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シャープの新「補聴器」画期的だが心配な5つの訳

「その商品は、いったいどのような市場を狙っているのかね」

サラリーマンなら誰しも、新商品や事業計画を企画しプレゼンしたとき、社長、役員、そして上司からこう突っ込まれた経験があるのではないか。

このような発言がお決まりのように飛び出すのは、今や、フィリップ・コトラーが提唱したフレームワーク「STP分析」がマーケティング戦略の定番であり、ビジネスマンの「既成概念」になっているからだろう。改めて説明するまでもないが、Sはセグメンテーション(市場細分化)、Tはターゲティング(狙う市場の決定)、Pはポジショニング(立ち位置の明確化)を指している。

しかし、新製品や新事業の発表内容を精査していると、本当にこれでいいのか、と心配になる点が少なくない。本稿では「杞憂に終わればいいが」と前置きしたうえで、シャープの新製品を事例にしてターゲット・マーケティングの注意点について解説する。

シャープが耳穴型補聴器で価格破壊を起こす

シャープは、軽度・中等度難聴者に適したワイヤレスイヤホンスタイルの耳穴型補聴器「メディカルリスニングプラグ」(型番:MH-L1-B)を9月中旬以降に発売する。医療機器製造販売業者で同市場のマーケティングに長けたニューロシューティカルズと業務提携し商品化した。価格は9万9800円。補聴器の両耳(2台)分の平均購入価格は約30万円なので、その3分の1で発売することになる(長期間保証サービスはオプション)。まさに価格破壊である。

同社は2020年9月に、健康・医療・介護分野を成長領域にするという計画を発表した。この補聴器は管理医療機器の認証を取得した商品第1弾となる。「小型の通信機器。通信事業本部の通信技術、小型省電力化技術、AIoT技術を結集した」(通信事業本部デジタルヘルスソリューション事業推進部長の石谷高志氏)という肝煎り商品である。

AIoTとは「AI(Artificial Intelligence:人工知能)」と「IoT(Internet of Things:モノのインターネット)」を組み合わせ、シャープが作った言葉だ。

最大の特徴は、補聴器の機能に加えて、ワイヤレスイヤホンのように高音質で音楽を聞け、スマートフォンをハンズフリーで通話できるようにした機能だ。見た目も、ワイヤレスイヤホンと思わせるデザインである。

この分野の担当役員である津末陽一専務執行役員(ICTグループ長)がソニー出身で、ソニー・オリンパスメディカルソリューションズ社長を経て、2019年6月に取締役(監査等委員)としてシャープに入社したというキャリアから見ても、その経験が生かされた商品企画といえよう。

価格破壊と既存製品と大きく異なる機能を備えた差別化戦略で新市場を開拓する。この2点を見るにつけ、世界初の電卓を生んだシャープの歴史を思い起こさせる。

1960年頃、創業者・早川徳次氏の名番頭で2代目社長を務めた佐伯旭氏は、「八百屋の奥さんにも使ってもらえるような電子ソロバンを目指せ」とビジョンを掲げた。

この言葉の背景には、2つの理由があった。1つは、当時、コンピューターが商店街の店主では手が届かない桁違いの高価格で、専門知識がないと使えなかったという実情。もう1つは、シャープは大型コンピューターの開発を目指していたのだが、当時、通商産業省(現・経済産業省)が国家プロジェクトとして取り組んだ国産コンピューターの開発助成制度の対象から同社が外されるという不運があったことだ(超高性能電子計算機プロジェクトに選ばれたのは、富士通、日立、NEC、東芝、三菱電機、沖電気の6社)。

栄光の歴史復活に漂う5つの懸念

そこで、シャープは「いつでも、どこでも、だれにでも」使える計算機へ舵を切り、1964年に電卓「コンペット」の開発に成功した。それでも53万5000円もの値をつけ、一般消費者にとっては高嶺の花。その後は驚異的スピードで技術革新を展開し、1969年には小型軽量の電卓を9万9800円で売り出すことに成功する。電卓という新市場を創造するだけではなく、省電力、省スペース化をはかるために開発した液晶ディスプレイと太陽電池は、同社の次世代主力事業となる。

話を今回発表された補聴器に戻すと、まさに電卓で実現した栄光の歴史の復活にも受け取れるが、冒頭に記したとおり突っ込みどころもある。次の5点だ。

① ターゲットを絞り込むことで、より大きな成長市場を見過ごすことにならないか。
② 「補聴器のシャープ」というブランドを定着させることができるか。
③ 多機能を強調することにより、補聴器としての打ち出しが弱くならないか。
④ 使用者を見る周囲の目を気にしているか。
⑤ 価格競争に巻き込まれてコモディティー化しないか。

まず、①ターゲティングについてである。「メディカルリスニングプラグ」を市場導入するにあたり、シャープはある変化に気づいた。

難聴自覚者の補聴器の保有率は14.4%にとどまっており(2018年日本補聴器工業会調査)、軽度・中等度の難聴自覚者に限定すると、補聴器を所有していない人は1134万人に達する。この層で、コロナ禍リモート(テレ)ワークの普及によるニューノーマル生活のもと、ビデオ会議やマスク装着、パーティション越しの会話で不便を感じる人が増大している。

シャープは「まだまだバリバリ働きたいが、今後、仕事を続けられるのか」「いつまで耳の健康を維持できるか」「パフォーマンスが落ちないか」と悩む難聴の現役ビジネスパーソンを顧客にできないかと考えた。彼らをターゲットにし、「聴く力が健康な状態である健聴寿命期間の延伸で生涯現役社会の実現に貢献したい」(津末専務)という。

