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スマホに「殺された」デジタル家電、復活・共存の道は?【けいざい百景】

スマートフォン(スマホ)が本格的に普及しておよそ10年。手のひらで繰り広げられる「イノベーション」の陰で、カメラやICレコーダーなど、幾つものデジタル家電が市場を失った。ある企業は事業売却を余儀なくされ、また別の企業は共存共栄の道を探り続ける。われわれの生活を彩り、便利さを実感させた数々の機器。統計データに基づき、その栄枯盛衰の現代史をひもといてみたい。

 「スマホ時代」の嚆矢(こうし)となったのは2008年7月、ソフトバンクモバイルによる米アップル製「iPhone(アイフォーン)3G」の国内販売だ。ソフトバンク表参道店には1500人以上の若者らが並び、孫正義ソフトバンク社長(当時)は「これほどの感動と興奮を与える製品は歴史上何回かしか現れない」と強調した。

 その後、国内メーカー各社が相次いでアンドロイドOSのスマホを発売。スマホは通信の高速化やアプリの多様化とともに、画質や容量、機能などあらゆる面で進化を遂げた。MM総研(東京)によると、携帯電話の国内出荷数のうち、スマホが初めて半数を超えたのが11年度。それから一気に従来型の「ガラケー」(フィーチャーフォン)を上回り、20年度は全体の93%、3276万台がスマホだった。

デジカメ、10分の1に

 スマホの登場は、写真文化を変えたと言っていい。スマホで撮影した写真はその場で友人と共有でき、アプリを使った加工も簡単だ。「自撮り」「映え」など新しい潮流も生んだ。スマホの高画質化も進み、今や画素数は最大1億画素を超え、弱点だった超広角や望遠などの撮影も複数のレンズ搭載でカバーする。

 一方、そのあおりを大きく受けたのがデジタルカメラ。カメラ映像機器工業会(CIPA)によると、08年の国内向け出荷数は1111万台だったが、昨年は129.6万台と、実に10分の1程度に縮小してしまった。

 「あらゆる意味で根幹となる事業だった」。オリンパスの竹内康雄社長は今年1月、映像事業からの撤退に際して、こうコメントを寄せた。1936年からカメラを手掛け、近年は女優の宮﨑あおいさんを起用したCMで「カメラ女子」ブームの先駆けとなった同社。しかし、販売不振に苦しみ、投資ファンドの日本産業パートナーズ(東京)に事業の大半を売却した。

 「衝撃に強い『タフ』シリーズも持っていたが、耐衝撃性を売りにするスマホまで出てきた」。あるオリンパス社員は悔しさをにじませる。ブランドは譲渡先企業が維持するが、オリンパス自身は内視鏡や顕微鏡を主力とする「メドテック」企業になった

 苦戦するメーカーは多い。カシオ計算機は18年度にコンパクトデジカメから撤退。ニコンは22年3月末までに一眼レフ本体の国内生産を終了する。「ペンタックス」などで知られるリコーの山下良則社長は今年3月の中期経営計画説明会で「連携や出資の受け入れも選択肢の一つ」などと語った。

3大メーカー、牙城崩壊

 動画撮影も常態化した。つい最近まで、小学校の運動会ではビデオカメラを回す親が目立ったが、今はスマホ撮影が中心。テレビには一般視聴者が撮影した「スクープ映像」があふれ、女子高生らはお目当ての「ティックトッカー」の動画をチェックするのが日常だ。

 電子情報技術産業協会(JEITA)によると、ビデオカメラの国内出荷台数は12年の186万台から20年には25万台に低下。わずか8年で、市場は1割強に縮小した格好だ。

 トップシェアの常連パナソニックは4Kなど高性能モデルを中心に一定の需要は残ると見ている。一方、JVCケンウッドはここ2年、家庭向けの新商品は投入していない。「スマホへの置き換えやオンラインイベントの増加など新しい生活様式に移行する中、(家庭用の需要が)復活することはない」と見て業務用に資本を集中する。

 ICレコーダーも低迷している。JEITAによれば、12年に144万台を数えた国内出荷数は、20年に49万台に減少した。オリンパスはデジカメとともに事業を譲渡。パナソニックも撤退を決め、今年から段階的に生産を終える。かつて家電量販店の棚でしのぎを削った3大メーカーの牙城はすでに崩壊し、残るのはソニーグループ傘下のソニーのみとなっている。