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「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴

無形資産は格差を拡大も縮小もさせる

――世界的に人々の間で格差が広がっていますが、無形資産と格差はどのような関係にあるのでしょうか。無形資産の肥大化は資本家と中産階級、労働者階級といった階層構造にも影響を与えていますか。

※無形資産=モノとしての実体が存在しない資産。特許や著作権などの知的資産、人が持つ技術や能力などの人的資産が代表例。その他、ブランド力などの市場関連資産、顧客情報・顧客基盤などの顧客関連資産や、企業文化、経営能力、人工知能システムなどのデジタルソフトウェアなど、多くの無形資産があると考えられている

ハスケル:無形資産が肥大化するという経済のトレンドは格差を拡大していくはずです。なぜなら、無形資産には、容易に規模を拡大できるという経済特性があるからです。

例えば、「ハリー・ポッター」シリーズはイギリスの大変重要な輸出品ですが、仮に私がその著者であったとしたら、その小説を世界中に売ることができます。

しかし、私が車を作って売っているとしたら、何度も繰り返して一台の車を売り続けることはできません。

つまり、「ハリー・ポッター」という知的財産を所有している人が得る利益は、有形資産を売買している人々が得る利益に比べて非常に大きくなり、それが格差に反映されるのです。そうした無形資産の肥大化とグローバリゼーションやインターネットが組み合わさって、格差を広げているのだと私は考えています。

――将来にわたって、格差は拡大し続けるということでしょうか。

ハスケル:それは予測の難しい問題です。無形資産は反対方向に働く二つの力を内包しているからです。とても興味深い特徴です。

先ほど申し上げたとおり、無形資産には規模を拡大しやすいという特徴があり、それは格差を拡大する方向に働く力です。

一方で、無形資産には、『無形資産が経済を支配する』で私たちが「スピルオーバー(波及)」と呼んだもう一つの特性があります。

自動車の作り方を完全に真似するのは大変難しいことですが、デザインを真似るのはとても簡単です。例えば、アイフォン(iPhone)の発売から1年半も経たないうちに、世界中のスマートフォンはどれも、アイフォンそっくりのデザインになっていました。それが、私たちがスピルオーバーと呼ぶ現象です。

これはほんの一例ですが、デザインという無形資産が他者に波及したのです。それには大きな投資は要りません。つまり、スピルオーバーの観点からは、無形資産には平等化を進める力があるとも言えるのです。それは、格差を広げる力とは逆方向に働く力です。

理由はわかりませんが、現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです。それが、将来的にどう変化するのかを予測するのは非常に難しく、まだ答えは出ていません。

いずれにせよ、無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力があることは確かです。

ICT革命が無形資産を肥大化

─―無形資産が経済を支配するようになった、あるいは将来的にそうなるとすれば、転換点はどこにあるのでしょうか。著書『無形資産が経済を支配する』では「1990年代半ばに、アメリカで無形資産への投資が有形資産への投資を上回った」と指摘しておられますが、それが変化を加速させたとお考えですか。

ハスケル:私たちが収集しているデータによれば、開発途上国でもその傾向は強くなっていますが、先進国ではそれよりずっと、無形資産への投資が急増しています。データは、アメリカがその動きをリードしてきたことを示しています。ご指摘のとおり、アメリカでは1990年代の初めに無形資産への投資が有形資産への投資を上回りました。

この時期はICT(情報通信技術)革命が急速に拡大した時期と重なりますから、その影響を強く受けた変化であったことは間違いありません。インターネットが登場し、コンピューターが私たちの日常生活の一部になりました。コンピューターは有形資産のハードウェアですが、無形資産であるソフトウェアがなければそれを利用することはできません。

インターネットを構築するシステムも、通信システムも、ハードウェアとソフトウェアの両者で成り立っています。そのため、ハードウェアへの投資に加え、ソフトウェア=無形資産への投資が必要になり、その規模は有形資産への投資を上回る規模となりました。それが1990年代に起こったできごとの一つです。

