジニアの人手不足はよく知られるようになりましたが、いわゆる文系学部の学生も内定から卒業までの間に専門的知識を得ようと必死に学びます。

そして、STEM教育の重要性がクローズアップされています。STEMは科学・技術・工学・数学の頭文字で、大学でもカリキュラムや入試を改革する動きが見られるようになりました。

コロナで崩壊した「気は心」の男社会

「欲しい人材」は理系ばかりになる?

つまり大きな流れで見ると、理系的素養の重要性は高まっていく一方で、多数の「文系社員」にとっては、自らのキャリアに不安が高まらざるをえない状況なのです。

また、この影響は大学生にも及んでいるようです。文系学部の学生から「デジタル系の会社に就職を決めたら、卒業まで独学で学び直す」という声もよく聞きます。

かつてのイメージであれば、文系社員は都心のオフィスに勤め、会社という共同体の中心にいるように見えたかもしれません。郊外の研究所や工場にいる理系学部出身者に比べて「華やかな」イメージもあったでしょう。

しかし、時代は大きく変わってきています。かつては文系社員の牙城のようなイメージがあった金融機関でも理科系のトップが生まれています。かつての護送船団の時代には霞が関との折衝が重要だったのでしょうが、いまではフィンテックと言われる先端技術や、安定的で安全なシステム運用力が最も問われるようになっています。

そして、日々の仕事においてもデータを読み込む力や、そこから説得力のあるシナリオを考えていく能力こそが、その人のキャリアを左右することになりました。

かつては得意先と強固な関係を構築して、時には会食やゴルフなどで、相手の懐に飛び込んでいく人がリーダーになっていく時代もありました。それを「結局は人間力だよ」とわかったような、わからないような言葉でうそぶいていた人もいたようですが、だんだんと影がうすくなっているようです。

これはビジネスが男中心の社会だったときには通用していたのかもしれません。しかし、多様性が重視されて、そうした新しい組織が成果を上げることが明らかになっています。

まして、コロナ禍の1年あまりの間に、さまざまな仕事がオンラインで進むようになりました。もちろん「空気感が伝わりにくい」という問題点はあるものの、「気は心」とばかり空気感だけに頼るような仕事をしていた人の存在意義は薄れる一方です。

こうした中で、いわゆる文系社員の危機感は強まっています。

そして、冷静に議論をしてビジネスを想像していくための基本的な素養として、STEMの”M”、つまり理系的思考の根源にある「Mathematics=数学」への関心が高まっているのでしょう。

高校2年に「数学は卒業」という文系の学び

しかし、闇雲に数学を学び直そうとしても、それはそれで難しいものです。高校数学の参考書を読めば、たしかに懐かしい感じは湧いてくるし、問題を解けば「ああ、こうだった」と感じるでしょう。しかし、だからといって現在のビジネスにおける不安感が解消されるわけではありません。

なにより大切なのは、数学の「根っこにある考え方」を理解して、かつて学んだ数学の「意味」を再確認して、「数の世界への見通し」をよくすることではないかと思います。

そう考えたときに、「見通しがぼんやりして来た」のはいつ頃だったのでしょうか?

中学から高校に入った頃までは、どうにかついていっても、高校2年の頃に「モヤモヤ感」が高まっていくのではないでしょうか。

具体的には、「数列」「対数」「ベクトル」「確率」「行列」「微分積分」といったことに手ごわさを感じたことで「自分は文系だな」と思った人が多いのです。

そして、大学入試でも数学を選択することなく、就職まで数学と無縁だったのにもかかわらず、ここに来て「これだとまずいかも……」という人が増えてきました。だから、文系のこんな「つぶやき」が効かれるようになったのです。

「財務などを学んでいると、あるときいきなりΣが出てきて戸惑ってしまう」

「確率が何%以上ならGOなのか? とたずねられても、答えられなかった」

「エクセルの“行”と“列”って、数学の“行列”と同じなのか?」

文系は「数学」という言葉を学ぶべき

いま、「文系」の存在意義はたしかに問われています。しかし、ビジネスを成功させるには、あらゆる分野の知恵が必要な現在、「文系」「理系」という色分けをすること自体も意味が薄れつつあります。

まして、「自分は文系だから」と決めつけてしまえば、活躍の場を狭めてしまうことでしょう。

むしろ、文系として学んだ知恵を最大限に活かしていくためにも、数学の世界を知ることはとても大切なのです。

それは、単に数式を扱うだけではなく、冷静に論理的に考えるという「思考の根っこ」を鍛え直すことでもあるのです。

数学を学ぶというのは、ある意味、数学語、つまり「数学というもう一つの言葉」を学ぶことだと思います。言葉を学ぶというのは、単語や文法を覚えるだけではありません。その背景にある文化の成り立ちまで知ることで、「異なる論理で構成される世界」を知ることです。

同じように数学を学ぶことも、公式を暗記するのではないと思います。つまり、「数学という言葉の背後にある思考と論理」をしっかり学ぶことです。

そのためのカギは、高校2年の学びの中に隠されています。まずは教科書の内容をもう一度見直すことも大事でしょう。

そして、現実のビジネスとの架け橋を探していくことになります。紙と鉛筆を用意して、1つずつ問題を解いてみると、意外にも現実との接点は見えてきます。

高校生のときとは異なり、何らかの目的をもって数学を見直していくプロセスは、きっと想像以上にスリリングなことになるはずです。