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SNSがトランプ危機を引き起こしたカラクリ

ネット広告のビジネスモデルが諸悪の根源

――あなたが21年前に執筆した著書『CODE』は大変予言的でした。まるでプライバシーや表現の自由をめぐる今日の混沌ぶりを見抜いていたかのようです。トランプ大統領時代の混乱や危機は想定の範囲内でしたか。

もちろんずっと悪いですね。『CODE』ではインターネットの設計思想と規制の関係を論じましたが、今の本当の問題は、プラットフォーマーがビジネスモデルとして広告を取り入れていることにあります。

広告は、ユーザー1人ひとりを深く理解することで成り立っています。つまり、多くの個人データを収集することが彼らの商売なのです。そしてデータを収集すると、ユーザーを煽り、熱狂的にさせてさらに多くのデータを出させる方法を学んでいます。このようにして、プラットフォーマーのビジネスモデルは公共問題について人々を偏向させ、無知にさせる影響力を持っています。

これは、TCP/IP(インターネットの通信プロトコル、設計思想の意味)のせいではなく、広告のせいです。われわれは将来もインターネットとともに生きることになるでしょうが、いま問われているのは、異なるインターネットのビジネスモデルを持てるかどうかです。

――もう少し詳しく教えてください。本格的なインターネットの普及が始まったのは1990年代。インターネットが「おかしくなった」のはいつ頃からですか。

グーグルなどのテックカンパニーが、現在のような広告のビジネスモデルの可能性を発見したときからです。ショシャナ・ズボフ氏(ハーバード大学ビジネス・スクール名誉教授)が『監視資本主義の時代(The Age of Surveillance Capitalism)』に書いたように、それはまったくの偶然でした。

グーグルは、ユーザーがクリックしたり検索したりするたびにデジタル的に排出されるデータを、ゴールドに変えることができることを発見しました。ユーザーが何をしているのかをウォッチし続けることによって、その人をよりよく理解できるからです。それが、グーグルが最初に行ったことです。

しかしその後、フェイスブックはその戦略を強化し、現実の空間にいる実在の人物に結びつけて、個人がもっと多くのことを明らかにするように誘導する戦略を採りました。

フェイスブックは、友達の美しい写真やみんなの幸せな生活を見せてあなたに安心感を与えるようにデザインされています。あなたは自分も幸せな生活を公開しなければならないと感じ、できるだけ多く情報を公開します。すると、それと比例して広告エンジンは向上し、どの広告があなたにとってフィットするかを予測できるようになります。そして広告エンジンがよくなれば、あなたはさらに引きつけられて、もっと自分の情報を明かすということになっていきます。

ネット広告は人間の進化上の弱点を突く

ローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)/アメリカ・ハーバード大学ロースクール教授。1961年生まれ。アメリカ・ペンシルバニア大学卒業、英ケンブリッジ大学で哲学修士号、米イェール大学で法学博士号を取得。2016年米大統領選挙に出馬するなどアクティビストとしても活動。著書に『CODE』『コモンズ』『REMIX』『彼らは私たちを代表していない』など(写真:本人提供)

より多くの情報を公開することで、より多くの人と関わることもできるようになりますが、残念なことに、提供された情報がより過激・扇動的で、必ずしも真実でない場合ほど、私たちはそれをより共有したいと思うようです。

それと類似した、よい例えは食べ物です。私たちは塩分、脂肪分、糖分などの多い加工食品の誘惑に弱いですね。これは人間の体が食べ物のあまりない時代に合わせて設計されてきたからです。こうした人間の進化上の弱点を突くことに食品業界は長けています。食べ物が豊富にある現在、アメリカの国民の多くは肥満になりました。

情報も同じです。フェイスブックだって何も外国ハッカーの介入や陰謀論を助長したいと思っているわけではありません。たまたま、それが彼らにとって最大の利益になるから、そうしているのです。私たちはこのような影響を受けやすく、その影響は広告というビジネスモデルによって引き起こされています。それがわかったなら、次はインターネットがこのようなインセンティブを持たないように、異なる広告モデルを持つか、別の収益源を見つけることが必要になります。

――「フィルターバブル(プラットフォーマーのアルゴリズムによって、ユーザーは見たい情報だけに囲まれて、見たくない情報は見なくていい環境が作られること)」というインターネットの特徴は、昔から議論されていました。しかし、言ってみればそれは音楽や車、文学などの趣味・嗜好の世界の話だと思っていました。民主主義の危機につながる影響力にまで拡大するとは……。