さらに、ICT革命に伴い、1990年代には、ICT業界だけでなく、他の多くの業界でも無形資産への投資が広がりました。アメリカを筆頭に、他の国々でも小売や金融、旅行などさまざまな業界で、コンピューターとソフトウェアを使った業務形態の変化が始まりました。

例えば、銀行や旅行会社、航空会社は業務のオンライン化を推進しました。無形資産とは無縁と考えられていた運輸業界までもが、業務形態を変えるために無形資産への投資を余儀なくされたのです。

産業構造における無形資産への投資は、革命と呼べるような劇的な変化で、ICT業界にとどまらず、幅広い産業分野にまたがる現象になっていったのです。

――そして、その傾向は、今日まで続いているということですね。

ハスケル:さまざまな局面で増減を示しながらも、大きな潮流としてはそのとおりです。1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています。

2008年に端を発した金融危機以降は無形資産への投資が鈍化しましたが、世界的に長期的な増加傾向であることは間違いありません。

芸術家が資本家になる

――現在、新型コロナウイルスの影響で、社会のデジタル化に拍車がかかっています。無形資産の増大は、経済にどのような影響を与えるとお考えですか。

ハスケル:コロナ禍において無形資産が経済発展をもたらす可能性はいくつかあると思います。一つは、状況改善につながる良い変化を生む可能性です。

例えば、私はこれまで週5日出勤することや、通勤に長時間かけることにストレスを感じ、違和感を抱いていました。一方で、コロナ禍でのロックダウンによって通勤しなくてよくなった今、それにも違和感があり望ましくないと感じています。私としては、その中間がよいと思っているのです。コロナをきっかけに、それが実現するかもしれません。

これが無形資産とどう関係するのか考えてみましょう。ホワイトカラーや専門職の人々の多くがリモートで仕事ができるのは、通信手段や機器の発達のおかげです。パソコンやインターネットを使ったオンライン会議で、場所に縛られずに仕事ができるからです。

しかし、現状では、多くの人はそのような働き方ができません。接客などリモートでは難しい仕事があるのはもちろんですが、企業の事業マネージメントの制約でリモートワークが進まないケースも多く見られます。

リモートワークをさらに広げるには、多くの企業がビジネスモデルを転換させなければなりません。今までのやり方を大きく変える必要があるのです。同じ場所に集まっている人たちではなく、それぞれ離れた場所にいる人たちをマネージングしなければなりません。

リモートであっても、労働者の意欲を向上させたり、仕事に集中させたり、社内のイノベーションや協力体制を維持したりする方法を探るのです。

コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります。

「ハリー・ポッター」のストーリーこそが資本

――資本主義の形や社会は変わるのでしょうか。

ハスケル:無形資産が支配する経済では、資本家の富を生み出す源が変わります。保有する資本そのものが変わるためです。

もう一度、「ハリー・ポッター」の話に戻ってみます。原作者はイギリス人作家のJ・K・ローリングですが、彼女は工場も土地も所有していません。過去の資本家たちが富を築く基盤としたものを何も持っていないのです。

ローリングが保有しているのは無形資産です。具体的には、自らが生み出した素晴らしいストーリーが資本です。資本主義社会の中で、他の資本家とは異なる形態の資本を保有しているのです。

もちろん、世界的な大ベストセラーは、いわゆる無形資産の中でもかなり特殊な例です。検討すべきなのは、もっと幅広い意味で資本的な無形資産を持つ人々が、どのような可能性を秘めているかということです。

例えば、コンピューター・プログラミングの技術や、優れたデザインを生み出す才能、研究開発の能力なども無形資産と言えますが、当然のことながら、無形資産の経済は、それだけでは成り立ちません。

とりわけ重要なのは、これらの作業をコーディネートできる人材や、企業などの大きな組織の中でマネージメントができる人材です。フェイスブックやグーグルのような大企業で、創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。

そうした人材が保有していると考えられる無形資産は、優れたプログラミング能力やエンジニアリング能力ではなく、人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です。

無形資産の経済では、このように例えば知性のような無形の資産を持つ人が資本家になることが考えられるのです。それは詩人かもしれませんし、歴史家かもしれません。古代ギリシャや日本の古典を研究する学者かもしれません。多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれないのです。