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次期総理に伝えたい「世界標準の財政政策」の正解

今回の記事のポイントを先にまとめておくと、以下のとおりです。

(1)財政出動は必要だが、何に使うかが最大の焦点
(2)日本のデフレ圧力は主に高齢化と生産年齢人口の減少が根本原因
(3)よって、単純に需要を増やすだけの量的な財政出動は効果が薄い可能性が高い
(4)事実、1990年以降の財政出動は持続的な経済成長につながっていない
(5)究極的には、賃金が上がらないかぎり、デフレ圧力は緩和されない
(6)よって、財政出動は主に賃上げにつながる乗数効果の高い使途に積極的に使うべき

「最低賃金上昇で雇用が減る」という妄信

その本題に入る前に、最低賃金に関して一言、お伝えしたいことがあります。

2021年10月から、最低賃金は28円引き上げられます。最低賃金の引き上げの影響で雇用が減らされると懸念する声が上がりましたが、8月19日、東京商工リサーチが興味深い調査を発表しました(最低賃金の28円引き上げ、1割の中小企業で正規雇用を「増加」「最低賃金引き上げに関するアンケート」調査)。

これによると、当面の人員戦略に影響を与えないと答えた企業は全体の83.4%にのぼりました。5.4%の企業が非正規従業員を削ると回答したものの、5.0%は増やすと回答しました。

特筆すべきは、9.8%が正規従業員を増やすと回答したことです。正規従業員を減らすと答えた企業は3.0%でしたので、増やすほうが3倍も多かったことになります。減らすと答えた企業は、飲食・宿泊、食料品などの製造業、印刷、アパレル関連が目立ったとあります。

海外の研究では、最低賃金の引き上げによって非正規社員が正規社員に置き換わること、成長産業に人が移動することが示唆されてきました。日本でも、まさにそのとおりの結果が見られました。

さて、ここから本論に入ります。

なぜ日本の財政政策は成長に寄与してこなかったか

日本は財政出動を増やす必要があります。日本の政府支出を対GDP比率で見ると、先進国平均よりは高いですが、その大半は社会保障が占めるようになってしまっています。経済を成長させるための、いわゆる生産的政府支出(productive government spending:PGS)は先進国平均の3分の1程度しかありません。日本では、研究開発・設備投資・人材投資という「三大基礎投資」を増やすための財政出動は不可欠です。

一方、インフレ率2%目標の達成や、需給ギャップを埋めるという単純かつ抽象的なマクロ目標を達成するために財政支出を増やしても、その効果は薄いと思います。なぜかというと、それではただのバラマキや既得権益を守るための財政出動になりがちだからです。バラマキ型の財政出動は、欧米では1970年代に否定されています。日本でも1990年代から2003年あたりまでにバラマキ型の財政出動が頻発されましたが、なんの経済成長にもつながりませんでした。

つまり、財政出動をするかどうかは議論の焦点ではなく、何に使うかを重視するべきなのです。

経済産業省が発表した「経済産業政策の新基軸」という資料では、マクロ経済政策に以下のような「新たな見方」が生まれている可能性が指摘されています。これは今後の財政政策を考えるうえで、とても興味深いです。

単なる量的な景気刺激策ではなく、成長を促す分野や気候変動対策などへの効果的な財政支出(ワイズスペンディング、生産的政府支出(PGS))による成長戦略が、新たな経済・財政運営のルール

これは極めて重要な指摘です。今回は、新たに提示されたこの財政運営ルールを考えていきたいと思います。

世の中には、おおまかに分けると、日本経済の低迷の原因として緊縮財政を問題視する一派と、規制緩和・構造改革を重視する一派と、人口動態を問題視する一派があります。

まずはそれぞれが、何を根拠にどんな主張をしているのか、順に見ていきましょう。

インフレにさえすれば、経済は成長するか

緊縮財政を問題視する人の主張は、おおむね以下のようなものです。

「日本経済が20年以上成長していない原因はデフレにある。デフレから抜け出せないのは、総需要が足りていないからだ。総需要が足りないと生産性向上はできない。こうなってしまっている原因は、消費税を引き上げるなど、政府が緊縮財政政策を取り続け、積極的な財政出動をしなかったことにある。だから、デフレ脱却ができず、生産性も上がらず、賃金も増えないのだ」

