コロナ下の株高を説明する最新経済理論のツボ

金利が低ければ株価は高くなる

新型コロナウイルスのデルタ株が猛威を振るっており、日本経済はなかなか低迷からの出口が見通せない。そうした中で、株価は依然として好調である。

この状況はコロナ禍が起きる前から続いている。実体経済は低調なのに株価が非常に高い。2019年末、中国で新型コロナウイルスによる新型肺炎が発生し、世界各国へと感染が広がった。日経平均株価は2020年の3月には1万6000円台まで急落した。

経済の当初の混乱が収まると株価は回復を見せ、上下しながらも、2021年2月に3万円を超える高値をつけた。その後は2万円台後半で推移していたが、9月8日には約5カ月ぶりに終値で3万円台を回復した。

実体経済が悪いのに、なぜ株価はこんなに高いのか。経済理論ではどのような解釈ができるのだろうか。

拙著『ネットニュースではわからない本当の日本経済入門』で詳しく説明したように、中央銀行の金融緩和によって金利が非常に低くなっているということが、強い説明力を持っている。一般的に金利が低いほど、株価は高くなる傾向があるのだ。

資産価格は投資家が合理的な行動をとるという前提で決まると考えられている。効率的市場仮説と呼ばれる議論の大前提だ。それによると、市場には合理的な計算で行動する投資家が多数おり、その中で資産価格が決定される。

そうした中では、「市場を出し抜く」ことは不可能である。大衆の知恵に勝つことはできない。これが効率的市場仮説の考え方である。確かに、多くの優秀な投資家が膨大な情報を駆使して投資運用をしている中で、自分の見通しだけが正しくて「市場を出し抜く」ことができると考えるのは難しい。

効率的市場仮説が正しいとすれば、「投資はパッシブ運用にすべきだ」ということになる。

パッシブ運用とは、特定の銘柄や特定のポートフォリオに投資するのではなく、株価のインデックスあるいはそれに近い多くの資産に分散したポートフォリオに投資する手法だ。運用会社がいくら知恵をしぼっても大衆の知恵あるいは市場の力には勝つことができないので、恣意的に作成したアクティブな運用で市場を出し抜くことはできないという考え方だ。

こうした効率的市場仮説の考え方は正しいように見える。いろいろな投資信託が出ているが、S&P500や日経225のようなインデックスへの投資よりも高いリターンをあげ続けることは難しいように見える。ただ、アクティブな投資に意味がないというのでは投資運用会社の存在意義がなくなる。

現実的には、たとえばウォーレン・バフェット氏の率いるバークシャー・ハサウェイは非常に高いリターンを出し続けている。こうした現象は効率的市場仮説では説明できない。

また、株式市場ではしばしばバブルやその崩壊が起こっているが、投資家が合理的に行動しているということでは説明できない。

バブルが起きるときには大衆の知恵ではなく、群衆の狂気が働いているように見える。皆が正気を失って株価の高騰をあおるような行動、あるいは株価暴落に狼狽して売り急ぐ投資家が、非常に多く見られるのだ。

人の行動の歪みにはある種の一貫性がある

そのような中で、投資家も人間であり、その行動は合理性だけでは説明できない、という行動経済学的な視点に立った資産市場の分析が多く出されている。

行動経済学は、「人々の経済活動はウルトラ合理性では説明できないことがある。ただ、その歪みにはある種の一貫性がある。つまり、予想できる程度に不合理である」という視点を強調する。

効率的市場仮説が正しいのか、それとも行動経済学が正しいのか。こうした二者択一の問題設定は正しくない。どちらも市場を理解するために重要な視点を提供しているが、どちらか一方だけで市場が説明できるといえるものでもないのだ。研究者の間でも意見は割れているし、時期によって両者の説明力に差も出てくるようだ。

 

コロナ禍にもかかわらず株価が非常に高いという現状を、効率的市場仮説で説明しようとすれば超低金利ということになる。しかし、この株価を金利だけで説明するのは苦しい面もある。そこで行動経済学の中で提起されている1つの見方を紹介してみたい。

1つの意識が別の行動にも影響を及ぼす

ある研究者によって、次のような実験が行われた。部屋に集めた参加者たちに紙を配り、自分の携帯電話の番号の下2桁を書いてもらう。00から99までの番号だ。そのうえで、ワインを1本出して参加者に値段をつけてもらう。値段は100ドル以下であり、最も高い価格を出した参加者がその価格でワインを買い取ることができるという単純なオークションだ。

驚くべきことに、その結果を見ると、下2桁の番号が高い人ほど高い価格をワインにつける傾向が顕著であったという。同じ実験をいろいろなところで行ったが、同じような結果が出たという。こうした結果をどう評価したらよいのだろうか。

携帯電話の下2桁の番号は、ワインへの評価とは明らかに関係ない数字だ。しかし、実際に2桁の番号を紙に書いてしまうと、その数字が頭の中に定着してしまうようだ。刷り込みと言ってもよいかもしれない。それがワインへの入札価格にまで影響するということだ。

こうした行為は合理的であるとはとても言えないが、人間の行動としては何となくわかる気がする。行動経済学では同じような実験が世界のいろいろなところで行われており、このようなオークションでもあちこちで同じような結果が出たという。

心理学者のダン・アリエリーは、こうした現象を恣意の一貫性と呼んだ。たとえ最初の「価格」が恣意的でも、それがいったんわれわれの意識に定着すると、現在の価格だけでなく未来の価格まで決定づけられるというのだ。

資産価格にもそうした面がある。株価が急速に上昇を続けたときには、「実体経済が悪いのに本当にこんなに株価が上がって大丈夫なのか」と多くの人が不安を感じた。高い株価に慣れていなかったからだ。

しかし、3万円近い株価が続くと、それが当たり前のように感じられてしまう。要するに「高い」価格に慣れてしまうのだ。

いったん3万円という株価を経験すると、その水準が刷り込まれていって、そこから数千円下がっただけでも株価が大幅に下がってしまったと感じる。ほんの1年半ほど前には1万6000円台の株価を経験したというのに。

効率的市場仮説が正しければ、経済の変化に株価は敏感に反応するはずである。しかし現実には、いったんある水準で安定すると、そこにしばらくとどまっている傾向があるように見える。

コロナ禍の直前には日経平均は2万3000円前後であったが、これは2013年以来のアベノミクスの流れの中での株価水準であり、それ以前は1万円前後という状態が長く続いていた。

恣意の一貫性が、歪んだ資産価格を支える

為替レートについても同じだ。現在、円ドルレートは110円前後でずっと推移している。私たちもこれが当たり前のように感じている。

しかし、10年ほど前は80円前後で推移していたし、それを当たり前のように感じていた。いま、80円というとべらぼうな円高に見えるし、当時であれば110円というのはかなりの円安と感じたに違いない。

もちろん、この間にアベノミクスの下での大胆な金融緩和があった。そのため為替レートが変化するのは当然である。ただそれにしても、それだけで80円から110円へと見方が大きく変化したことを説明するのは難しいようにも思える。

コロナで実体経済が非常に弱いのに、株価が非常に高い状況をバブルということは難しい。バブルは非合理的な投資行動によって起こされるが、非合理的に見えるすべての資産価格形成がバブルというわけではない。恣意の一貫性という現象が時として歪んだ資産価格を支えることもあるのだ。

コロナ禍がいつ収束するのかは見通せないが、いずれそうした事態になったとき、経済にはさまざまな変化が起きてくる。それによって現状の恣意の一貫性がどのように崩れていくのか、注意する必要がある。