「1円でも安く」と何店もスーパーを回る人の盲点

「ここでやめたら過去の投資がすべて水の泡」

イーロン・マスクが構想している次世代型長距離移動手段のハイパー・ループは時速1000km以上で走行するというものです。しかし、いまから30、40年も前に時速約2500kmも出る長距離移動手段があったことをご存じでしょうか。そう、音速旅客機コンコルドのことです。従来のジェット旅客機の2倍の速さでパリーニューヨーク間、ロンドンーニューヨーク間をつないでいました。

しかしコンコルドは2003年に全機が退役しています。2000年に起きた事故の影響で客足が遠のいたことが直接的な引き金となりましたが、そもそもビジネスの構造上、「飛べば飛ぶほど赤字が膨れ上がる」という、まったく収益の見込めない事業だったのです。

たとえば、大きな商圏として見込んでいたアメリカ国内の移動での利用は、超音速がゆえの騒音の大きさから許可がおりませんでした。また空気抵抗を減らすために胴体をスリム化した結果、一度に運べる乗客の数は限られていました。その結果、チケット代が高くなる一方でその価格に見合う快適さを提供することができなかったため「時短」というメリット以外で顧客を満足させることもできませんでした。

1969年からフランスとイギリス共同の大型プロジェクトとして推進されてきたコンコルド事業は、結局、巨額の赤字を抱えたままその幕を閉じたのです。

「こんな事業はさっさと中止したほうがいい」という声は、プロジェクトの内外で挙がっていたそうです。しかし、それまでに投じてきた時間とお金があまりに膨大なために、「いまここでやめたら過去の投資がすべて水の泡になる!」という理由で、プロジェクトは続けられてきました。

ではコンコルドの関係者は本来どのような意思決定をすべきだったのでしょうか? 

ここでぜひ知っていただきたい概念が、会計の世界でよく使われる「埋没原価(サンクコスト)」です。埋没原価とは「意思決定において無視すべきコスト」のことを指します。コンコルド事業が行ってきた過去の投資のように「回収が見込めないコスト」も埋没原価に含みます。つまり、意思決定において無視すべきだったのです。

もしコンコルド事業の関係者が過去を振り返らず、「現在と未来」だけを見ていれば、撤退によるデメリットは「撤退にかかる費用」になります。一方のメリットは「赤字の止血」と「技術を含む経営資源の他分野への応用」といったものです。

本来ならこれらを天秤にかけてどっちが得かを考えなければならないのに、「過去に行った投資」を意思決定に含むことによって撤退のデメリットがあまりに重くなって、いつまでも撤退できない。これこそがコンコルドが陥った罠でした。ギャンブルや株式投資などで負けが膨らんだときに損切りできず、傷口をさらに広げてしまう状況と似ています。

「もったいない精神」が合理的な判断を鈍らせる

このように「もったいない」というバイアスによって非合理的な意思決定をしてしまう現象のことを、同プロジェクトにちなんで「コンコルド効果」といいます。

コンコルド効果は日常でもよく起きることです。たとえばある映画に500円課金して視聴を始めたものの、期待に反してつまらなそうな作品だったとします。ここで多くの人は「もしかしたら後半に話が一気に面白くなるはずだ」と自分に言い聞かせながら最後までみて、激しく後悔するといったことがよく起きます。

これもまさしくもったいない精神が合理的な判断を鈍らせた結果と言えます。

「もったいない精神」でよく失敗する人に共通するのは、過去に行った「現金の出」というひとつの事象に執着してしまうことです。単眼的なものの見方、ともいえます。

一方で、会計の基本を一通り学ぶことで身につく会計的思考では、物事を複眼的に捉えることが前提になります。

たとえば、私がその映画を見出していたとしたら、「あ、500円損した」と一瞬は思いますが、そのあとすぐに「あと1時間半もあるのか。じゃあどんな生産的なことができるかな」と考えます。

資格試験の勉強をする。ジムに行く。読書をする。「500円がもったいない」という発想をさっさと捨てれば、このように選択肢はいくらでもでてきます。そこからさらにそれぞれの選択肢がもたらす価値を概算して、いまの自分にとって最善のものを選ぶ。もちろん、わざわざエクセルを開いて厳密な計算をするわけではないですが、できる範囲で合理的な判断を下せるように意識しています。

「会計的思考」を身につけるとできること

このように会計的思考が身につくと埋没原価を切り捨てるだけではなく、「複数の選択肢があったときのそれぞれのコストとリターン」を想定できるようになります。これを「機会原価」といいます。

ものすごく簡単に説明すれば、会計的思考を身につけている人はお金や時間などを何かに投資する際に、ほかにとりうる選択肢を複数考え、それぞれの結果を予測したうえで天秤にかけ、行動を選択しているということです。

企業が大きな投資を行う際も当然ながら機会原価の計算をすべきですが、慣れてくれば自分の日ごろの時間やお金の使い方も機会原価を意識しながら選べるようになるものです。

機会原価を意識する癖がつくと、仮にもったいない精神が発動して「500円が……」という気持ちを引きずってしまったとしても、たとえば「資格試験に1時間半あてれば500円以上の価値は余裕で生み出せる」と自信をもっていえるので、非合理的な判断を避けることができるのです。

「もったいない」という言葉はお金や資源を大事にする「節約」的なイメージともひも付いているため、経済合理的な考え方だと思っている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、必ずしもそうではありません。

むしろ、「もったいない精神」が合理的な判断を妨げているケースが多いのです。

たとえば世の中には日用品や食材を1円でも安く買うために何時間もかけていろいろなスーパーを自転車でめぐる、いわゆる「倹約家」の方がいらっしゃいます。これも一種の「もったいない」精神に突き動かされた行動です。

倹約を趣味にしている人もいらっしゃるのでこうした行動を一概に否定するわけではありませんが、やはり私の目からすれば絶対にありえないことです。もし私の社員が似たようなことを業務でしていたら、感心はしません。

なぜなら「1時間かけて10円節約する」という行為があまりに非生産的だからです。いまの時代、ネット上で完結する単発バイトなどいくらでもあるわけですから、浮いた時間を使って10円以上の価値を生みだすことなど、さほど難しい話ではないはずです。

「時は金なり」はビジネスの世界でもまったくそのとおりで、とくに仕事がなくても会社に行ったり無駄な残業をしたり、時間をお金に換算できていない人もいるように感じます。

私も普段はこうした理由から、掃除、洗濯の類いはすべてアウトソースしています。

資本主義社会を生きていくうえでの武器

自分が1時間あたりに生み出せる価値を普段から意識しておけば、天秤にかける作業は簡単にできるはずです。会社を経営するときも、会社の資源を無駄遣いしないように意識しつつも、極端なコストカットによって業務効率が著しく落ちるような本末転倒なことが起きないように、共有しています。

もちろん、人はロボットではありませんし、全知全能の神でもありません。そもそも意思決定を下す際に必要な情報にすべてアクセスできるわけではないので、「100%合理的な判断」なるものは存在しません。

ある部分は経済合理的に考えつつも、残りの分は政治的、あるいは情緒的・直感的に考えて最終的な判断を下す。これが人や組織の意思決定の仕方です。

しかし、100%合理的な判断は無理だとしても、その割合を少しでも高める努力は誰にでもできるはずです。

そのときに役立つのが会計の知識を通して身につく会計的思考であり、だからこそ私は年齢も職種も関係なく、資本主義社会を生きていくうえでの武器として、会計を多くの人に知っていただきたいと思うのです。