思い出してください。1990年代にアメリカオンライン(AOL、世界最大のパソコン通信会社からインターネットプロバイダーに転身。2017年にアメリカ・ベライゾン傘下のアメリカ・ヤフーと統合)が全盛だった時代にも、ディスカッションスペースやチャットルームといった、人々が何かを話すことができる場所はありました。しかし、そこでは人々に個人情報を公開させて、それを広告収入につなげるということはしていませんでした。

当時もさまざまな情報が共有されて過激なものはありましたが、私たちを狂わせるようなやり方ではありませんでした。つまり、今日起きていることは、インターネット空間の頂点に広告のビジネスモデルが君臨しているからです。アメリカでは(自由度の高い「表現の自由」を規定する)憲法修正第1条があるため、その影響が大きく出ています。

――法的な規制は必要ですか。

広告すべてを禁止しようという意見もありますが、私は賛成しません。アマゾンやネットフリックスが次の本や映画を推奨するためにデータを使うのはいいことです。一方、敵対者の政治的発言を観たり読んだりするかどうかを広告が判断するのは問題です。人々に行使する影響力の文脈において、規制すべき対象を区別していく必要があります。

過去100年を振り返ると、人々が事実を理解する共通の土台をもつとき、大きなスケールでも民主主義社会は機能することがわかります。私たちはもはや、みんなで少数のテレビチャンネルを観るといった時代に戻ることはできません。しかし、世界がどうなっているかについて、人々を異なる見解を持つ小さな単位に分割し、分断しようとするインセンティブに対しては戦っていかなければなりません。

欧州のやり方は効果的でない

――EU(欧州連合)が2018年に施行したGDPR(一般データ保護規則)には批判的な立場ですね。

(注)GDPR:EU居住者の個人データ保護が目的に導入。「ユーザーは自分のデータを自身でコントロールする権利を持つ」という考え方を基本とする。自身の個人データの削除をそのデータ管理者に要求できるなどの規則がある。

反対はしませんが、GDPRは効果的でないと思います。この制度は、ユーザーが個人データ利用をどうするかを選択できるようにすれば、プライバシー問題は解決するという信念を前提としていますが、それは間違っています。実に多様なデータ利用についてユーザーは理解できません。愚かだからではなく誰にもそんな洞察力や時間はないからです。データ利用の未来がどうなるかなんて誰も予測することはできません。

ですから、そうしたものではなく、適切なデータ利用とそうでないものを事前に区別しておくような規制モデルを開発すべきです。中間にはあいまいなため個々人の同意で対応すべき領域もあるでしょう。しかしユーザーが合理的な判断を下せるようにそうした領域はできる限り小さくすべきです。

 

アメリカではあまりにも多くの人が立候補するという問題があり、昔、シカゴでは300人もの名前が書かれた投票用紙が存在したことがありました。市民に民主的な選択をさせているのだから素晴らしいと言えるかもしれませんが、現実には人々は300人もの名前を知りません。実際には個人に力を与えるものではなく、個人に力を与えているように見せかけているだけです。GDPRとプライバシーの問題でも同じことが起こっているのだと思います。

――GDPRの考え方は、経済学における消費者主権論と似ています。つまり個人が自分の好みに応じて消費の選択をすれば、社会全体でも最良の結果を得られるというものです。しかし消費者主権論が成り立つためには、個人が商品や自分の好み、市場などについて十分な知識や情報を持ち、合理的に判断できることなどの前提が必要となります。この前提が成立しない場合は、市場の失敗に対応するため、セカンドベスト(次善策)として政府の介入が必要となります。プライバシーや表現の自由を考えるときもこの考え方は適用できますね。

いいところを突く指摘ですね。問題の捉え方としてとてもいいと思います。GDPRと消費者主権論の前提は、消費者の選択能力があることですから。生活の時間が限られる中で、インターネットサービスのポリシーや利用規約を全部読んでいる人はいません。みんながこれらを読み、理解し、意味のある選択を行っているというGDPRの想定は誰も本気で信じておらず、嘘です。こうしたことを続けるのは単に間違っているだけでなく、人々の人生や社会を蝕むものです。