確かに、既存製品が見逃していた未開拓の市場に差別化された新製品を投入する戦略は、ある意味、ニッチ戦略として評価される。現役時に難聴を自覚した人は、リタイア後も引き続き補聴器を利用するだろう。

だが一方で、現役ビジネスマンにターゲットを絞り込むことによるリスクもある。2015年時点で65歳以上の人口が総人口の4分の1を超えた超高齢社会の日本において、成長性と利益率が高い宝の山をあえて避けることになっていないだろうか。スマートフォンを活用してリモートで行う自慢のサービス“COCORO LISTENING”でもこの点が懸念される。

スマホを使い慣れた世代にはありがたいが…

補聴器を購入すると、音の調整、フィッティングのため販売店に3~10回ぐらい足を運ばなくてはならない。対して、「メディカルリスニングプラグ」の購入者はスマートフォンで専用アプリを使い、資格を持つ補聴器のフィッター(相談員)に相談し、後日、使う環境や耳の状態に合わせてプロに調整をしてもらえる。確かに、スマートフォンを使い慣れた世代にとっては、ありがたいサービスである。

しかし、コロナ禍におけるワクチン接種予約でどれほど多くの高齢者が戸惑ったことか。スマートフォンを使えないので、なかなかつながらない中、電話を何度もかけざるをえなかったと嘆く老人が多く社会問題となった。まさにこの層が補聴器の主要ユーザーなのである。現在の60代でさえアプリ慣れしていない人がいる「デジタル後進国」日本の現状をシャープはどう見ているのだろうか。「メディカルリスニングプラグ」自慢のサービスを見る限り、社会問題解決にはつながっていないようだ。

この背景には、開発に関わった人たちの年齢が影響しているのかもしれない。津末専務は62歳。石谷部長は56歳で、これまでは携帯電話やスマートフォンの商品企画に従事していた。昨年7月に発足した「デジタルヘルスソリューション事業推進部」の部長としてヘルスケア分野での商品開発に取り組んでいる。「メディカルリスニングプラグ」の商品企画に携わったメンバーは、40~50代が中心となっている。まさに、開発者やマーケターと顧客の世代が一致しているのである。

このような傾向は、他製品の商品企画、マーケティングでも見られる。高齢社会で高齢者市場が大きな位置を占めるようになってきているのにもかかわらず、商品やサービス、コンテンツを開発する人たちは「現役」の人たちである。どうしても「同世代」に関心があり、その情報も多く耳に入る。企画会議などでは「最近、私の知り合いがねえ……」といった話題から始まる。ターゲット・マーケティングの対象が知らないうちに、身近な存在に偏っているのである。この何気ない日常が日本で最多人口の「高齢者市場」を開拓するうえでの障害になっている。

このことに関連するが、②「補聴器のシャープ」というブランドを定着させることができるか否かが心配される。「シャープ」と聞けば、「液晶のシャープでしょ」と答える人は多いが、「補聴器で有名な会社ですよね」と答える人はいない。つまり、まずは幅広く補聴器ユーザー層に訴えかける製品を第1弾として打ち出すマーケティング戦略が優先されるべきであったのではないか。

シャープには差別化されたとがった製品を出しながら、その市場を継続的に拡大できなかった事例がある。液晶モニターを見ながら撮影ができるようにしたビデオカメラ「液晶ビューカム」(1992年発売)である。他社のビデオカメラはすべてビューファインダーをのぞく製品だったが、「液晶ビューカム」は撮影した映像をすぐさま液晶ディスプレイで楽しめる機能が大変話題を呼び、大ヒット商品となった。ところが長続きはしなかった。ソニー、パナソニック、キヤノンなどが同様のビデオカメラを相次いで発売した。その結果、「ビデオカメラのシャープ」になれず、同市場から消えていく運命をたどった。

過剰な多機能でいいか

 

日本の家電メーカーの低迷を見て、「いい製品が売れるとは限らない」とよく揶揄される。その一因として指摘されるのが「過剰な多機能」である。そこで、「補聴器だけでなく、音楽も楽しめますよ」「スマホで通話もできますよ」とうたっている「メディカルリスニングプラグ」においても、③多機能を強調することにより、補聴器としての打ち出しが弱くなり、補聴器ブランドを形成するうえで不利にならないか、と懸念される。

多機能化は日本人のこまやかな気配りによるところが大きい。だが、空気を読めず、往々にして空回りしていることがある。「メディカルリスニングプラグ」についてシャープは、「ビジネスシーンにマッチするスタイリッシュなデザインで、眼鏡や時計のように日常的に着用したくなる新しいスタイルの補聴器としてご提案します」と強調している。現役ビジネスマンのビジネスシーンを想定しているのだろう。

では、④使用者を見る周囲の目を気にしているだろうか。なかなか、この補聴器のデザインはおしゃれでしょ、と自己満足していても安心できないのがビジネスの現場である。たとえば、営業マン(ウーマン)が初対面の顧客と名刺交換したとき、顧客は「メディカルリスニングプラグ」を装着している営業担当者の耳元を見てどう思うか。「この人、音楽を聴いているのか」と思わないまでも、「電話するためにイヤホンをつけているのかもしれないが、話をするときぐらいは外しておけよ」と不愉快になっているかもしれない。むしろ、誰もが「補聴器」と認識できる耳掛け型のデバイスを着けているほうが、顧客も「難聴者」として配慮してくれるだろう。