根拠なき熱狂の再現?ビットコインのナラティブ

通俗ナラティブの例:ビットコイン

本書『ナラティブ経済学』は、経済的変化の新理論の発端を提供するものであり、経済を動かす経済要因の一般的な一覧に重要な新要素を付け加える。

それは口承やニュース媒体、ソーシャルメディアを通じて広がる、感染性の通俗物語だ。

通俗的な思索はしばしば最終的に決断に影響する。たとえばいつどこで投資すべきか、いくら消費していくら貯蓄するか、大学に行くべきか就職すべきかといった決断だ。

ナラティブ経済学者、つまり経済行動に影響する通俗ナラティブのヴァイラルな拡散の研究は、経済的な出来事を予測し、備える能力を改善できる。また経済制度や政策の構築にも役立つ。

この方向性の感じをつかんでもらうために、まずは最近全開となっている、そうした通俗ナラティブの一例を見てもらおう。

ビットコインは、何千種類もある民間発行の暗号通貨──ライトコイン、リップル、イーサリアム、リブラなど──のはしりであり、すさまじいおしゃべりや熱狂や起業活動を生み出した。

ビットコインは、投機的な熱狂と、実際の商業利用ではなく市場価格から見て、史上最も驚くべき暗号通貨だ。それを取り巻く各種のナラティブは、ナラティブ経済学の基本的な疫学を議論するための直感的な基盤を提供してくれる。

経済ナラティブというのは、人々が経済的判断をするやり方を変えそうな、感染性の物語を指す。経済的判断とは、労働者を雇うか好機を待ち続けるか、事業でリスクを負うか慎重になるか、事業を立ち上げるか、変動の激しい投機的資産に投資するかといった判断だ。

経済ナラティブは通常、流通している中で最も有力なものではないし、それを見極めるには、それが経済的行動を変える潜在力を見る必要がある。

ビットコインの物語は成功した経済ナラティブの一例だ。きわめて感染性が高く、世界の相当部分でかなりの経済的変化をもたらしたからだ。本当の起業家的な情熱をもたらしただけではない。少なくともしばらくは、事業の安心感を刺激したのだ。

ビットコインの物語と市場のバブル

ビットコインの物語は、ひらめきにあふれる都会的な若者についての物語であり、それが鈍重な官僚たちと対比される。それは富、格差、先進的な情報技術の物語であり、謎めいた理解不能の専門用語だらけだ。

ビットコインという疫病は、多くの人にとっては折り重なる驚きのシーケンスとして発達してきた。

ビットコインは、最初に発表されたときにも驚きだったし、世界的な関心が急拡大する中で何度も驚きをもたらした。ある時点で、ビットコインの総価値は3000億ドルを上回った。

だがビットコインは、みんなが価値あるものと思わなければ何の価値もない。

これについては支持者たちもはっきり認めている。ビットコインの価値は、ほんの数年でどうやって0ドルから3000億ドルになったのだろうか?

ビットコインの発端は2008年にさかのぼる。「ビットコイン:P2P(ピア・ツー・ピア)の電子通貨システム」という論文が、サトシ・ナカモトという署名で某メーリングリストに頒布されたのだった。

2009年には、ビットコインと銘打った初の暗号通貨が、その論文の発想に基づいて立ち上げられた。暗号通貨というのは、コンピュータが管理する公開台帳であり、人々がそこへの計上をお金として認め、それを購入や販売に使う限りお金として機能する。

暗号通貨の基盤には驚異的な数学理論があるが、人々がなぜそれを価値あるものと見なすのか、あるいはほかの人がそれに価値を認めると信じるに至るのはなぜかについては、その理論は何も指摘していない。

しばしばビットコイン批判者たちは、それが投機バブルでしかないと述べる。伝説的な投資家ウォーレン・バフェットはそれを「ギャンブルの装置だ」と述べた。

批判者たちはその物語が、1630年代のオランダで起きた、有名なチューリップ狂乱の物語に似ていると考える。チューリップの場合、投機家たちはチューリップの球根の値段をあまりにつり上げ、球根1つが家1軒に相当する価値を持つようになった。

これはつまり、ビットコインが今日価値を持っているのは世間の興奮のせいだということだ。ビットコインが現在のようなすさまじい大成功を実現するには、人々はビットコイン現象にかなり興奮して、聞き慣れない交換所を探し出してそれを買うだけの行動を取る必要がある。

チューリップバブルの再現?

ビットコイン支持者に言わせると、ビットコインを投機バブルと呼ぶのは侮辱の最たるものだ。彼らがよく指摘するのは、ビットコインの世間的な支持は、ほかの多くのものに対する世間的な支持と根本的には大差ない、ということだ。

たとえば、黄金は何千年にもわたり世間の心の中ですさまじい価値を維持してきたけれど、ほかの何かをみんながお金として使い始めていたら、世間はそれに大した価値を与えなかったことも十分ありうる。人々が黄金に価値があると思うのは、ほかの人が黄金に価値があると思っているからだ。

さらにピーター・ガーバーは著書『有名な初のバブル』(2000)で、バブルがずいぶん長続きすることを指摘している。

17世紀のチューリップ狂乱の後もずっと、珍しく美しいチューリップは、そこまで極端ではないにしても、高い価値を持ち続けた。ある意味で、チューリップ狂乱は今日ですら、抑えられた形で続いている。同じことがビットコインにも起こるかもしれない。

それでもビットコインの価値はきわめて不安定だ。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』の見出しによると、ある時点で、ビットコインの米ドル換算価値は、何かことさらニュースがあったわけでもないのに、40時間で40%も上昇した。

技術をよく理解している人は少ない

こんな変動性は、価格の落ち着かない上げ下げにつながりかねない、経済ナラティブの疫病的な性質の証拠だ。

ビットコインの技術的な説明は控える。ただ、それが何十年もの研究の賜物であることは述べておこう。ビットコインの取引をする人で、その技術を理解している人はほとんどいない。

ビットコインマニアに出くわしたときには、しばしばその根底にある概念や理論を説明してくれるよう頼んでみる。たとえばマークルツリーや楕円曲線デジタル署名アルゴリズムなどだ。あるいは、ビットコインを限られたスループットの混雑待ち行列ゲームの等価物として描いてくれるよう頼んでみる。

通常、ぽかーんとした顔がかえってくるだけだ。だから最低でも、理論はこの物語の中心的なものではない。だれかきわめて賢い数学者やコンピュータ科学者がこの発想を思いついたという基本的な理解くらいしかない。