インターネットの利用規約では嘘をつくように仕向けられた子どもたちが、「親には嘘をつくな。インターネットとは区別しろ」と言われたらどうでしょう。「いつも嘘をついているのにどうして親には駄目なの? つまり、全部嘘なのですね」と言うでしょう。何かをするために永遠に嘘をつき続けなければならない世界は、まるでかつてのソ連のようです。

意味のある選択を行う能力が消費者にはないことがわかっている分野において、消費者主権を前提としたアプローチを取ることは間違いです。全員に嘘つきになることを強いることなく、真のプライバシー保護を実現できる代替策を検討すべきだと思います。

新型コロナと性感染症では対応が異なる

――その代替策ですが、規制すべき不適切なデータ利用や適切なデータ利用の例を挙げていただけますか。

アップルとフェイスブックは、個人情報の取り扱いをめぐってバトルを繰り広げていますが、アップルのビジネスモデルは明らかに個人データ収集に依存していません。そのため、アップルにとってフェイスブックが行っているような監視を批判することは簡単です。アップルは時々、すべての監視やデータ収集が悪であるかのように話しています。しかし、すべての監視が悪いわけではないと思います。

データ利用が適切か不適切かを区別する際の一般的原則は、もしある個人データを収集するなら、そのことによってその人が不利になってはならないということです。

最近の例では新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)があります。携帯電話の位置データを使って感染の広がりを特定・追跡し、ホットスポットに対処する手段になります。これは個人に負担をかけずに公共の利益をもたらす好例でした。このシステムのデータ利用に反対してプライバシーを主張することはできないと思います。もっとも、GDPR的なモデルの規制では、こうしたデータ利用に対しても個々人の許可を事前にとる必要がありました。

一方で、感染症の種類は重要です。たとえば性感染症では、感染に伴う社会的なスティグマ(恥辱)に世間の反応は敏感になるでしょう。スティグマはデータを収集した結果として個人の負担になりかねません。そのようなデータ収集は行うべきではありません。

 

――ところで、1月6日のトランプ氏支持者による連邦議会占拠事件を受け、ツイッターはトランプ氏のアカウントを凍結しました。表現の自由の侵害だとの批判もあります。

確かに疑いのない侵害ですが、表現の自由を扱う米国憲法修正第1条の下では問題ありません。ツイッターは民間企業だからです。ニューヨークタイムズ紙などの新聞社が、記事掲載の可否について編集権を持っていることと同じです。

実際のところ、今年1月の連邦議会乱入事件では、私たちは非常に急迫した状況にあり、誰かが何かをしなければならない本当の危機でした。そして、私たちが見たのは、トランプ氏の表現の自由がツイッターによって侵害された途端、緊迫した動きを落ち着かせる根本的な効果があったということです。もしトランプ氏が1日10回のツイートを続けていたら、バイデン政権の最初の30日間がどうなっていたかはわかりません。だからこそ、緊急の措置が取られたことは喜ばしいことだと思います。

GAFAは「表現の自由」より市場独占力こそが問題

しかし長期的に考えれば、これは非常に重要な問題を提起しています。私たちは少数のプラットフォーマーの独占を許してしまいました。ですから例えばフェイスブックやツイッターが政治家の言論を排除しようとしたとき、国民の間の言論空間がどのようになるかが大きな意味を持つようになっています。もし同じようなプラットフォームが10個あったとしたら、それはさほど重要な意味を持たないと思います。

ですから、今回ツイッターが編集権を行使したことはいいとしても、それを当然のこととして受け止めることはできません。こうしたプラットフォーマーの市場権力への対応について長期的に考える必要があると思います。

――メルケル独首相は「言論の自由は、立法機関によってのみ制限されるべきだ」と発言しました。これについてはどう思いますか。

いろいろな意味にとれる発言です。ドイツや世界中の新聞社も編集権を行使していますから、もしメルケル氏の発言が「民間企業は人々の表現を制限する能力を持つべきではない」という意味なら間違っています。政敵の記事を取り上げないことや、ある政治家の思想があまりにも狂っていたり、極端だったりするために掲載する価値がないと判断することは米国憲法修正第1条に違反するとは思いません。

実際、どの政治家や言論がインターネット上で公開されるべきか、政府だけが編集上の判断を下せるという意味なら、危険だと思います。アメリカでは、ティム・ウー氏(アメリカ・コロンビア大学教授、バイデン政権の国家経済会議のテクノロジー・競争政策担当の大統領特別補佐官として起用された)のような人たちが、むしろプラットフォーマーの市場権力の問題について議論しています。