実際には、日本が20年間ずっとデフレだったという指摘は事実ではありません。特に安倍政権になってから最近までは、日本は別にデフレではありませんでした。しかしデフレ圧力がかかっていると考えることはできますし、日銀の政策目標の2%インフレ率は達成されていません。

ですので、この「デフレ論」にも一定の意味があると考え、検証していきましょう。

改めて言うまでもなく、デフレは需給のバランスが崩れることによって起こります。需要が不足することによって起こる場合もあれば、供給過剰で起こる場合もあります。それぞれ「需要不足型デフレ」「供給過剰型デフレ」といいます。

標準的な経済学の教科書によると、「需要不足型デフレ」には以下の要因が考えられるとあります。

(1)世界経済の不景気
(2)緊縮財政政策
(3)消費者マインドの冷え込み
(4)貨幣供給量の減少(金利の上昇、銀行の貸し渋り、企業の借り入れ減少なども含む)

この20年間、世界経済は不況になっていないので、(1)は原因ではありません。また、特にアベノミクスが始まって以降、通貨供給量は減少していませんし、金利もずっと下がっていますので、(4)が原因ということもありません。

そのため、緊縮財政を問題視する人たちは、デフレの原因は総需要の不足であり、(1)と(4)はいずれも今のデフレ圧力の要因とは言えないと考えているのでしょう。(3)消費者マインドの冷え込みはある程度影響しているでしょうが、個人消費総額はずっと増加しているので、大きな要因ではありません。よって、残された主な原因は(2)の緊縮財政にあると結論つけているのだと思います。おそらく、緊縮財政政策を積極財政に転換すれば、諸問題は解決すると考えているのでしょう。

では、日本経済は本当に(2)の緊縮財政政策が原因で落ち込んでいるのでしょうか。たしかに、2009年あたりから、日本では政府支出が増えているものの、消費税などの引き上げによって対GDP比の税負担は増えています。アベノミクスの下でも、財政の健全性が重視されていたからです。

この説は、それなりに理にかなっていますし、オーソドックスな経済学にのっとると、この結論に至ると思います。供給に対して需要が不足した結果デフレになったのなら、その穴を財政で埋めるという考え方です。

 

つまり、諸悪の根源は緊縮財政にあり、政府が財政出動を積極的に行えば総需要が回復して、デフレが解消される。そうなれば企業の投資は活発になり、賃上げも行うようになる。一言で言うと、積極財政によって日本経済に立ち込めている暗雲は一気に晴れるという主張です。マジックのような効果が期待されているようです。需要さえ増えれば企業は必ず成長するし、賃上げも行うという性善説でもあります。

確かにオーソドックスなケインズ経済学では、経済成長は需要が決定すると考えるので、この考え方は理解できないことはありません。この考え方をdemand-side economicsと言います。

とはいえ、「需要さえ増やせば経済は必ず回復する」という見方には、重大な問題点があります。

緊縮財政を問題視する主張が抱える3つの問題点

問題点1:財政出動は主に完全雇用を達成するために行うもの

ケインズ経済学では、不況のときには政府は財政を積極的に出動して、経済の均衡を高めるべきとされています。その目的は主に失業率を下げることにあります。逆に言うと、十分に失業率が低いときの財政支出は、オーソドックスなケインズ経済学では考慮されていません。少なくとも、単なる量的景気刺激策は想定されていません。

これは私の意見ではなく、教科書の内容です。私はこれを高校生のときに学びましたし、大学でも日本経済の戦後発展を勉強していたときに学びました。

言うまでもなく、ケインズ経済学で考えると今の日本で財政支出を増やすべきとは言い切れません。財政支出を増やすには、別の理屈が必要となります。なぜかというと、日本は失業率が低いだけでなく、史上最高の労働参加率を達成しているからです。

 

