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なぜ「パーパス経営」が「御社」に実装できないのか

パーパス経営が注目される背景

パーパス経営が、世界中で注目されている。以下の外部市場の変化が背景となっている。

1つ目が顧客市場。BtoC市場では、倫理的な(エシカル)消費が台頭している。BtoB市場では、地球や社会に負をもたらす企業は、そもそも市場から締め出されてしまう。

2つ目が人財市場。現在30代(ミレニアル世代)、20代(Z世代)、そして10代(アルファ世代)の若者は、「働きがい」を求めている。いくら「働き方」改革を進めても、地球や社会にやさしくない企業には、いい人財は集まらない。

3つ目が金融市場。ここではESG(環境・社会・ガバナンス)が投資や融資の基軸となりつつある。ESGに注力したところで、企業価値が高まるわけではない。しかし、ESGに配慮しなければ、いずれ資金が集まらなくなる。

パーパスは「存在意義」と訳されることが多い。しかし、それではいかにもよそよそしいので、筆者は「志」と訳している。金の自己増殖運動に振り回される資本主義(キャピタリズム)に、未来はない。これからは、志に基づく「志本主義(パーパシズム)」の時代が到来するはずだ。

そのような思いを込めて、筆者は4月に『パーパス経営――30年先の視点から現在を捉える』を上梓した。パーパス理論の進化のプロセスや先進事例を紹介し、日本企業が日本流の志本経営を軸に世界をリードする可能性を示唆したものだ。

■パーパス経営の実践の壁

企業人の多くは、パーパス経営の必要性に気づいている。しかし、その実装に関しては、まだまだ手探り状態のようだ。

 

最近、筆者が登壇したパーパス経営のウェビナーには、300人以上の視聴者が集まった。そのうちの4分の3が、「自社ではパーパスを明文化している」と回答。さすがに先進的な方々の集まりだけある。

一方、「パーパス経営の実践上の課題は?」という問いに対しては、40%が「[3]社員への浸透が進まない」と回答。「[1]パーパスの定義が難しい」(25%)、「[2]パーパス実現のための投資ができていない」(14%)がそれに続いた。

落とし穴1 定義の勘違い

筆者が実際の経営の現場でパーパス経営を支援させていただく際にも、大きく3つの落とし穴に遭遇することが多い。そこで、以下では、実践上のこれら3つの落とし穴と、その回避策について論じることにしたい。

第1の落とし穴が、上記[1]の「パーパスの定義の勘違い」だ。これでは、そもそもの出発点で大きく躓いてしまう。

自社のホームページに、「社会課題を解決する」「持続可能な未来を創る」などといった抽象的な標語を掲げているところが少なくない。最近では、SDGs(持続可能な開発目標)の17のゴールになぞらえて、パーパスを掲げる風潮が広まっている。

もちろん、それは見当外れではない。しかし、それで本当に社員や顧客の志に火をつけることができるだろうか?

昨今見受けられるもっとも大きな勘違いは、「サステイナビリティ」を「パーパス」と取り違えてしまうことだろう。特に政府がカーボンニュートラル宣言をして以来、環境対策をパーパスに掲げるところが増えている。

しかし、再生エネルギーや環境事業を主軸としている企業以外にとって、環境課題の解決はその企業の本来の存在理由とはなりえないはずだ。企業活動そのものが環境破壊をもたらすものである以上、企業活動をやめることが最善の策となってしまう。カーボンニュートラルを実現しても、何のプラスももたらさない。

最近、イケアやマイクロソフトなど、欧米の先進企業は、カーボンネガティブ、ネットポジティブを表明し始めている。自分たちの企業活動を通じて、空気をよりきれいにするというのだ。そうすればようやく、企業として存在しても許されるレベルとなる。

とはいえ、それが自社のパーパスではありえない。その企業ならではの存在価値は、イケアであれば自分らしい暮らしの実現であり、マイクロソフトであれば異次元の生産性を実現することであるはずだ。

