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「失敗」を「早期フィードバック」と捉え直すべき訳

「複雑なシステム」とは異なる「複雑系」の世界

私たちのビジネスがよって立つ世界観やシステムが変われば、これまでの常識や方法は途端に意味を失ってしまう。極端に聞こえるかもしれないが、新型コロナの影響は結構深いところでこんな地殻変動を引き起こしてしまったようだ。

『輝かしい失敗の殿堂』には、「複雑なシステム」と「複雑系」という、異なった世界観が紹介されている。言葉は似ているが、両者はまったく意味が異なる。

前者は「complicated(多くの部分が入り組んでいるややこしい)な世界」、たとえば、多数の繊細な部品でできあがっている精密機器、スイスの高級腕時計や高性能車、航空機のように、複雑多岐なシステムだ。工業社会的な世界観の複雑さだ。

しかし、これらは「大変複雑にできている」ものの、その振る舞いは計算可能で、エラーも防げると考える。万が一の事故は起きるが、それらの失敗の多くは人災(ミス)であったりするので改善できる。

そこで、失敗を解析し、未然の対策を講じようとするわけだ。いわば失敗への科学的分析的アプローチである。こうした失敗の研究には、悲惨な航空機事故の例などが多いように見える。多数の部品からなる精密機械は複雑だが、個々の構成要素の役割は明確で、その振る舞いは予測できる。

しかし、多く誤るのは人間だ、というわけである。これまでの自動車事故も、ほとんどがドライバーの過失・違反が原因といえる。

一方、多様に絡み合った後者の世界、つまり、「complex(多くの部分と全体が影響し合って変化する)なシステム」と呼ばれる世界では、個々の構成要素の特性だけからは次の振る舞いが予測できない。1つでも情報が欠けてしまうと、まったく予想できなくなる。

さらに、多くの要素が集まることで、それまでになかった性質が「創発」(新たな秩序が形成される)するという世界だ。その意味で、自動運転車の事故は従来とは違ったものとなるだろう。

こうした複雑系から生まれる影響は、新たな機会を探索するようなイノベーション・プロジェクトで顕著になる。それは、多くが未知で、予測不能な未知の空間を旅するのに似ている。

そこで現代のプロジェクトは複雑系を前提に、俊敏に、試行錯誤で進めざるをえなくなる。「わからない」ことを前提に進まないといけない。もし何だかわかっているようなことをやっているなら、イノベーションではないのだ。

これは従来のビジネス教育を受けてきた頭の持ち主には至難のことである。その多くはオペレーションに最適化された思考だからだ。「イノベーションがどのように起きるのかを理解してから取り組みたい」と思うのは当然だ。

しかし、第1回の記事でも紹介した「失敗2(創造の過程でなくてはならない反応)」は必ず起きる。フィードバックがなければ暗闇の中では前に進めないからだ。

「古い組織・システム」のままではDXもうまくいかない

複雑系のモデルは、人間や市場や社会に当てはまる(そのために「複雑適応系」という用語がある)。筆者がかかわってきた知識創造経営では、企業組織を複雑な世界で進化するシステム、つまり、生物の有機体や脳のようなシステムとして捉えている。

それは「共進化」という、組織が環境や関係性とともに進化する考え方だ。今を生きるには、このような組織モデルの視点が役立つ。

『失敗の殿堂』には次のような方程式が出てくる。

NT+OO=EOO

新技術(NT: New Technology)を古い組織(OO: Old Organization)に導入すれば高コストの古い組織(EOO: Expensive Old Organization)になってしまうというわけだ。

DX(デジタルトランスフォーメーション)も、デジタル技術や戦略ばかりに目を向けていると、足元の組織が「工業社会」型のままであったりすれば、かえってこれまでよりも複雑なプロセスの鈍重な組織になってしまう。したがって、次のような視点が不可欠だ。

・DXのためには、技術の問題よりもむしろ複雑なシステムとしての社会や組織の革新に投資(努力)すべきだ。
・DXプロジェクトにおいては、最初から全部を計画しようとするウォーターフォール型よりも探索的・試行錯誤的「アジャイル型」マネジメントが基本になる。
・プロジェクトとプログラムを使い分ける。「DXプロジェクト」は達成すべき目的に向けて多くの要素を総合する行為だが、「DXプログラム」とはある状況へ移行するために複数のプロジェクトを立ち上げ、学習と研究、試行錯誤を同時に総合的に進める企業変革だ。

こうして失敗を、もはや「失敗」ではなく、「早期フィードバック」と呼んで、複雑系の中で創造的に活動していくべきだ。逆に、従来の複雑な世界観をそのまま持ち続けていると、綿密な計画を立ててしまい、最終的に大きく失敗(この場合は、「失敗1」:工業社会の失敗、恥ずかしい失敗)してしまう可能性が高くなる。

失敗の結末について考えてばかりいたら、何もできない。しかし、トップやリーダーが自分にイノベーションの経験がないのに、「お前がファースト・ペンギンになれ」「失敗はすべきだ」と、無責任に背中を押すのはいただけない。

