アウディが2026年までに「新車をEV化する」真意

ドイツのプレミアムブランドであるアウディがベルリン気候カンファレンスの場で、「2026年以降、アウディが世界市場に導入する新車は、すべて電気自動車(EV)になる」と発表した。その衝撃は大きく、日本国内の大手媒体でも報道された。

海外では、イギリスのジャガー、スウェーデンのボルボ、アメリカのゼネラル・モーターズ(GM)などが、EVメーカーへの移行を明確に宣言している。日本では、ホンダが2040年にEVと燃料電池車(FCV)の100%販売を目指すと、新任の三部敏宏社長が表明した。

欧州では、二酸化炭素(CO2)排出量規制が強化された影響もあり、各自動車メーカーのEVやPHEVへの移行が急速に進んでいる。そのなかで、国内に速度無制限区間のある高速道路「アウトバーン」を持ち、クルマの高性能化で世界を牽引してきたドイツのアウディが、今からわずか5年後に新車をすべてEVにすることは、世界の自動車メーカーがEVへ確実に移行することを明確化したといえるだろう。

欧州に対して日本メーカーのEV化は?

 

日本の自動車メーカーの多くは、エンジンの高効率化やハイブリッド車(HV)など含め、全方位で車種を揃えることが消費者のためであるとの意見も根強い。だが、それは企業の都合であって、消費者の期待に食い違いが生じる可能性が高まりつつある。市場動向を決めるのは消費者だからだ。たとえば、携帯電話からスマートフォンへの移行を見ても明らかだ。

ただし、アウディの今回の決断は、5年後の2026年以降にエンジン車を販売しないという意味ではない。既存のエンジン車やマイルドハイブリッド車(MHV)などは、年次改良を続けながらモデル寿命の末期まで販売を続ける。また、中国で生産されるクルマについては、2033年までエンジン開発を続けながら併売していくことになるようだ。それでも、12年後までにはエンジンの行方を判断することになる。10年以上先と聞けばまだ期間があるように感じる。だが、10年前を振り返ると、当時起きた出来事に身近さを覚えるように、10年後の未来は思っている以上に早く来るものだ。

アウディのマルクス・ドゥスマンCEOは、「アウディ最後の内燃エンジンは、過去最高のものになる」と語ったと伝えられる。国内では、ガソリンエンジンの熱効率を40%以上にする取り組みが進められているが、振動や騒音などを含めた総合的な商品性では低下しており、熟成が必要に思われる。そうした挑戦をアウディは、この先の十数年行うということなのだろう。

今回のアウディの決断は、企業メッセージを体現するものといえる。BMWの「駆けぬける歓び」は有名だが、同様の企業メッセージがアウディでは「技術による先進」となる。技術への挑戦によって時代を切り拓くことが、アウディらしいブランドの姿というわけだ。

歴史からアウディという自動車メーカーを紐解く

アウディの創業は1899年で、当時は「ホルヒ」が社名だった。当初からホルヒのクルマは独創的で、燃焼の音を抑える無震動エンジンと呼ばれ、横に寝かせたエンジン方式を採用し、エンジン構造部にはアルミニウムを採用し軽量化した。変速機には、ニッケルクローム鋼という硬い合金を使い、耐久性を確保した。当時から技術に凝ったクルマづくりを行ってきたのである。

のちに、ドイツ語のホルヒと同じ「聞く」との意味を持つラテン語の「アウディ」に社名を変え、今日にいたる。その間、経営面では存続を懸けた、ホルヒ、アウディ、DKW、ヴァンダラーの合併によるアウトウニオンの誕生(アウディのロゴとなる4つのリングは、この合併に由来する)や、これにNSUを加え今日のアウディにいたるまで、戦前戦後を通じ苦難を乗り越えながら技術への挑戦は続けられてきた。

 

NSUは、ロータリーエンジンの開発で知られ、「ヴァンケルスパイダー」や「RO80」というロータリーエンジン車を製造している。マツダは、そのNSUと技術提携を結んだのだ。また、舗装された道を高速で安定して走る4輪駆動車クワトロ(イタリア語で4の意味)を、1980年に登場させた。1980年代半ばからアルミ車体の開発を行い、1994年の「A8」で結実させている。