よって私は、「財政出動を単純に増やせば、経済は必ず回復する」という指摘に強い違和感を覚えます。

問題点2:単純な財政出動は1970年代に否定された

ところで、経産省はなぜ「単純な量的な景気刺激策ではなく」と書いたのでしょうか。それは歴史の教訓を受けてのことでもあります。

単純に財政さえ出動すれば経済は成長するという考え方は、1970年代に否定されています。この時代、アメリカやイギリスでは、政府が財政出動をしても、失業率が下がるどころか高まって、経済は成長しませんでした。スタグフレーションの時代です。財政出動しても経済が成長しなかったのは、供給側に問題があったからです。ここは極めて重要なポイントです。

この経験で、従来のケインズ経済学は否定されることになりました。イギリスでは、ケインズ政策は1979年のサッチャー首相の誕生によって、アメリカでは1981年からのレーガノミクスによって、否定されました。いわばフリードマンの時代の始まりです。

財政出動さえすれば経済は成長するという見方は、マクロ的には正しく見えても、ミクロの問題を無視した単純すぎる見方だったということがわかりました。バラマキ型の財政政策は、短期的な措置としてはありえても、中長期的な解決策ではないと認識されるようになって、今に至ります。

サッチャー首相の経済政策などを総称してsupply-side economicsと言います。需要側よりも供給側を優遇して、全体の経済成長率を高める考え方です。法人税を下げたり、規制緩和や構造改革をすれば、供給も需要も増えると論じられます。新自由主義とも言い、グローバリズムなどにもつながります。

今は経済成長率の低下、インフレ率の低下、設備投資の減少、労働分配率の低下、格差の拡大などを受けて、このsupply-side economicsは世界的に再評価されています。私はその動きが正しいと思います。

日本は「単純な財政政策に効果なし」の証拠物件

問題点3:日本は財政出動の効果を否定する絶好の例

実は海外では、日本は単純な財政出動の限界を示す事例として、多々紹介されています。1990年代に入ってから、日本政府はバブル崩壊による不況が短期的なものだとして評価して、何度も税率を下げ、金利も下げ、量的な景気刺激策を繰り返しました。しかし残念ながら、先ほど見たとおり、少なくとも経済成長につながることはありませんでした。

その何よりの証拠が、対GDP比の政府の借金(政府の借金/GDP)が世界一高くなっているという事実です。

 

日本では分子の借金を増やしたのに、分母のGDPがそれほど伸びなかったので、この比率が世界一になってしまいました。もしも財政出動をした分だけ経済が回復したのであれば、分母も分子も同時に増えますので、この比率はここまで悪化していなかったでしょう。また、ずっと緊縮財政であるならば、分子の借金がこれほど増えることはありませんでした。

もちろん財政出動をした年だけを見れば、景気の刺激策になります。それは事実です。しかし、財政出動の効果が持続性のあるものではなければ、その影響もすぐに消えてしまいます。すると、翌年にはまた財政出動が必要となります。

財政出動とGDPの動向から、日本の今までの財政出動は持続的な経済成長にはつながっていないと断言できます。持続性の低いバラマキでした。GDPだけでなく、平均給与も上がっていません。

スタグフレーションではありませんが、財政出動してもケインズ経済学どおりの結果を得られなかったのは事実です。

その波及効果まで含め、最終的に最初の財政支出の数倍の効果が出ることを、経済学では「乗数効果」と言います。1990年代からの日本の財政出動は、この乗数効果が低いものだったので、経済の回復につながっていないのです。2000年代に入ってから社会保障の負担が増えていきましたが、社会保障も乗数効果が低いことには変わりありません。

「消費税を引き上げたから持続性がなくなった」と反論する人がいるかもしれませんが、2020年度の消費税の総額はわずか21兆円にすぎません。550兆円のGDPを誇る日本経済が失速し続けていることの説明要因としては、まったく不十分です。

日本のデフレは供給側の要因が大きい

インフレ率が2%になるまで財政出動を継続すべきと主張する人は、なぜか日本経済の低迷の原因やデフレの原因のすべてを総需要側、特に緊縮財政政策にのみ求めています。これには大きな違和感を覚えます。

