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成長しなくても繁栄できる「ドーナツ経済」の正体

「ドーナツ経済」の「ドーナツ」とは?

ドーナツとは具体的には何なのか? 簡単にいえば、今世紀の人類の指針になる斬新なコンパスだ。コンパスの針が指し示す先には、すべての人のニーズが満たされ、なおかつ人類全員が依存している生命の世界が守られる未来がある。ドーナツの社会的な土台の下には、人類の福祉における不足が横たわる。つまり食糧や教育や住居など、生活に不可欠なものを欠いた状態だ。

環境的な上限のうえでは、生命を育む地球のシステムへの負荷が限度を超過している。例えば、気候変動や海洋酸性化、化学物質汚染がその原因だ。しかしこれらの境界線の内側には、最適な範囲──ドーナツの形をした部分──が広がる。つまり環境的に安全で、社会的に公正な範囲だ。この安全で公正な範囲にすべての人を入れるという前代未聞の事業を成し遂げることが、21世紀の課題になる。

ドーナツの内側の輪──社会的な土台──は生活の基本となる部分であり、誰一人としてこの部分が不足してはいけない。基本項目は12ある。まず十分な食糧。それから上水道と衛生設備。エネルギーの利用(空気を汚さない調理設備)。教育、医療。人間にふさわしい住居。最低限の所得と人間らしい仕事。情報通信と社会的な支援のネットワーク。さらには男女の平等、社会的平等、政治的発言力、平和と正義も、基本項目に含まれる。

1948年以来、どんなに貧しくても、どんなに無力でも、誰もがこれらの生活の基本的なニーズを享受できるよう、国際的な人権の基準や法律が定められている。これらすべての項目の実現に期限を設けることは、かなり大それたことに思えるかもしれないが、じつはすでに公式に期限が設けられている。

2015年、193の加盟国が合意した国連の持続可能な開発目標に、これらの項目はすべて含まれているのだ。そのほとんどが2030年までの達成を目標にしている。

経済学のベテランと初学者を問わず、今、しなくてはいけないのは、わたしたち全員の心にどういう落書きがあるのかを明らかにして、もしその落書きが好ましくないものなら、消し去ることだ。あるいはもっといいのは、わたしたちの時代にほんとうに役に立つ新しい絵を描いて、その落書きを塗りつぶすことだ。

ここでは21世紀の経済学者にふさわしい7つの思考法を提案したい。これまでどういう誤った図が支配的な影響力を持っていたのか、またどういう害悪をもたらしたのか。ただし単に批判するだけでは前へ進めない。人類の進むべき方向を示す新しい図を築く。その目的は、古い経済の考えかたから新しい経済の考えかたへの大転換を促すことにある。7つの図によって21世紀の経済学者に新しい全体像を提示することができるだろう。ではひととおり、ドーナツ経済学の核をなす考えと図を簡単に紹介しよう。

目標を変え、全体を見る

第1は、「目標を変える」。経済学は70年以上にわたって、国内総生産(GDP)を前進の指標とすることに固執してきた。所得や富の極端な不平等も、生活環境の前例のない破壊もその固執のなかで黙認された。21世紀はGDPよりはるかに大きな目標を必要としている。それはこの惑星の限りある資源の範囲内で、すべての人が人間的な生活を営めるようにするという目標だ。

ドーナツにはこの目標が組み込まれている。そこで課題になるのは、ドーナツの図の安全で公正な範囲にすべての人が収まる経済──ローカルでも、グローバルでも──をいかに築くかだ。わたしたちは果てしないGDPの成長をめざすのでなく、バランスの取れた繁栄の道を探るべきときに来ている。

第2は、「全体を見る」。主流派の経済学は、きわめて限定的な図であるフロー循環図のみで、経済の全体を説明しようとする。しかもその視野の狭さを逆に利用して、市場の効率とか、国家の無能さとか、家計と家内性とか、コモンズ(共有地)の悲劇とかについて、新自由主義的な主張を展開している。

21世紀にはそのような偏った見かたを脱して、新しい経済の全体像を描く必要がある。そこでは経済は社会や自然のなかにあるものとして、また太陽からエネルギーを得ているものとして描かれなくてはいけない。新しい全体像からは新しい言葉が生まれる。市場の力も、家計の大事な役割も、コモンズの創造性も、新しい視点から語られるだろう。

第3は、「人間性を育む」。20世紀の経済学の中心には、合理的な経済人の肖像が掲げられている。この合理的な経済人によれば、人間は利己的で、孤独で、計算高くて、好みが一定で、自然の征服者として振る舞うという。これまでわたしたちはこの肖像の影響下で、自己を形成してきた。しかし人間は本来、それよりもはるかに豊かだ。人間は社会的で、互いに頼り合っていて、おおざっぱで、価値観が変わりやすく、生命の世界に依存している。それだけではない。ドーナツの安全で公正な範囲にすべての人を入れるという目標の実現性を大幅に高められるようなしかたで、人間性を育むことも可能だ。

