「車を最安値で買う人」がやっている緻密な交渉

不利な状況を作らない

交渉における「自分に有利な状況」とは、どういうものでしょう?

あなたの会社がオフィスの内装工事をX社に発注したとします。工事代金は1000万円。前金500万円、工事完了時に500万円を支払う約束です。契約書を取り交わし、X社は工事を開始しました。

数カ月経って、工事が完了したというので仕上がりを確認してみると、フローリングは剝がれているし、いくつかのドアがしっかりと閉まらない……と欠陥だらけです。

当然、工事のやり直しをさせなくてはいけません。一方、工事業者のX社は、「まずは工事完了時の500万円を支払ってほしい」と要求してきます。あなたが、「工事をやり直さないと残りの500万円は支払いません」と言うと、「もし〇年〇月〇日までに残額の500万円を支払わなければ、裁判所に訴えます」といった内容の支払い督促状を送ってきました。

このようなとき、どうすればよいでしょうか。

ついつい浮き足立って、「まずは500万円支払おう。そのうえで、もし工事をやり直さなかったら、支払ったお金を返してもらおう」と考えたり、あるいは希望的観測に基づいて、「こちらから誠意を見せて500万円支払えば、相手も誠意を示してやり直しに応じてくれるかもしれない」と考えたりして、支払ってしまうかもしれません。

それではダメです。いったん支払ったお金を返させるのは容易ではなく、また確実に返ってくる保証などありません。

支払い留保という交渉カードを失った後は、相手が返金を拒めば、弁護士を雇い、裁判を起こし、勝訴判決を得なければいけません。それでも返金してこなければ、今度は銀行口座のありかを突き止めて、それを差し押さえる手続きを取る必要が出てきます。しかし、ようやく見つけた銀行口座を差し押さえる手続きを行ったときには、どこかにお金を移していて、残高がほとんどなかったなんてことも大いにありえるのです。

どんなに法的に正当な権利であっても、いったん支払ったお金を返してもらうのは多大な労力を要するのです。相手の会社に乗り込み、金庫をこじ開けて、500万円を取り返すことなどできません。

逆に、支払う義務があるかもしれないお金について、その支払義務が100パーセント確実になるまでとりあえず支払わないでおいても、問題になることは少ないでしょう。

こういったとき、大抵は、相手が督促状を送ってきても、腹を据えて500万円の支払いをストップすればよいのです。そうしておけば、状況は自分に有利であり続けるのです。

その有利な状況下で、相手に工事のやり直しを求めれば、相手は無視できません。きっとやり直しに応じてくるか、あるいは「少なくとも半分の250万円を支払え。そうすれば、やり直しに応じる」などと譲歩してくるでしょう。

つい最近まで日本はムラ社会でした。ムラ社会での取引であれば、争いに発展しそうになっても、一方がぐっとこらえて誠意を示せば相手方がそれに誠意で応じるのが普通なのでしょう。しかし国際ビジネスの世界ではそううまくはいきません。外国企業との間で契約上の争いが生じているのに「まずは誠意を示そう」と支払いを実行し、しかし相手方が期待どおりに誠意で応じてくれず、「裏切られた」と私の事務所に持ち込まれるケースは枚挙にいとまがありません。

これからは日本国内のビジネス社会も国際化が進みシビアな世界になっていくでしょう。それは自分に有利な状況を作り、その状況を維持しながら、交渉を続け、取引を実行していくべき厳しい世界なのです。

主張には「客観的根拠」を付け加える

自分の主張を相手に受け入れてもらいたいとき、裏付けのない主張をただ繰り返していてもうまくいきません。そのままでは相手に主張を理解されないし、理解されなければ交渉は成立しません。

たとえば、何かの商品を売るとき、いくらで売りたいかをただ繰り返してもうまくいかないでしょう。

「この商品の価格は10万円です。どうしてもこの価格でないと売りません」と、何度、繰り返したところで、相手は納得しないのです。 

では、どうすればよいでしょう?

そういうときには、自分の主張についての客観的根拠を示すようにするのです。客観的な根拠を示し、価格の正当性を主張します。

「隣の店では、同じ商品を11万円で売っています。しかし当店では10万円です」
「競合他社の競合商品は11万円です。この商品はそれと同じグレードですが、10万円です」
「当社の仕入れ価格は9万円です。10万円で売っても、当社の利益は1万円しかありません」
「ほかのお客さんにも、つねに10万円以上で売っています。これがそのデータ資料です」
「この消費者向け情報のウェブサイトには、同様の商品の平均小売価格が11万円と出ています」

