「渋沢栄一」後も「1万円札」が廃止にならない理由

安倍政権下で進んだキャッシュレス推進政策

筆者が最近上梓した 『決済インフラ入門〔2025年版〕』のテーマの1つが、キャッシュレス化、そしてデジタル化であった。最近の諸外国の政策を見ると、キャッシュレスを政策として、新しい紙幣・硬貨の発行を停止することが多く、そういった国々の紙幣はボロボロで汚くなってしまっている。

日本はキャッシュレスも進めているが、新紙幣・新硬貨の発行も継続する。ふと考えてみると、相反する経済政策が推進されている。

安倍政権下の2018年4月に、経済産業省は「キャッシュレス・ビジョン」というレポートを発表し、その方針にそってキャッシュレスを推進した。具体的な政策としてはキャッシュレス・ポイント還元事業が、2019年10月の消費税率引き上げに伴い、需要平準化(景気)対策という観点も含め、2020年6月までの9カ月間導入された。

現金の取引に非常にコストがかかっているとして、そのキャッシュレスを進めることで、コストも低下し、また新たな産業も発生するとした。その前提として重要な役割を果たしたのが、2010年4月に施行された「資金決済法」である。小職も立法に関わったが、電子マネーなどの支払手段を整理した法律として施行された。

支払手段として、前払式(電子マネー)、同時払式(デビットカード)、後払式(クレジットカード)を整理し、銀行以外でも為替業務ができる資金移動業者を制定した。その後、改正法も2020年5月、2021年5月に施行された。改正資金決済法では暗号資産(仮想通貨)も対象とした。

この改正資金決済法をベースにキャッシュレスが推進された。具体的には電子マネーが一般化し、◯◯PAYといわれるような資金移動業者の業態が誕生した。

当局の用語は特殊で、日本銀行では、紙幣は銀行券、硬貨は貨幣といい、財務省では紙幣と貨幣といういい方をする。今回、新硬貨の発行は500円玉だけで、今年2021年11月に先に発行(使用開始)される。

実は、新紙幣・新貨幣はだいたい20年ごとに発行されることになっており、きちんとその間隔で実施されている。まとめて本論では「新紙幣の発行」とする。

新紙幣は2024年の上期に発行される予定で、デザインなども印刷が開始された。新紙幣を発行する理由は筆者の考えによれば以下のようなものである。

新紙幣・新貨幣を発行する5つの理由

(1) 偽造紙幣(偽札)の防止

まず、紙幣に使われる人物の条件というものは以下のものである。すでに亡くなった人、ひげや髪など“複雑”な人、“偉人”(よいことをした人)などとなっている。さらにはその社会経済情勢や政治にも左右される。理由はなかなか明かされないが、渋沢栄一は500社の起業に関わったことから、今後、日本で起業が盛んになることを願っているのかもしれない(しかし500社とは起業に関わるにしてもすごい数で、どうやったのだろう)。

また聖徳太子はお札の種類は変わりながらも、昭和5年(1930年)から採用されている。戦後も長い間使われ続けたのは意味がある。GHQが戦争を望む人物は避けるべしということになり、「和をもって尊し」を唱えた聖徳太子が好まれたのである。

人物の条件にある複雑さにみられるように、偽札(偽造紙幣)防止が、新紙幣の発行は最も重要な目的である。偽札は経済・社会不安、国家の転覆の可能性もあるので、偽札製造は重罪となる。最近でも外国人による「聖徳太子の旧1万円札」の偽札が犯罪に使われたのは残念である。

(2)円の国際化

最近は注力していないが、以前「円の国際化」という経済政策があった。これは特にアジア諸国で反発が強かった。筆者も国際的な学会で本件を報告したことがあったが、「日本の侵略主義」と誤解され厳しい意見が相次いだ。

しかし、アメリカでは100ドル札を130億枚印刷している。アメリカに行ったことがある、駐在したことがある方にはわかると思うが、アメリカ国内の通常の商取引では100ドル札は“使えない”。100ドル札とは輸出用の“商品”なのである。

しかも、実際にはアメリカの“最大の輸出品”なのである。これが国家的には経常収支赤字を埋める。日本ではわずか9億枚である。ここをもっと増やそうとするのは当然のことである。すでに日本は貿易赤字国でもある。

(3)受託へのアピール

上記の「円の国際化」とも近いが、海外からの受託製造も目的の1つである。日本の国立印刷局(紙幣製造)や造幣局(硬貨製造)は、海外からの紙幣などの受託製造を行っており、その拡大の営業的な役目もある。

 

特に今回は世界最高水準の偽造防止の技術が織り込まれ、その強いアピールになる。後で、論じるが紙幣はキャッシュレス化でいずれは減っていく運命にある。日本郵便の郵便事業のようなものである。そのため海外などからの受託が重要になってくるのである。

(4)技術の伝承

この新紙幣の発行であるが、この“20年”というところにも重要な意味がある。実は紙幣や硬貨の原盤では“手”で彫っている部分もあるし、工程で原版の焼き付けなど製造現場の”技”に頼っているところがある。

そのため、いわゆる“技術”の伝承が必要不可欠となる。そのときに大事なのはその発行の“間隔”である。20年が職人的な技術の伝承には限界となっている。これは非常に大事なところである。日本の製造業はいまでも大事な部分は職人的な技術に頼っている部分があるのである。

(5)タンス預金のあぶり出し

キャッシュレス政策の推進によって、現金の需要は減ってきている。そのため、紙幣の新規印刷数は4年連続減少している。しかし、いわゆる”タンス預金”は100兆円を突破し120兆円と積みあがっている。これはやはり、超低金利政策が影響している。

このタンス預金はマネーロンダリングに使用されたり、脱税に使用されたりする可能性がある。そのため、政府はこのタンス預金を減らしたい。

このタンス預金をあぶり出すのに効果があるのが「新紙幣」なのである。インドなどは銀行で新紙幣に交換するが、その金額はそのまま、税務署に報告され補足されることになった。高額な取引で旧札を大量に出すのは違和感がある。その違和感が犯罪を防止するのである。

現金決済は減っていくがゼロにはならない

実はこの政策は“バランス”の問題なのである。戦後の日本では、中国のような即時一律や義務的な規制や政策はできない(教育についても緩んでしまい、日本人のレベルの低下が進んでいる)。そのためさまざまな政策の実施には時間がかかる。

現在の状況は、キャッシュレス化は確かに進んでいて、「使用」における現金の需要は徐々に落ちている。製造量も減らしている。「貯蔵」における現金(タンス預金)は増加中である。しかし、これも新紙幣によって徐々に減少することが予想される。これにより、さらにキャッシュレス化の“バランス”が高まっていく。

 

また、最も重要なのは現金(紙幣・貨幣)を担当しているのは「財務省」と関連組織の「日本銀行」グループ、キャッシュレス化を推進しているは「経済産業省」。この2つのグループの“バランス”の問題でもあるのである。