2035年、欧州で「ハイブリッド禁止」となる意味

今、自動車産業は“理想と現実”のバランス感を保つことの難しさに直面している。ヨーロッパで始まろうとしている、本格的なEV(電気自動車)シフトは、人間が地球上に生き続けるために本当に必要なのだろうか。そして、これを日本人はどう捉えればよいのだろうか。

2021年7月14日、ヨーロッパ連合(EU)の執務機関であるヨーロッパ委員会(EC)のフォン・デア・ライエン委員長が、ベルギーのブリュッセルにあるEC本部で記者会見し、「欧州グリーンディール」に関する法案について発表した。

この中ではエネルギー、土地の利用、運輸、そして税への対応によって、CO2(二酸化炭素)などの温室効果ガスを、2030年までに1990年比で少なくとも55%削減するという高い目標が掲げられた。

これは、2019年12月11日に発表された欧州グリーンディール政策が最終目標としている、2050年のカーボンニュートラルに向けた中間目標という位置づけだ。

カーボンニュートラルとは、人間の社会活動によって排出されるCO2などの温室効果ガスを、森林など自然界で吸収される量で相殺するという考え方である。

CO2排出量:2035年までに100%削減

今回の発表の中で、日本を含めた世界のマスメディアが大きく取り上げたのは、自動車の領域だ。自動車領域でのCO2排出量を2030年までに2021年比で55%削減、そして2035年までに100%削減という厳しい内容だったからだ。

これにより、ヨーロッパでは2035年までにICE(インターナルコンバッションエンジン:内燃機関)であるガソリン車とディーゼル車の販売は禁止されることになる。さらに、内燃機関とモーターを組み合わせたハイブリッド車(HEV)についても事実上、販売禁止という解釈ができる。

そうなると、2021年2月時点で累計1700万台のハイブリッド車を生産してきたトヨタはこれからどうするのだろうか。

日本市場では、乗用車市場の約4割をハイブリッド車が占めており、日系メーカーが持つ自動車技術の真骨頂であるハイブリッド車に関して、各メーカーは開発ロードマップを大幅に書き換える必要が出てくる。

これまでも日系自動車メーカーの間では「世界で最も厳しい燃費(CO2)規制はヨーロッパ」という認識があり、平均95g/kmという2021年の目標値についても、エンジン開発者らは「95グラムの壁」と呼び、エンジン気筒内の燃料効率を上げる技術など規制クリアに向けて様々な開発を行ってきた。

自動車産業界は2025年から2030年、さらにそれから先のヨーロッパのCO2規制がかなり厳しくなるという認識を持ってはいたが、今回の発表内容が「事実上のハイブリッド車販売禁止」に及んだことは、日系メーカーにとって大きな衝撃であることは間違いない。

社会課題解決から政治的思惑へのシフト

今回の発表を受けて、これまで約40年にわたりグローバルで自動車産業の変遷を現場で体感してきた筆者としては、「これは単なる規制ではない」という印象を持つ。時代を振り返ってみると、グローバルでの自動車に対する環境対応は“規制ありきの歴史”だった。 

戦後の経済高度成長により自動車メーカー各社は、消費者のクルマに対する要望を「より速く、より豪華に」という上昇志向が強まるように戦略を描いた。

その結果、搭載するエンジンが大型化すると同時に排ガスによる公害が社会問題となり、1970年代以降、アメリカのマスキー法をはじめとする排気ガス規制や燃費規制が、世界各地で施行されるようになる。

 

公害という、目に見える課題によって生まれた規制は、消費者からの理解も得やすかったと考えられる。また、エンジン開発者にとっては、規制という目標があることが、開発の方向性や行程表を描きやすくしていたとも言える。

そうして1980年代がすぎていき、1990年に大きな動きが起こる。アメリカ・カリフォルニア州環境局大気保全委員会(CARB)によるZEV(ゼロエミッションヴィークル)規制の施行だ。

筆者は1990年代当時からこれまで、CARB関係者と各種カンファレンスなどの場で情報交換をしてきたが、彼らの主張が何度も変化することに政治的な背景を感じていた。

本来、ZEV法は、南カリフォルニア州特有の地形による排ガスなどの滞留に対しての早期実施が前提の政策だったが、ステークホルダー間での様々な思惑が見え隠れするようになっていったのだ。

