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るるぶがまさかの「宇宙ガイド」に進出したわけ

「脱・地球、史上初のエリア!」――。

3月30日、旅行ガイドブック『るるぶ』から『るるぶ宇宙』が発売となった。メインである国際宇宙ステーションの特集では、施設の詳細からレトルトをはじめとする宇宙グルメの数々を紹介。宇宙飛行士の風呂やトイレ、歯磨きの事情まで徹底的にレポートしている。

そのほか、月周回旅行など宇宙旅行の最前線も取材。小惑星探査機「はやぶさ2」のガイドもある。地球、月、火星、木星などの惑星も個別エリアとして解説していく。旅先をガイドする『るるぶ情報版』と同じように、知識ゼロでも楽しめる作りだ。

当然ながら、『るるぶ』として地球を飛び出したガイドは初めての試み。「発行点数世界最多の旅行ガイドシリーズ」としてギネス世界記録にも認定(2010年)されている同誌はなぜ、新たな領域に乗り出したのだろうか。

コロナ禍でガイドが売れない…

どこに行き、何を食べ、どんな体験をするか。あれこれ旅先のプランを巡らすことは楽しいもの。しかし、コロナ禍でそんな楽しみは消え失せた。旅行ができなければガイドも不要だ。『るるぶ』の販売はピタリと止まってしまった。

舞台が宇宙であっても旅行プランをガイドする(写真:『るるぶ宇宙』より)

『るるぶ』を発行するのは旅行大手JTB傘下の出版社・JTBパブリッシング。海外には渡航できず、国内も緊急事態宣言で厳しい自粛が要請される。そんな中で、既存の『るるぶ』を伸ばす戦術は見つからなかった。発行計画すら白紙になる深刻な危機に、社内のムードは沈んでいくばかりだった。

しかし、『るるぶ』は年間約500万部(2019年3月期)を発行する主力事業。長期の停滞は許されない。2020年4月に全社員を対象にアイデアの緊急募集を呼びかけると、若手やベテランを問わず、多数の企画が持ち上がった。その一つの方策が外部とのコラボレーション。旅行の枠を超えた新しい『るるぶ』の制作が始まった。

その中で実現に至ったテーマが宇宙だった。企画を出した編集部のメンバーすら「通るとは思っていなかった」と驚いたほど。知識ゼロで制作をスタートしたものの、旅行プランの提案や地域別のガイドなど、情報版のノウハウを生かして完成させた。JAXA(宇宙航空研究開発機構)やNASA(アメリカ航空宇宙局)の協力を得て、多くの写真や図解も詰め込んでいる。

すでに大きな結果を叩き出した例もある。3月4日発売の『るるぶONE PIECE』だ。当初は3万部の発行予定だったが、ファンから事前予約が殺到し発売前に増刷が決まった。税別1250円の価格ながら、すでに9万部のヒットになっている。

企画を担当したのは誌面にも登場する入社3年目の足立優華氏。自ら作品の舞台と思われる場所を探して世界を旅する、筋金入りの『ONE PIECE』ファンだ。超人気作品だけに許諾の可能性は低いと思われたが、集英社にコラボを呼びかけるとまさかのOK。2021年1月に連載1000話を迎えた記念コラボの形で集英社が全面的に協力し、制作が始まった。

総力を挙げてモデル地の検証

「作中に登場した舞台のモデル地を探し出し、 麦わらの一味になった気分で旅すること」がメインテーマだが、作者の尾田栄一郎氏も、一部を除きモデル地は明かしていない。「編集部員と、協力する編集プロダクションのメンバーで単行本を冒頭から読み返して検証し、取り上げる場所をピックアップしていった」(編集長を務めた高橋香里氏)。

作中の舞台とリンクする場所を編集部が独自で検証。キャラクターも多数登場している(写真:『るるぶONE PIECE』より)