モータースポーツ活動においても、クワトロで世界ラリー選手権(WRC)を席巻したあと、フランスのル・マン24時間レースにおいてガソリン直噴ターボエンジンで優勝し、そのあとディーゼルターボエンジンでも勝利をおさめ、連勝を重ねた。戦前のグランプリレース時代には、V型12気筒エンジンをミッドシップに搭載した「アウトウニオン」(フェルディナント・ポルシェ博士が設計)が、メルセデス・ベンツと雌雄を決したこともある。

そうした「技術による先進」を、21世紀に向け示したのが、2011年秋のフランクフルトモーターショーに出展した「A2コンセプト」だ。日本でいう5ナンバーの車体寸法の小型ハッチバック車はEVで、自動運転技術や情報通信技術を搭載していた。のちにダイムラー社によって象徴的な言葉「CASE」(コネクティビティ/オートノマス=自動運転/シェアード/エレクトリック)が示されたが、それに先んじて21世紀を体現したコンセプトカーだった。

ところが、2015年に起きたフォルクスワーゲンのディーゼル排ガス偽装問題がアウディへも及び、当時のルパート・シュタートラー会長が逮捕されるなどして停滞が生じた。それでも10年に及ぶ準備がようやく今、整ったということだろう。1999年に創業100周年を迎えたとき、シュタートラー会長は「次の100年へ向けた準備はできている」と私に語っていた。

電動技術e-tronの名を冠したEVの登場

A2コンセプトのころから、アウディの電動技術にはe-tronの名称が与えられていた。その名を冠したEVが昨年市販された。アウディの総力を結集したと思われる走行性能はもちろん、モーターを前後に2つ持つ4輪駆動であり、まさに電動クワトロである。ドアミラーをカメラで代替するバーチャルエクステリアミラーの取り扱い方や完成度など機能も高く仕上げられていた。

e-tronには、ポルシェ「タイカン」と同様のGTという車種があり、4輪駆動車同士の比較ではe-tron GTのほうが若干安く、販売店へ比較のため来場者があり、注文を得ているという。アウディ広報によれば「かつて、ポルシェと比較されることはなく、初めてのこと」と驚きを隠さないが、それでも同じ性能であればアウディも選択肢のひとつになると消費者がみた点もEV販売の新鮮さといえそうだ。

e-tronやクワトロのように技術に対し、固有の名称を与えることは他のメーカーではあまり例を見ない。スバルの運転支援技術であるアイサイトは、同様の戦略といえ、車種名のインプレッサとかレヴォーグ以上に、アイサイト装着車がほしいとの気持ちを消費者に起こさせた。

アウディは、そうした視点を1980年のクワトロ誕生から持っており、e-tronのほかにも、アルミ車体に通じる軽量化技術をウルトラ(ウルトラ・ライトウェイト=超軽量)、情報通信技術にコネクト(コネクティビティ=つながる)と名称を与え、ハイビームの自動配光によって対向車や前走車の運転者を幻惑させないヘッドライトをマトリックス(生み出す機能)と名付けた。これらの名称をル・マン24時間レースに参戦するレーシングカーにも利用し、広報活動につなげた。

クワトロ誕生から40年を超えて続けられる技術に対するブランディングにより、「技術による先進」という企業姿勢はより強調され、e-tron GTでは消費者にポルシェと比較する行動を起こさせることにつなげた。

時代が求めるEVを提供できるのか?

EV化は、エンジン車時代に比べクルマの個性を区別しにくくするとの声がある。しかし、電気制御で走り方を変えられるEVは、狙いが明確であればいかようにも個性を発揮させることができる。

EVへの一本化へ向かうなかで、プラグインハイブリッド車(PHEV)の取り扱いはまだ結論の出ていない側面もあるようだ。しかし、EVを基本としたうえで、NSU時代に手掛けたロータリーエンジンを、レンジエクステンダー(走行距離延長)用の発電に用いることも考えられる。そうした実験車をアウディは過去に公開し、私は試乗した。マツダも、この秋に発売するMX-30のEVに設定する予定だ。

時代は、EVを求めている。世界の自動車メーカーは改めてゼロスタートの競争をこれからすることになる。アウディの決意は、それをいっそう明確にするものといえる。