第4は、「システムに精通する」。経済学部の学生が最初に出会う図は、市場の供給曲線と需要曲線が交差したあの有名な図だ。しかしその図は19世紀の誤った力学的平衡の喩えにもとづいている。経済のダイナミズムを理解する取っかかりとしては、そのような図よりも、シンプルな1組のフィードバックループで表せるシステム思考の図のほうがはるかに役に立つ。

経済学の中心にそのような動的なシステムを据えることで、金融市場の急変動から、経済格差の拡大をもたらす構造や、気候変動の臨界点まで、さまざまな問題について新しい洞察が生まれるだろう。わたしたちは経済を思いのままに操作できるレバーなどというありえないものを探すのを止めて、経済をたえず変わり続ける複雑なシステムとして管理し始めるべきだ。

分配を設計し、環境再生を創造する

第5は、「分配を設計する」。20世紀には、不平等は初めのうちは拡大するが、やがて縮小に転じ、最終的に成長によって解消されるだろうといわれていた。この説を強力に支えたのは、1本の単純な曲線──クズネッツ曲線──だった。しかし現在では、不平等は経済に必然的に伴うものではないことがわかっている。不平等が生じるのは、設計の失敗による。

21世紀の経済学者は、経済から生まれる価値を今よりはるかに広く分配できる方法がたくさんあることに気づくだろう。代表的な方法の1つはフローのネットワークだ。フローのネットワークでは、単なる所得の再分配ではなく、富の再分配──特に土地や企業、技術、知識を支配する力から生じる富の再分配──とお金を生み出す力の再分配の方法が模索される。

第6は、「環境再生を創造する」。「きれい」な環境はこれまで長らく経済理論のなかで贅沢品扱いされてきた。裕福な社会にだけ許されるものだ、と。このような見かたを支えたのもやはりクズネッツ曲線だった。環境汚染は初めのうちこそ悪化するが、やがて収まり、最終的には成長によって一掃されるという理論だ。しかし現実にはそんな法則はない。環境の破壊はあくまで破壊的な産業設計の結果だ。21世紀には、循環型──直線型ではなく──の経済を創造し、地球の生命循環のプロセスに人類を完全に復帰させられるよう、環境再生的な設計を生み出せる経済思考が求められる。

第7は、「成長にこだわらない」。経済理論のなかにこれまで一度も実際に描かれたことのないきわめて危険な図が一つある。それは長期的なGDPの成長を示す図だ。主流派の経済学では終わりのない経済成長が不可欠のことと見なされている。しかし自然界に永遠に成長し続けるものはない。だからその自然の摂理に逆らおうとする試みは、高所得・低成長の国々で根本的な見直しを迫られている。

GDPの成長を経済目標から形だけ外すことは、むずかしくないかもしれない。しかし成長依存を克服するのは、易しくはないだろう。現在の経済は、繁栄してもしなくても、成長を必要としている。わたしたちに必要なのは、成長してもしなくても、繁栄をもたらす経済だ。そのような発想の転換ができれば、成長への盲信が消える。さらには、金銭面でも、政治面でも、社会面でも成長依存を呈している今の経済を、どうやって成長してもしなくても動じないものに変えられるかを探れるようになる。

根本から考え直そうとするときの土台になる

21世紀の経済学者にふさわしいこれらの7つの思考法は、具体的な政策や制度を提案するものではない。今後実行すべき対策は何かという問いに対して、直接的な答えや完璧な答えを約束するものでもない。それでも21世紀に求められている経済学について、根本から考え直そうとするときの土台になることは確かだ。

7つの思考法の原則やパターンは新しい経済学者たち──とわたしたちみんなの内面の経済学者──に、すべての人が豊かになれる経済を創造するための道具を与えるだろう。わたしたちがこれから数年後までに経験するであろう変化の速さや大きさ、不確かさを考えるなら、将来のすべての政策や制度を今決めてしまうのは無謀だ。

次世代の人々のほうがわたしたちよりもずっと、試行錯誤から最善の方法を見出すのには適任だろう。状況は刻々と変わるのだから。わたしたちが今できること──するべきこと──は、新しいアイデアのなかから最良のものを選んで、組み合わせ、新しい経済の思考法を確立することだ。ただしその思考法は固定したものではなく、つねに進化し続けるものになるはずだ。

これらの7つの思考法を実際に生かすとともに、そこにさらに多くの考えをつけ加えることが、今後数十年の経済学の課題になるだろう。