サステイナビリティをパーパスに掲げている日本企業の多くは、自社ならではの本質的な価値創造ストーリーを何も語れていないことになる。サステイナビリティはガバナンス同様、企業活動の基本原則でしかなく、それだけではその企業が存在しなければならない理由にはならないのである。

筆者は、パーパスの基本要件として、「ワクワク、ならでは、できる!」の3つを挙げている。社員や顧客の志に火をつけるためには、皆が思わず心を躍らせ、その企業でしか実現できないような未来をめざし、当事者がその実現を確信することが求められるからだ。

SDGsの17枚のカードは、オリンピックの競技でいえば「規定演技」にすぎない。参加することに意義はあるものの、本当の勝者となるためには、高揚感、存在感、そして、「腹落ち感」をいかに醸成できるかがカギを握る。そのためには、18枚目のカードを掲げ、「自由演技」を披露しなければならない。

 

たとえばトヨタ自動車は、昨年に18枚目のカードとしてハートマークを掲げ、「ワクドキ」と表現した。そして自社のパーパスを「ハピネス(幸福)の量産」と定義し直した。まさに「ワクワク、ならでは、できる!」を感じさせるパーパスだ。

世の中が電気自動車か水素自動車か、などというカーボンニュートラルの議論に終始している中、トヨタらしい未来への志を高らかに掲げたのである。

落とし穴2 投資の勘違い

第2の落とし穴が、「投資」の勘違い(前述のアンケートの[2])だ。まず投資の対象が、設備や販売網などといった有形資産ではなく、ブランドや知識などといった無形資産となる。これらの資産は、パランスシートには計上されない。他社には模倣されにくい、その企業ならではの隠れた資産なのである。

パーパス経営においては、従来型のスケール(規模)の経済から、スキル(技能)の経済へと、価値創造の軸が大きくシフトするように見える。これは一見、日本企業、なかでも、その99.7%を占める中小企業にとっては朗報だ。これまでも「たくみ」の技に磨きをかけてきたからだ。しかし、逆説的だが、そこにこそ落とし穴がある。

「たくみ」を「しくみ」に変換できない限り、大きなインパクトをもたらすことはできず、自己満足の域から脱することができない。もっとも、「しくみ」それ自体はコモディティ化しやすい。そこで、常に「たくみ」を生み続け、それを「しくみ」に落とし込むことで、しくみを進化させ続ける必要がある。

トヨタのTPS(トヨタ生産方式)は、その好例だ。現場で問題が起こると、あんどんでラインを止め、現場のたくみを駆使して問題を解決する。そして、そこでの発見を新たなアルゴリズムとしてしくみに実装するのである。

TPSが「考える現場を作るしくみ」と呼ばれるゆえんである。海外企業がTPSの本質をうまく実践できないのは、「たくみのしくみ化」という動的能力への投資を怠ってしまうからだ。

■「たくみをしくみ化」しなければ成長はない

一方、日本企業の多くがデジタル化で後手に回るのは、「たくみ」の力に頼りすぎてしまうからである。確かにデジタルよりヒトの知恵のほうが、少なくとも今のところ、勝っているように見える。

 

しかし、ヒトに依存しすぎる限り、いつまでたっても現場版の家内制手工業から抜け出すことはできない。「たくみのしくみ化」に踏み出すことで、スキルの経済とスケールの経済の良循環をめざさなければならない。

そのためには、デジタル人財育成への投資が不可欠となる。ただし、それはピカピカのデータアナリストやコンピュータサイエンティストを育成することではない。そのようなプロは、社外から借りてくればいい。必要なのは、自社の業務、事業、経営に精通した人財が、デジタル技術を活用できるように、リスキリング(再教育)することである。

デジタル以上に深刻なのは、ブランドに対する投資の勘違いだ。広告費を投下して、マスメディアへの露出を増やしても、パーパス経営がもたらすブランド価値を向上させることはできない。

顧客にパーパスへの共感を醸成するためには、顧客との双方向のコミュニケーションが不可欠となる。そして、ソーシャルメディアなどを駆使して、顧客の間に自社のパーパスへの共感の輪が広がるような「しくみ」を実装する必要がある。