制作は海外の『るるぶ』を制作する海外情報事業部が担当した。世界各地の知識や写真などの資料は十分にある。さらにブログ等で作品の関連情報を発信する個人のファンにも協力を得て、検証を進めていった。数多くの情報を詰め込みつつ、初心者向けの作品ガイドや30泊31日の地球一周大航海プランを提案するなど、『るるぶ』らしさも盛り込んだ。

一方で、通常の『るるぶ』では経験したことのない苦労もあった。作品の世界観を守ることだ。誌面には主人公のルフィをはじめ、多数のキャラクターが登場しモデル地を案内するが、短い一言のコメントでも作者やファンにとって違和感がないものにしなければならない。集英社とは幾度となく調整を繰り返したという。

最終的に制作には約半年を費やしたが、尾田氏から「これはまじで楽しい!!」との直筆コメントが寄せられ、表紙を飾っている。未経験の分野でも、既存の『るるぶ』のノウハウを存分に活かすことができた。高橋氏は「こういうこともできるんだと、改めて気づかされた」と振り返る。

旅行から遠く離れた異色のコラボも実現している。『るるぶ新日本プロレス 公式ガイドブック』(3月2日発売)だ。

プロフィールは実に細かい。選手おすすめの店を多く掲載している点もポイントだ(写真:『るるぶ新日本プロレス 公式ガイドブック』より)

冒頭には内藤哲也、オカダ・カズチカなどの人気選手をインタビューで特集。選手のプロフィール紹介をはじめ、プロレスの基本ルールや技、王者のベルト、さらには後楽園ホールなど会場の解説も並ぶ。「ヤングライオン」と呼ばれる若手選手の日々の仕事に密着するなど、マニアも楽しめる内容だ。選手行きつけの飲食店ガイドも数多く掲載されており、『るるぶ』らしさも忘れていない。

「実は2018年から温めていた企画だったんです」。そう明かすのは編集長を務めた勇上香織氏。元はプロレスファンの社員の発案だったが、何度も却下されていたという。新日本プロレスのファンは女性が多く、『るるぶ』も読者の6割が女性だ。相性がよいと考えたものの、公式ガイドは既存ファンの満足度と新たなファン作りの両面が求められるため、難易度が高いのだ。それがコロナ禍もあり、ようやくGOサインが下った。

「公式ガイドなら『るるぶ』」を目指す

新日本プロレスの協力を得て制作にとりかかったものの、こちらも苦労の連続だった。コロナで多くの試合が延期になり、当初は対面のインタビュー取材が難しい状況だった。そんな中でもスタッフや選手たちは撮影やアンケートの回答など、積極的に協力してくれたという。また、試合が再開すると王者も目まぐるしく変わるため、最新情報の確認作業に労力を費やした。

このように、既存『るるぶ』とは異なる苦労も重ねつつ、数多くの新しい『るるぶ』が生まれた。シルバニアファミリーとのコラボ、初心者向けのキャンプガイド、図解を中心に据えた世界遺産のガイドなどだ。そのほかタイ語の学習をテーマにしたものもある。

これら新機軸の『るるぶ』はコロナ禍を抜けても制作を続ける構えだ。発行計画を担当する日比野玲子氏は「公式ガイドなら『るるぶ』、というようにしたい。将来的には『るるぶ情報版』と同等の規模に拡大していく」と語る。ガイドにこだわらず、学習向けの『るるぶ』も積極的に開発する考えだ。

無論、乗り越えるべき課題もある。旅行ガイドは「鎌倉版はあじさいの6月と紅葉の11月に売れる」などシーズンが決まっているが、新機軸の『るるぶ』は『ONE PIECE』のように発売前からネットを含め在庫量が必要になる例もある。「旅行ガイドと売れ方がまったく異なる。販売面の思考錯誤を続けている」(日比野氏)。

コロナでどん底に突き落とされた『るるぶ』。だが、そこで見つけたのは旅行を離れても活用できる自らのノウハウだった。新機軸の『るるぶ』の拡大と、コロナ収束後の情報版の復活で全体の再成長を達成できるか。その成否は多方面のファンを巻き込むガイドを企画し続け、新たなブランドを確立できるかにかかっている。