一般的な経済学の教科書では、供給側のデフレ要因として以下が考えられるとされています。

(1)石油価格などの低下
(2)円高
(3)技術革新
(4)生産性向上
(5)過当競争
(6)過剰供給

上で紹介した「供給側のデフレ要因」のうち、たしかに(1)はありません。(2)はアベノミクスの結果、是正されました。(3)と(4)は関係の強い要因ですが、日本の生産性は低迷していますので、デフレの要因としては非常に弱いです。

しかし、(5)の過当競争と(6)の過剰供給については、十分な考慮が必要です。この2つの要因を無視して「日本のデフレの原因は総需要の不足であり、それを補うための財政出動が必要だ」と結論づけることはできません。

日本は以前から企業部門が過当競争になりやすいと言われています。特に戦前は競争が凄まじかったので、戦後から1990年代まで、護送船団方式が適用されました。財政出動派は、この点をまったく無視しています。

さらに、彼らがほとんど注意を払っていない重要なポイントがあります。人口動態による需要ショック・過剰供給の問題です。

一般的な国では、継続的に人口が増えていますので、短期的に供給が過剰になっても、やがて自然と需要が追いついてきます。人口が増えているからです。このような国では、財政出動をして、新しい消費者にお金を回せば、なおさら需給が改善します。消費してくれる人が増えているからこそ、需要者にどうお金を回すかを考えるdemand-side economicsの理屈に意味が生まれるのです。しかし、これはあくまでも人口が増えている国の経済学です。

私は、緊縮財政をデフレの主因であると主張する人は、日本が少子・高齢化社会であることを軽視しすぎていると思います。

高齢化が進むと、消費するものとサービスの中身が大きく変わるうえ、1人当たりの消費額が減る傾向が強いです。例えば、医療、介護などの需要は確実に増えますが、大きく減る項目もあります。

同じ1億2000万人の人口でも、高齢化比率が5%と30%とでは、需要されるものが大きく異なります。そして総需要自体も、後者のほうがかなり低くなります。単純なマクロ分析では、国民1人ひとりの需要を見ることなく、全体を一括りにしてしまうので、高齢化によるミクロの需要減少を見落とす評論家が多いのです。

また、企業はその都度供給を減らし、それまでとは違う需要に対応するように切り替えないと、その分野が供給過剰になります。その結果、生き残りをかけた価格競争が始まり、価格が下落することになるので、ミクロレベルのデフレになります。

IMFが発表した「Impact of Demographic Changes on Inflation and the Macroeconomy」という論文では、次のように説明されています。人口が増えて需要が増えている間はインフレ圧力が強くなるが、企業は増えた需要に対応するため早いペースで供給を増やすので、インフレ効果は緩やかになる。逆に、人口が減って需要が減る時代には、企業が供給を減らすには時間がかかることが多い。時間がかかればかかるほど、デフレ圧力が長期化する。

これがまさに、今の日本で起きていることです。日本は現状維持志向が強く、現状を維持するために政府が補助金などを出す傾向も顕著なので、供給側(企業)の対応力は相対的に低いのです。

人口減少が起こす供給過剰を無視する財政出動派

このように高齢化による影響は大きいのですが、それ以上に最も大きな影響を及ぼすのが総人口の減少です。総人口が減るということは、他の条件を同一にすると、慢性的に需要が減少することを意味します。

当然ですが、経済の最大の支えである個人消費の総額は「人口×1人当たりの消費額」です。日本人1人当たりの消費支出は約300万円です。

2060年までに、日本人の人口はピーク時から、約3000万人減ると予想されています。他の条件を維持した単純計算では、需要の減少は90兆円にのぼります。乗数効果もありますので、経済への縮小圧力はもっと大きくなります。財政出動派は、現状維持するために、政府が毎年この90兆円分を穴埋めしろと言っているでのしょうか。

単純な財政出動派がしている誤解を、あえて単純なたとえ話で説明すると、以下のようになります。

ある企業には年間100台の車を生産する能力があります。その車は10年間乗れるので、一度買った人が買い替えるまで10年かかります。そのため、毎年100台の車を消費してもらうためには、1000人の消費者が必要になります。

ある時から、年間90台しか売れなくなりました。需要が足りないので、企業は価格を下げます。当然、デフレが起こります。

ここで、単純な財政出動派は、政府がお金を出せば需要が喚起されて需要がもとの100台に戻り、デフレが解消すると論じます。まぁ、なんとなく理屈が通っているように聞こえなくもありません。

