テレビ局が「40代向け番組作り」に躍起になるワケ

テレビの周辺では昨年から、視聴率をめぐる変化と議論が巻き起こっていた。簡単に説明すると、これまでは長らく世帯ごとの視聴率が基準だった。ところが高齢世帯が急激に増えたため「視聴率≒高齢者の視聴」になってしまった。テレビ広告を打ちたい企業の多くは若い世代を対象にするので、世帯視聴率はスポンサーのニーズに合わなくなってきた。

そこでこれまでは東阪名だけだった個人視聴率を全国的に測定できるようにして、性年齢別の視聴率が出せるようになった。中でもスポンサーニーズが高い年齢層を設定したのがコア視聴率だ。各局で違うが多くは14歳から49歳まで。番組制作ではこのコア視聴率を獲得するために中身を考えるようになった。松本人志が自ら関わる番組について世帯視聴率をもとに批判する記事に対し、コア視聴率はよかったのだと発言して話題になった。いまや最重要指標はコア視聴率であり、世帯視聴率で番組を評価するのは時代とズレているということだ。

実際、数年前までのゴールデンタイムの番組は高齢層を意識した健康情報の番組がずいぶん多かった。いまはガラリと変わってコントやネタの番組が急増している。また去年は第7世代と呼ばれる若い芸人がかなり目立っていたが、最近はその上の第6世代の芸人がむしろ重宝されているようだ。

いずれにせよテレビ局は、新しい指標を基準に番組制作の方向を転換している。

人口ピラミッドで見る世帯視聴率の行く末

だがこのコア視聴率を基準にした方向性は、近い将来に問題が生じるのではないか。本稿の目的は、それを指摘することだ。もうひと段階、考え方をシフトするときがすぐに来ると考えている。それは、コア視聴率を形成する年齢層の上の層で大きな変化が起きるからだ。日本独特のいびつな人口ピラミッドから、コア視聴率の近未来が読み取れる。国立社会保障・人口問題研究所は過去と未来の人口ピラミッドを推計している。それを基に考えてみた。

2010年の人口ピラミッドでは、60代の団塊の世代と30代の団塊ジュニアを中心に中高年以上が明らかに多い。そしてこの頃から「若者のテレビ離れ」が言われはじめた。あえて強引に分類すると、当時の20代をゆるやかな共棲領域としながら上がテレビ世代、下がネット世代と言える。仮に境界線を25歳に置くと、それ以上は約77%、25歳未満は約23%。当時のネット世代は圧倒的少数派だった。

2020年の人口ピラミッドでは、全体がぐんと上に持ち上がっている。団塊世代はもう70代、団塊ジュニアは40代後半だ。

ネット世代とテレビ世代は10年前からそのまま10歳持ち上がったと想定する。若い頃のメディア接触はその後も続く傾向があるからだ。すると先ほど設定したテレビ世代とネット世代の境界線は35歳になる。ネット世代(=35歳未満)は約32%、テレビ世代(=35歳以上)は約68%。少数派だったネット世代が勢力を増やした形だ。

さて、先述のコア視聴率は49歳までだった。そうするとコア層がずいぶんネット世代に占められることになる。また団塊ジュニアがいるため、40代の比重がずいぶん高い。コア層約5100万人のうち約1800万人が40代だ。そして団塊ジュニアはもう、40代後半。50歳まであと一歩なのだ。

コア視聴率から団塊ジュニアが毎年外れていく

さてここで気づくことがある。コア視聴率にも、以前の世帯視聴率で起こった問題が起きていないか、ということだ。世帯視聴率では高齢層の視聴に左右されてしまった。同じように、コア視聴率も40代に強く左右されているのではないか。人数が多いうえに、下の世代よりずっとテレビが好きでよく見ている。コア視聴率≒40代視聴率になっていないか。

先ほど、一時期は第7世代がもてはやされたが、いまは第6世代が重宝されていると書いた。それはつまり、人数が多くテレビが好きな40代が、年齢の近い芸人を好むからではないだろうか。

松本人志が強い影響力を持つのも、40代が多感な時期に時代を作ったのがダウンタウンだからとも言えないか。実際、40代の芸人は「松本さんに憧れてこの世界に入りました」とよく言っている。どれもこれも、コア視聴率における40代の影響力の強さがもたらすことに思える。