たとえばファーストリテイリングは、「LifeWear」(究極の普段着)がもたらすサステナブルな生活文化を広げることに余念がない。顧客に必要なものだけを、必要なときに届ける「しくみ」(同社ではその実装現場の名前にちなんで「有明モデル」と呼ばれている)とあわせて、ブランディングとデジタルへの投資を大胆に進めている。

パーパス経営を掲げるだけでは、掛け声倒れに終わる。未来を拓く無形資産を見極め、そこに非連続な投資をし続けることによってはじめて、パーパス経営が企業価値向上をもたらすことができるのだ。

落とし穴3 社員への浸透の不徹底

第3の落とし穴は、「社員への浸透」の不徹底(前述アンケートの[3])である。アンケート結果が示すように、ここが多くの企業の最大の悩みどころだ。

そもそもパーパスが、SDGsの17枚のカードのような国連お墨付きの「きれいごと」の焼き直しである限り、社員の心を動かすことは困難だ。

日本の先進企業は、「KAITEKI」(三菱ケミカルホールディングス)、「Kirei Lifestyle Plan」(花王)、「安心・安全・健康のテーマパーク」(SOMPOホールディングス)などといった、自社独自の「18枚目」のカードを掲げている。

そして、経営陣がパーパスに託した思いを、イントラネットやタウンホールミーティングなどを通じて、ことあるごとに発信している。しかし、経営陣が未来に向けたパーパスを語れば語るほど、日々の業務や数字に追われている現場は白けてしまうのが実態である。

ハーバード・ビジネススクールでパーパス経営を研究しているジョージ・セラフェイム教授らは、興味深い調査結果を発表している。

それによると、経営陣がいくらパーパス経営を唱えても、企業の業績は上がらない。しかし、ミドル層の本気度と企業業績は、見事に相関するというのである。トップダウンで知られる欧米型経営においても、現場に近いミドル層の働きかけが、現場を「その気」にさせるためのカギを握るようだ。

筆者の経験では、現場力に秀でた良質な日本企業ほど、ミドルの掛け声だけでは不十分だ。現場の社員1人1人が、自分の仕事と自社のパーパスを紐づけるストーリー、すなわち「マイパーパス」を「発見」するプロセスが不可欠となる。

そのためには、「危機感」ではなく「志命感」を醸成する必要がある。危機に直面すると、そこから逃れることだけで精一杯になってしまう。一方、志命感に突き動かされると、志の実現に向けて自らの生産性を高め、創意工夫を凝らすようになる。

現場のリーダーは、異質な社員が参加する「マイパーパス」ワークショップや、社員1人1人と1on1型の対話の機会を持ち、志に火をつけることに最大の努力を払わなければならない。

稲盛和夫の成功方程式とパーパス

京セラとKDDIを創業し、JALに奇跡的な再生をもたらした稲盛和夫氏は、どの企業にも、自燃性、可燃性、不燃性の3つのタイプの社員が存在するという。経営トップが「大義」(パーパス)を掲げ、自燃性の社員がそれを自分ごと化し、それが可燃性の社員に飛び火していけば、必ずパーパス経営は実践できると語る。

社員のエンゲージメントを計測している企業は少なくない。パーパスを「自分ごと化」させることができれば、社員エンゲージメントが向上し、それが顧客エンゲージメント、すなわちブランド価値向上に直結し、企業価値が向上していくはずだ。

稲盛氏は、企業の成功方程式を《考え方×(未来進行形の)能力×情熱》と表現している。《考え方》は「志」そのものだ。《能力》は「たくみのしくみ化」によって進化するはずだ。そして、《情熱》は、1人1人の社員がパーパスを「自分ごと化」することで実装できる。

稲盛氏は、志本経営の第一人者である。その稲盛氏が提唱する成功の方程式の3項目こそが、パーパス経営のカギを握る。日本企業の多くが、この3点に留意して志本経営を実践することで、資本主義の先の未来を切り開いていくことを心から期待したい。