1000人の人口のままで、ただ単に買う気持ちか買うお金がなくなったために買っていないのならば、政府がお金を出せば、確かにもとに戻ります。

しかし、90台しか売れなくなった原因が、実は消費者が900人に減ってしまっていたことだったらどうでしょう。毎年90台しか売れないのは、お金がないからではありません。これでは、政府がいくらお金を出しても需要は100台に戻らないので、デフレは解消されません。

なお、この企業が元の100台の供給を維持したいならば、10台を海外に輸出するという選択肢があります。一方、売上を維持したいならば、従来の100台を90台に減らして、より付加価値の高い車を開発したり、他の成長分野に投資するしかありません。

財政出動だけで日本経済は回復するか

単純な財政出動をインフレになるまで続けるという主張の根幹には、MMT理論があります。この理論では、一定のインフレ率を超えない範囲内でなら、いくら財政赤字を拡大させても問題ないとされます。

問答のようになりますが、このMMT派の人に、いくつか質問したいと思います。

財政出動をすると、空き家はなくなるのでしょうか。財政出動をすると、人口が減っていく分を補うくらい、国民はお米をたくさん食べるようになるのでしょうか。財政出動をすると、団体客をターゲットに建てられた昭和の旅館にお客さんは戻りますか。財政出動をすると、和服や工芸品の需要は大きく増えるのでしょうか。従来のビジネスモデルが人間の数に依存している飲食、宿泊、娯楽、美容院、商店街、アパレルなどはどうですか。

MMTはアメリカ発祥なので、アメリカ経済を理論構築の基準としています。アメリカは継続的に消費者が増えているので、仮に短期的に供給過剰になっても、時間がたてば解消されます。

政府がお金を出せば、供給過剰をより早く解消できるというのが、MMTの出発点です。つまり、買ってくれる消費者が常に潜在しているので、その人たちに十分なお金が渡れば、ものが売れ経済が成長するという論理なのです。

一方、人口が減少している日本では、ものやサービスを買ってくれる消費者が減っています。

2018年の段階で、空き家の数は849万戸に激増しています。スキーをする人はピーク時から激減してしまいましたが、スキー場はそれほど減っていないので、稼働率が大きく低下しています。

食生活が変化しないと仮定しても、国内では米を食べる人間の数が減るので、米の需要は減ります。お酒を飲む人も激減します。

新車の需要も減ります。学校の数も同様です。必要とされるオフィスの面積も減ります。労働者に与えるPCや機械などの需要も減少します。

要するに、日本では人口が大きく減少することによって、需要の構造が変化しているのです。このままでは慢性的に需要は減少します。その結果、供給が過剰になり、適正レベルまで調整される間はデフレ圧力がかかり続けるのです。

このように人口動態も経済に大きな影響を与えるので、日本のデフレ問題は「消費税の引き上げに原因がある」から、「政府は財政出動をしろ!」と主張するのは、あまりにも単純すぎるのです。

要するに、財政出動派の多くはマクロ経済学の信奉者なのです。彼らは単純に、今の供給量に対して需要が足りていないのだから、政府に対してその分だけお金を出せと主張しています。総供給と総需要をただの総額として見ているだけで、その中身を見た議論ではありません。

彼らはミクロを見ていないので、誤解しているのです。100台の車を買う人がいるかどうかというミクロ分析をせずに、90台しか売れないという現実を、お金が足りないからだと都合よく決めつけているだけです。

インフレになるまで財政出動をしろ、と言っている人が、人口動態による需給の変化の問題を考慮していない理由は明確です。それは、オーソドックスなマクロ経済学では、人口増加が暗黙のうちに仮定されているからです。単純な財政出動派は人口減少を考慮しないオーソドックスな経済学を素直に信じているので、誤解をしているのです。

そのため、彼らは財政出動さえすれば、デフレが解消し、日本の生産性が劇的に向上すると主張するのです。しかし、ここまでの説明をお読みになっていただければ明らかなとおり、人口が減少している経済ではそのとおりになる保証はありません。

