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「ベーシックインカムがいま必要な理由」

 

人に頼られ、人に頼る。人を助け、人に助けられる。このやり取りの連鎖によって社会は成り立っている。

「自助、共助、公助」 という言い方がある。自分自身や家庭で何とかするのが自助、地域などのつながりで助け合うのが共助、公的な機関による支援が公助ということになる。

「共助」が充実していた昔の日本

昔の日本は、共助が充実していた。

町内にはお節介なおじさんやおばさんがいて、住民の近況をしっかり把握していた。食材や日用品は、商店街にあるなじみの八百屋や魚屋で買う。おかずやもらい物が余ったら、隣近所にお裾分けする。

地域社会のウェットな人間関係は時に煩わしく、息苦しいものにもなるが、共助として機能していたのは間違いない。

日本の政治行政も、ウェットな人間関係を前提として社会保障の制度を設計してきた。また公助といいつつも、役所と住民の関係もウェットだった。役所の窓口で働いている公務員も、是非はともかくとして、顔なじみの住民に自分の裁量で融通を図ったりもしていた。

「自助、共助、公助」は、それぞれが独立しているのではなく、一体となって初めて機能する。

自己責任の自助で頑張れ、それが無理なら共助、最後に公助を頼れと言われても、いまや共助は果てしなく薄くなっている。

かつての大家族から、夫婦と子どもだけの核家族、そしていまや単独世帯が急増している。みずほ情報総研によれば、2015年現在、日本には1842万世帯の単独世帯、つまり一人暮らしの人がおり、これは総人口の14.5%に当たる。2030年には、さらに単独世帯が増加して2025万世帯、総人口の17%を占めるようになると予測されている。

さらに企業においても、終身雇用の仕組みは崩壊し、非正規雇用が増加している。

一人暮らしが増え、地域でのつながりが薄れ、職場での助け合いも減っていく。ドライな社会になって自助、共助がどんどん難しくなっている。本当に困ったときには公助があると言われても、いきなり役所に頼れるものではないだろう。

「生活保護」はあるけれど…

本当に困ったときのために生活保護の仕組みはあるが、貯金などの資産形成が制限されるなど、利用しづらい面も多い。役所窓口の「水際作戦」で、あれやこれやと難癖をつけられたり、世間の目を気にして申請に心が折れてしまう人もいる。

その一方で、生活保護を不正受給する不届きな人間もあとを絶たず、これをメディアが叩くものだから、さらに生活保護のイメージも悪くなっていく。

コロナ禍中の2020年12月には、厚生労働省のホームページに「生活保護の申請は国民の権利です」「ためらわずにご相談ください」というメッセージが掲載されて話題を呼んだ。これによって役所の「水際作戦」も減ることが期待されるが、困窮している人を救うにはまだ十分とは言えないだろう。

テクノロジーを使いこなせる人ならば、SNSで助けを求めたり、クラウドファンディングでお金を集めたりするといったこともできるかもしれないが、それをみんなができるわけでもない。

ほかに助けを求められない人を助けるための公助とは、役所の窓口に来た人だけに与えられるのではなく、国民全員に対して無理やりに押しつけるくらいのセーフティーネットでなければならない。生まれた瞬間から、日本で生活していくために必要な最低限のお金を与えられるようにするのが理想だ。

だからこその、ベーシックインカムだ。これは年齢も所得も資産も問わず、国民に対して毎月一定額のお金を支給するという仕組みである。

一定額というのをいくらにすべきか、財源はどうするかといった議論はもちろんある。だが、すでに世界各地でベーシックインカムの社会実験は始まっており、特にコロナ禍でこれまで以上に注目を集めることになった。全員に一定額だから、所得や資産で支給額を分けるといった役所の手間も不要だ。

昔から「貧すれば鈍する」という。明日の食事も十分に食べられるかどうかわからない、生活保護も認めてもらえない、そんな状態に追い込まれている人が、高付加価値の素敵なアイデアを思いつくなんてそうそうできることではないだろう。

金銭的な不安は頭の回転を下げる

『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』(センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著、大田直子訳/早川書房)では、お金と知能テストの関係を調べた研究が紹介されている。

被験者が知能テストを受ける前に、「車に不具合があって修理に300ドルかかるが、思い切って修理すべきか、このまま乗り続けるかを経済的な事情を考えて決定せよ」という仮定のシナリオが提示される。このシナリオでの修理代金が300ドルと3000ドルの場合で結果が異なってくるというのだ。

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300ドルのときは、富裕層でも貧困層でも知能テストの成績は変わらない。けれど、3000ドルと高額になると貧困層の成績ががくんと(一晩徹夜した以上に)落ちるという。要するに、お金のことが気になると頭が働かなくなるということが、科学的に実証されたということだ。

また、これはエビデンスがあるわけではないけれど、お金のストレスがなくなれば、家庭内暴力や犯罪も減ってくるんじゃないかという気もする。

自己責任で何とかしろというだけではなく、きちんと社会的な支援の仕組みを整えたほうが、社会全体の付加価値を増すことにもなるのではないだろうか。

ただし、ベーシックインカムのような仕組みを整えるためには、「金持ちまでお金をもらえるのは許せない」といった妬みのマインドを変えていく必要もあるだろう。

この点は、事務効率を高めるために、所得による区分なしに金持ちにもいったん支給し、のちに税金できっちり回収すれば問題はない。いくらでも制度設計で対応できることだ。

 

ポイント
ウェットな地域社会は失われつつある
ゆえにドライな「公助」が必要