中でも有名なのは、GM(ゼネラル・モーターズ)が、大手メーカーとして初めて大量生産したEVの「EV-1」に関する不可解な結末だ。リースにより販売されたこのEVは、明確な理由が不明なまま生産終了となり、そのほとんどがGMによって回収されスクラップになったと言われている。

多くの規制が「ZEVありき」

この事案を含めて、当時EVを限定的に販売していた日系メーカー各社のアメリカ事業関係者らも、「規制に振り回されてきた」と心のうちを明かしていた。それ以来、2010年代初め頃までの約20年間にわたり、自動車産業界でEVなど電動化といえば「ZEVありき」が大前提となった。

たとえば、ホンダが2000年代に「FCXクラリティ」や「フィットEV」をアメリカ市場に投入した際、当時の福井威夫社長や伊東孝紳社長は新車発表の場で、「あくまでもZEVありき」「補助金に頼るうちはEVや燃料電池の本格普及は来ない」と、アメリカ国内における政治的な判断を俯瞰するようなコメントしている。

いうなれば、こうした自動車産業界の「ZEV慣れ」によって、ホンダに限らず自動車メーカー各社は、電動化規制に対する感覚が麻痺してしまった印象がある。中国のNEV(新エネルギー車)政策についても同様だ。

中国政府の関係機関である中国汽車技術研究中心(CATARC)と、カリフォルニア州CARBの研究開発実務を行うカリフォルニア大学デイビス(UCD)が連携し、ZEV法を参考としてNEV規制を作成したことで、「中国のNEVもZEVありき」という感覚が自動車メーカー各社の中にあると筆者は考えている。中国政府による中国自動車工業会の産業力強化という、政治・経済政策の位置づけが明確なのだ。

そのほか、2010年代にはオバマ政権のグリーンニューディール政策におけるEV開発やリチウムイオン電池開発の現場をアメリカ国内で数多く取材したが、多くの事案が「ZEVありき」という枠を超えていない印象があった。

話を現在(2021年7月)に戻す。欧州グリーンディールは、政治主導の規制なのか、それとも社会課題解決に向けた規制なのか。

今回の発表の中で、ライエン委員長は「我々の化石燃料に依存した経済活動は限界に達している」と言い切る。だから、クリーンエネルギーや循環型社会など、「新しい社会体系に大きく変わる必要がある」と改めて訴えたのだ。

筆者の感覚では、こうした主張に対して日本人の多くが“一般論”としては理解を示すとは思う。だが、日本人のみならず、地球環境という大枠での社会課題を、身近な私事(わたくしごと)として捉えることができる機会は、日常生活の中でまだまだ少ない。

特にクルマに関しては、たとえば日本のハイブリッド普及率が高い背景について、メーカーが独自で行うアンケート調査による「ハイブリッドの購入動機」を見ると、「燃費のよさによる家計への負担軽減」のほか、「環境対応に少しでも関与している気持ちになれる」といった内容が上位を占める。

さらに一歩進んでEVの購入動機になると、300万円台の日本国産車であっても購入層の年収は高く、富裕層にとってのステイタスシンボルという意味合いが付加される。

本当に社会のためになる規制になるか?

また、2010年代後半からグローバル経済に大きな影響を与えているESG投資が、EV普及のドライバーになっていることは明らかだ。

ESG投資とは、「従来の財務情報だけではなく、環境、社会、ガバナンスの要素も考慮した投資」(経済産業省)を指す。菅政権の重要政策のひとつとして2020年12月に公表された「グリーン成長戦略」でも、同戦略はESG投資を強く意識したものであると明記されている。

こうしたグローバルでの社会状況の中で、欧州グリーンディールをどう捉えるべきなのだろうか。少なくとも、マスキー法やZEV法のような“単なる規制”ではないように筆者は感じている。

次世代に向けて“クルマと社会”、そして“人と社会”の関係がどう変わるべきなのか。欧州グリーンディール政策を軸足に、日本を含めたグローバルでの議論がますます盛んになりそうだ。