感染者の自殺率が上昇「猫の寄生虫」の怖い生態

猫の寄生虫に感染すると反射神経が鈍くなる

もしもあなたが猫から寄生虫をうつされると、交通事故にあいやすくなったり、犯罪の道に走ったり、自殺したくなったりするかもしれません。

これはウソのようですが本当の話です。猫の寄生虫である「トキソプラズマ原虫」に感染すると、原虫に脳が占拠され、マインドコントロールのような状態になることがわかってきました。この原虫は、マラリア原虫の親戚筋にあたります。

トキソプラズマは、動物に寄生する単細胞の微生物、原虫の一種です。DNAを解析した結果、人の行動を左右するドーパミンの合成に関係する遺伝子が含まれていることがわかりました。

トキソプラズマによる奇妙な振る舞いに最初に気がついたのは、チェコの進化生物学者、ヤロスラフ・フレグル教授。自分が感染していることを知った直後から、不注意な行動が増え、反応時間が遅くなるなど不可解な現象が起き、原虫の感染によるものではないかとひらめいたのです。

「原虫の感染により人間の行動が変わる」という仮説を発表したところ、「UFO目撃」並みに扱われ、まったく相手にされなかったそうです。現在では、多くの研究者がこの仮説を信じ、関連の論文も多数発表されるようになりました。

感染すると反射神経が鈍くなるのと同時に、リスクを恐れなくなるため、交通事故にあう危険性が高まる、という調査もあります。新しいテーマは自殺との関係です。2012年の「精神臨床医学誌」に、トキソプラズマ感染者の自殺率は、非感染者の7倍になるというデータも発表されました。

先進国の人口の約3分の1がトキソプラズマ原虫に感染しています。人への感染は、汚染された食肉や猫のフンを介した経口感染が一般的です。

2018年、チェコの研究者がこんな発表をしました。ビジネススクールの学生は、そうでない学生よりもトキソプラズマの感染者が1.4倍も多く、しかも感染していたほうがビジネスの成功率は1.8倍に高まるというのです。

起業とも関係あるようです。感染した起業家は「失敗を恐れず」「起業の意欲が高い」こともわかってきました。ただ、研究者は「金持ちになるために感染することはやめて」と警告しています。

(画像提供:KADOKAWA)

発展途上国では現在でも流行する「狂犬病」

2020年6月、愛知県で入院していた患者が狂犬病で亡くなったというニュースが流れました。直前にフィリピンから入国しており、海外で感染し、帰国後に発症したとみられます。日本における狂犬病での死亡は14年ぶりです。

日本では飼い犬へのワクチン接種が義務付けられており、半世紀以上前に根絶しましたが、狂犬病予防法が制定される1950年以前は、多くの人が感染し死亡していました。

感染した犬にかまれると、ウイルスが神経系を介して脳の神経組織に達し、水や風を怖がる、唾液(だえき)や汗などの分泌が増加する、マヒ、幻覚を起こしたり、犬の遠吠えのような唸り声を上げる場合もあります。前項で紹介した猫由来の感染症、トキソプラズマと同様、微生物が人の脳まで支配するという例です。

発展途上地域では現在でも狂犬病の流行が続き、世界で年間約5万9000人もの人が死亡しています。発症すると致死率はほぼ100%とされています。途上地域の奥地を旅行する場合は、ワクチンを必ず接種すべきです。

宿主の行動を支配する微生物は、ほかにもいろいろわかってきています。たとえば「ディクロコエリウム」という槍形(やりがた)吸虫(きゅうちゅう)がアリに寄生すると、普段は葉陰にいるアリが目立つ場所に移動するなど行動が変わります。すると、牛や羊が葉もろともアリを食べることで、寄生虫は宿主を他の動物に乗り換えて繁殖することができます。

トキソプラズマも狂犬病も、日本では感染する可能性が少ないと思われますが、わずか1000分の数ミリの微小な原虫に、万物の霊長とふんぞり返っている人間が性格まで操られるというのはホラー物語ではないでしょうか。

(画像提供:KADOKAWA)

日本人に最も身近な感染症「ピロリ菌」

人体は「常在菌」と呼ばれる1000種以上の微生物で満ちあふれています。胃の中にいる常在菌の一つが「ヘリコバクター・ピロリ」、通称ピロリ菌です。今や日本人に最も身近な感染症といっていいかもしれません。

『図解 感染症の世界史』(KADOKAWA)書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

多くの人が持っている菌であり、健康診断で、菌の検査や除菌を勧められた人も多いのではないでしょうか。

19世紀以来、胃の中に螺旋(らせん)状の尾を持つ細菌がいることはわかっていましたが、たまたま居合わせたものと信じられていました。胃液の主成分は塩酸です。空腹時にはpH1~2という強酸性になります。

このような強酸性の環境に生きている細菌がいるとは考えられず、胃炎や胃潰瘍(いかいよう)はストレスが原因とされていました。

その後、オーストラリアの大学教授がピロリ菌の培養に成功。胃がんや十二指腸潰瘍、慢性胃炎を引き起こしていることがわかってきました。

ピロリ菌は民族によって遺伝子の変異が異なっており、これをもとに人類のたどった足跡を推測する研究があります。なかでも大分大学医学部の山岡吉生教授はピロリ菌から人類の壮大な移動経路を描き出しました。

それによると、私たちの祖先がアフリカを出た5万8000年前ごろからピロリ菌は人類とともに広がり、3万年前にはアジアに到達、5000年前ごろには東アジアや太平洋一帯に広がりました。

5300年前のミイラからも発見

もう一つの経路は、アジアからシベリアを通り、当時陸続きだったベーリング海峡を渡って、北米から南米へと南下したというものです。古くから人びとを悩ませてきたらしく、5300年前の氷漬けのミイラの胃の中からもピロリ菌の遺伝子が見つかっています。

(画像提供:KADOKAWA)

ピロリ菌そのものは、2~3回ねじれた形状で、4~8枚の鞭毛(べんもう)を持っています。私はこれまで、健康診断でピロリ菌は一度も見つかっていませんが、ピロリ菌をもっていない人は食道炎や十二指腸潰瘍に悩まされることがあります。ピロリ菌は過剰な胃酸を中和して、胃液の逆流を防ぐ効果があり、アレルギーを抑える、という研究者もいます。意外に役に立っている面もあるのです。

(画像提供:KADOKAWA)