そこで失敗しないようにするのではなく、小さな失敗を起こせるようにする、というのが複雑適応系のプリンシプル(原理原則)だ。そこでは、安全な場が世界を輝かせる。

ナラティブで紡ぎ出す未来

VUCA(不安定・不確実・複雑・曖昧)の時代といわれて久しいが、まだまだこうした根本的な時代の変化に鈍感な企業が多いのではないだろうか。そこで単にイノベーションを声高に唱えるのではなく、複雑系の環境の中で生きていく、足元のプリンシプルそのものを見直す必要があるといえる。

ポール・イスケと筆者は、共にこれまでシナリオ・プランニングを研究し、実践してきたが、『失敗の殿堂』でも1章を割いて紹介している。そのエッセンスは、自ら物語る力(ナラティビティ)だ。

複雑で不確実な環境においては、多くの可能な世界を描いておかなければならない。最近、バックキャスティング(未来から現在を逆向きに考える手法)が大事だという声もよく聞かれる。

しかし、バックキャストの起点となるビジョンや目標が、たった1つであることはないだろうか。だとすれば、それは大きなリスクでしかない。

そこでは長期的な思考と同時に、アジャイルな実践を行う必要がある。大きな目的は変わらないが、そこへの道筋は多様だ。そこで複数の対極的な世界を描くシナリオ・プランニングのアプローチは、機敏な方向転換(ピボッティング)に欠かせない。

そこにはセレンディピティのような偶然性も含まれる。セレンディピティは、私たちが何かを真摯に求めて努力し、にもかかわらず「失敗」し、一見「誤った道」に入ることで思いがけない宝物に出会う旅である。それは単なる確率的偶然ではないのだ。

ともに真逆の想定外に見舞われたシェルとダノン

もちろん、シナリオだけではすべてを解決することはできない。たとえば、石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェルは、1970年代初めからシナリオ・プランニングを用いて複雑な世界で優位性を構築してきた。

一般のイメージとは異なり、シナリオ・プランニングとは予測ではない。何かを言い当てたりすることではない。未来は予測できない、世界は多様な可能性だと考える。しかし、シェルは、これまではかなり上手にこの手法を用いてきた。

同社の最新シナリオ「エネルギー転換シナリオ」では、2100年までの気温上昇を産業革命前に対して、「2.5度(Waves)」「2.3度(Islands)」「1.5度(Sky)」という3つのケースで設定している。

背後には、重要かつ不確実な要因、たとえば再生エネルギー、CO2、環境技術革新、国際政治その他が想定され、これらの組み合わせで多様なシナリオが生まれる。シェルの経営陣がコミットしたのは「1.5度」シナリオで、パリ協定の目標と合致、CO2排出実質ゼロ目標も同じ2050年として公約していた。

しかし、これに対してオランダ・ハーグの地方裁判所からCO2削減目標が不十分という判決を受けてしまった。2050年では遅い、もっと早く、というのである。

現在、シェルは対抗策を練っているというが、この裁判の原告は、国際的環境NGOとオランダ市民などである。これまでも石油メジャーは環境団体からの圧力を受けてきたが、今回はその想定の幅を超えた。

これと「逆」のような例も見られる。「良い企業」として世界初でBコープ認証を受けた仏食品大手ダノン。会長兼CEOのエマニュエル・ファベール氏は、就任以来「人と自然重視の資本主義」を唱え、ESG経営を推進してきたことで知られていた。

しかし、今年の3月に解任されてしまう。それは株価の動向が冴えずに下落したためだ。そこに異議を唱えた少数株主の新興ファンドからの反対に他の株主が賛同した。

以前、某多国籍コングロマリットのCEOの話を聞く機会があり、あなたが夜眠れなくなるような変化要因は何か、という質問が出た。答えは「地球規模の政治変動」だった。

賢い判断を生み出す失敗の知恵

複雑系の世界では、いわば四方八方から予測不能なイベントが起きる。従来の良識は、もはや有効でない。どこか特定の方向だけ打ち出しても、「その方向ではない」「それでは不十分」というプレッシャーがかかる。「前門の虎、後門の狼」だ。しかし、経営者は優柔不断であってはならず、変化に際しては機敏な方向転換が求められる。

今日ほど「創造的な失敗の知恵」が求められる時代はない。そして、その肝ともいえるのが「賢慮」すなわち実践的知恵である。

アリストテレスによれば、「実践的知恵」とは私たちが幸福に生きていくうえで不可欠な、特定の状況での判断力だ。たとえば、新規ビジネスを立ち上げるときには、極度な無謀(大胆さ)あるいは臆病さ、あるいは小心も過信も禁物である。

失敗は、こうした両極のボーダーラインを越えたときや、どっちつかずのときに起きる。その間の絶妙なバランスが必要である。それは単なる「中間」ではない。状況によってそれは変わるものの、まさにその比率は黄金比にもたとえられる。

このポイントは自分や他者の経験からしか学べない。つまり、いたずらに失敗経験を重ねるのではなく、失敗についてよく知ることである。これは生きるための賢さ(知恵)につながることだろう。