こういった具合に客観的根拠を示しましょう。そうすることにより、自分の主張について、相手に納得してもらえる可能性が高くなります。

客観的な根拠を持って交渉へ

私が最近、ディーラーに車を下取りに出したときのことです。

乗っていたのは2007年のBMW 530xi、色はブラック。13年も乗っていたので愛着がありましたが買い替えることにしたのです。

まず私は、ディーラーとの下取り価格の交渉に備えて、あらかじめブルーブックで下取り価格を調べることにしました。

ブルーブックというのは、アメリカで販売されているほぼすべての新車・中古車の市場価格が載っている、100年近くの歴史を持つ自動車価格の情報誌のことです。現在ではオンラインでブルーブックの掲載価格を検索することができ、メーカー、車種、年式、オプション、状態などを入力すると、たちまち適正価格が出てきます。

早速ブルーブックのウェブサイトを開き、ディーラーの下取り価格を調べたいのでそのボックスを選択し、それから年式、色、タイプ、状態、マイレージ(走行距離)などの情報を入力していきます。そして算出ボックスをクリックすると、すぐに3995ドルと出てきました。

「え……、こんなに安かったのか」

正直、がっかりしましたが、これが現実です。受け入れることにします。

数日後ディーラーと会い、まもなく下取り価格の話になり、一緒に駐車場に向かいます。しかしディーラー担当者は車の外観をざっと見ただけで、すぐに「席に戻ろう」と言いました。そして、私に、新車で買った車であること、マイレージが6万5000マイルであることだけを確認し、コンピューターに何やら入力し始めました。こちらからはコンピューターの画面は見えません。

ディーラー「値段が出ました」
私「いくらかな」
ディーラー「2500ドルです」

予想どおり、かなり低めの金額を提示してきました。しかし私は事前にブルーブックでディーラー下取り価格を調べていたので、焦ることはありません。

私「いや、それは安すぎるね。ブルーブックでは4000ドルと出てきたよ」
ディーラー「え、そうなの、じゃあ、ブルーブックのウェブサイトを見てみよう、どれどれ」

またコンピューターに向き直っています。しばらくして、ディーラー「確かにそうだね、わかった。3500ドルでいいよ」と言ってきました。いきなり1000ドルの増額です。

私はこの金額で売れれば満足でしたが、それでもセオリーどおり、もう一押しをします。

私「もっと増額できないかな」
ディーラー「うーん、では3800ドル」
私「Done. 決まりだね」

結局、10分程度のやりとりで、2500ドルだった下取り価格を3800ドルまで、1300ドルも増額してもらうことができました。その成功の要因はブルーブックの価格をあらかじめ調べていったことにあります。ディーラーが反論できない客観的な金額を提示したことが功を奏し、ほぼ私の希望価格に近い価格で買い取ってもらうことができたのです。

交渉相手からの情報を判断材料にしない

交渉相手に客観的な中立情報を伝えると、交渉がうまく成立に向かう。これは、あなたが反対の立場にいるときも同じ理屈です。どういうことでしょうか。

相手があなたに対して、「他社がどうしているか」「他人がどうしているか」といったことを伝えたときに、それを鵜吞みにして交渉の判断材料にしてはいけないのです。信じてよいのは、客観的な、信頼のおける情報だけです。

あなたが客観情報をつかんでいなかったり、知識がないのであれば、まずそれらの情報を入手し、知識を得なくてはいけません。

当事務所に、アメリカに初めて進出した日系機械部品メーカーX社から相談があったときのことです。話を聞くと、「顧客のY社と契約を締結したのだが、あまりに不利な契約内容なので継続するのが難しくなった。これを見てほしい」とのことです。早速、契約書の中身を見ると、Y社に一方的に有利な内容となっています。

「なぜ、こんなに不利な内容の契約を取り交わしたのですか?」

「お恥ずかしい話ですが、契約書を渡されたとき、Y社の担当者に『ほかのサプライヤーは全社この契約内容で取引していますよ』『この契約書の内容は、業界スタンダードですよ』と言われたのです。それゆえ、よく中身を読まずに署名してしまいました」

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さらに話を聞くと、「取引相手と信頼関係を築くのは大事なことですよね。終始、Y社を信用しているというスタンスで契約締結の話し合いをしていました」とのこと。しかし実際にはその契約書の中身は、決して業界スタンダードに従ったものではありませんでした。Y社が一方的に自社に有利な契約書フォームを用意し、X社がアメリカのビジネスに疎いのをよいことに、その契約書にそのまま署名するよう迫ってきたというのが真相のようです。

当然ながら、契約解除についても、Y社に契約違反がない限りはできないように定められています。結局X社は、5年後の契約期間の満了時まで、薄い利益のために大きなリスクを負いながら、Y社と取引を続けざるをえませんでした。

取引相手と信頼関係を築くことは大事なことです。しかし信頼関係は取引相手の言うことを鵜吞みにすることによって築くものではありません。むしろ、取引相手の言っていることが正しいのか、自らの調査によって確認しながら契約を進めるほうが取引相手からも敬意が得られます。世はネット時代、情報はあふれています。正しい、客観的な情報を得る努力を惜しまず、時間と労力を費やして情報武装したうえで、交渉に臨むべきなのです。