財政出動は現状維持のためには使ってはいけない

それどころか、無秩序・無条件な財政出動は大変な危険を孕んでいます。

多くの経営者は、既存商品を求める人が減っているので、売上の減少に直面しています。私自身、観光戦略でも、小西美術工藝社の仕事でも、それを強く実感しています。

この場合、本来は新しい商品を開発し、新しい需要を発掘をしないといけないのですが、それは口で言うほど簡単なことではありません。もちろんリスクもありますし、労力も甚大です。

そこで経営者たちは、会社を守るために競争を制限して、減った需要を政府に補完してほしいと要望する誘惑に駆られます。実際、たとえば呉服業界は国に対して、今の日本人は着物を買わないから政府に買い上げてほしいと要望しています。

しかし、それはあまりにも甘えすぎです。人口が減る以上、現状維持はあり得ない。これが私の考えです。ですので、現状維持のために財政出動をしてはいけないのです。現状維持のための財政支出は乗数効果が低いので、補助金漬けとなるだけです。

財政出動は成長分野に集中するべき

世の中にはいろいろな人がいます。とにかく政府に無条件・無規律的にお金を出させたい人の中には、デマを巻き散らかしてでも自分の主張を通そうとする人すらいます。

そういう人の一部は今日の記事を読んで、おそらく「アトキンソンがまた中小企業を淘汰せよと言っている」と喧伝するでしょう。しかし、私はそんなことを言っているのではありません。そもそも、私は中小企業の淘汰論者ではありません。私は生産性向上論者です。中小企業は淘汰するのではなく、強くすべきだと主張しています。

ただ単に企業を淘汰したからといって、生産性は向上しません。生産性は、経営者が成長分野に設備投資をして初めて向上します。現状維持では不可能なのです。

繰り返しになりますが、私は財政出動の必要性自体を否定しているわけではありません。

今求められているのは、各企業が既存の商品やサービスを再検証し、今後の人口動態に合わせたビジネスモデルに切り替えることです。成長分野により多く投資をして、新しい需要に合わせて、供給を増やすべきです。

デジタル、グリーン、付加価値のより高い商品開発、イノベーションなどに投資を誘導するための財政出動は必要不可欠です。

だからこそ、経済産業省は「事業再構築補助金制度」を実施しているのです。この制度の目的は「新分野展開、業態転換、事業・業種転換、事業再編又はこれらの取組を通じた規模の拡大等、思い切った事業再構築に意欲を有する中小企業等の挑戦を支援」することとされています。

今回の記事に対して、反緊縮財政論者やMMT論者からは、「アトキンソンは緊縮財政派だ」と声が上がると思います。しかし、私は別に財政出動自体を否定しているわけではありません。私が否定しているのは、乗数効果が低い、現状維持のためのバラマキ的な財政出動です。

政府がお金を出す「だけ」で、生産性が上がるとは到底思えません。賃金が上がるともまったく思えません。

事実、今までも政府は巨額の財政出動をしてきましたが、賃金は上がっていません。企業の内部留保と配当が増えただけです。

しかし、企業に生産性向上と賃金の引き上げを促すためには、絶対に需要の創出が必要です。ですので、そのための財政出動は不可欠です。

ここで大切になってくるのが、本記事の冒頭で紹介した「生産的政府支出=PGS」です。この経済政策の新しい指針が示唆しているように、政府の財政出動は、GDPの成長に直結する投資を促すことを最優先にするべきだと思います。

この観点が、これまであまりにも軽視されていました。だからこそ、日本の財政はいまだ健全な状態に戻れないのです。

経済産業省が指摘しているように、今後日本はこれまでのような「単なる量的景気刺激策」ではなく、GDPの持続的な成長につながる財政出動をするべきです。とはいえ、財政出動の規律は求められます。

以前のように誰も使わない箱ものをつくったり、経済合理性が低い既得権益を守ったりするのではなく、血税を生産性向上、賃金の増加につながる生産的な、乗数効果の高い支出に最優先で向けるべきなのです。

次回は、インフレが2%になるまで財政出動をすれば経済は回復するという考え方をさらに検証します。