そして次に考えたくなるのが、10年後の人口ピラミッドだ。

団塊ジュニアも完全にコア視聴率のくくりから外れ、ほぼ完全にネット世代に占められる。デジタルを中心にメディア接触してきた世代が社会の中核になり、テレビ視聴で重要な層になるのだ。

ここに至る前の2020年代前半を想像してみよう。大きなテレビ好き集団、団塊ジュニアが毎年毎年コアから外れていく。さっきの推論どおりなら、毎年コア視聴率の水準がガツーンガツーンと減っていくのだ。コア視聴率の高さを誇っていた番組が、あれ?どうしたんだ?ということになる。

そして2030年、コア視聴率の対象は、人数も少なくなるうえにさほどテレビを見ない人びとになる。テレビと社会の関係が大きく変わりそうだ。いまよりずっと、影響力の小さなメディアになるだろう。人気番組も、見てる人は見ているが、ほとんどの人は見ていないものになる。

ではテレビはこれからひたすらダメになっていくのだろうか。そうとも限らないと筆者は考えている。これまでのように不特定多数を狙うのではなく、誰に見せたい番組かをはっきりさせることで、そのターゲットにCMを見せたいスポンサーがつく。セグメントマスという言葉を使う企業が増えている。セグメントされたターゲットの中でやっぱりマスなメディアとしてテレビの価値は十分にある。

80年代フジテレビの延長線から抜け出せるか

では例えば20代に絞ったコント番組をつくればいいのだろうか。そうではないと思う。

そもそもいまの「テレビ文化」は80年代のフジテレビが開拓したものだ。「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに、自由奔放な番組作りを始めた。「ひょうきん族」に代表されるはちゃめちゃな笑いや、若い世代の流行を取り込んで恋愛を描くトレンディードラマで新しいテレビを作ったのはフジテレビであり、先陣を切ったのが団塊世代だ。それに続いて、団塊の下の世代が各局でフジテレビに続けと90年代以降努力してきた。

NHKが正月に毎年「新春テレビ放談」という番組を放送し、局の垣根を超えてテレビの作り手たちが語る。2010年代半ばには「フジテレビどうした」が毎回話題になった。ある回では「他局の上層部が“フジテレビが元気じゃないとテレビ全体が元気をなくす”と言った」という話が出てきた。それくらい、フジテレビは全局の目標だったのだ。

若い男性はお笑いが好き。若い女性は恋愛ドラマが好き。いまのテレビ局でもそう考える人は多いと思う。実際、コア視聴率が基準になってそういう番組がまた増えた。だがそれは、80年代フジテレビが作った潮流だ。いまの若い人がみんなそうなのかは、検証が必要ではないか。一時期もてはやされた第7世代より第6世代を重宝しはじめたのは、フジテレビ文化を40代の視聴者がまだ保っているからで、同じ発想ではいまの若者に通用しないと筆者は考える。

団塊の世代はあらゆる分野で新しい文化を開拓し、その後の世代に強い影響力を与えてきた。すぐ下の世代から団塊ジュニアまでは共通の文化で生きてきた。そこには功罪両面があるが、いろんな意味で団塊世代文化から抜け出さないと、若い世代に見放されるのではないだろうか。団塊世代はなにしろ人数が多く押し出しが強い人びとなので影響力を保ってきた。フジテレビはその象徴的存在だったし、ほかの分野の文化も貪欲に取り込んできた。

だがもう「楽しくなければ」は通用しない。そこから脱却しなくてはならない。その言葉を口にする人はもういないと思うが、その精神は今も各テレビ局に残っていると思う。すぐにコント番組や恋愛ドラマに走るのがその最たる例だ。そうではなく、いまの若い世代にどんな番組が気に入ってもらえるかを真剣に一から考え直す必要がある。

いちばん有効なやり方は、若い世代に番組づくりを託すことだ。80年代のフジテレビはまさにそうだった。長らく社内制作をしないでやってきていたところに、トップが代わり若い作り手が呼び寄せられたら一気にエネルギーを爆発させた。最初からすごかったのではなく、任せたらすごくなったのだ。その世代とそれに続いた世代が今も頑張りすぎているのが、あの局の最大の問題だ。

当時と同じことを、いまテレビはやるべきだ。上の世代は若者にぽんと任せて口出しせず、責任だけ取ればいい。

上の世代が若者たちに場所を明け渡せるかどうか。テレビの進化はそこにかかっている。そしてこれは、どの業界や会社ついても言えることかもしれない。