意識高い系「自分探しの旅」が失敗しがちな理由

あの有名なことわざには続きがあった

「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」ということわざは、よくご存じだろう。自分の狭い了見だけがすべてだと思い込み、世の中にはもっと広い世界があることを知らず、得意げにふるまっている人を揶揄するために使われることが多いが、このことわざには続きがある。「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る」だ。

大海へと飛び出し、未知の世界で新たな経験を積むという「外への扉」を開く道は、思い描きやすく、冒険心をくすぐられるものだ。

けれどもその一方で、自分の置かれた場所にじっくりと腰をすえたり、自分の内面における鍛錬や探究を積み重ねることで、それまで理解できていなかった物事の複雑さや、周囲の人々の存在意義、価値観、この世の真理などに気がついて、深く成熟してゆくという「内なる扉」を開くという道もある。

どちらも通り一遍のノウハウ本や、ネットの表面的な情報などからは得られないものだが、この「外への扉」と「内なる扉」の両方を開き続けながら成長してゆく、ひとりの若者のストーリーを描いた本がある。アレックス・バナヤン著『サードドア』だ。

著者で主人公のバナヤン氏は、1992年生まれ。『フォーブス』誌「30歳未満の30人」、『ビジネス・インサイダー』誌「30歳未満の最高にパワフルな人物」などに選出され、現在はスピーカーとして世界中を飛び回っている人物だが、本書ではまず、当時18歳の彼が、大学の寮のベッドに寝転がって天井を見つめながら、将来について悶々と悩むシーンからはじまる。

バナヤン氏の祖父母と両親は、ペルシャ系ユダヤ人としてアメリカに渡った移民だ。家族は「アメリカで暮らすために何もかも犠牲にした」とその苦労を語りながら、かわいいバナヤン氏には自分たちの二の舞をさせまいと、医者になって確かな食いぶちを持つよう厳しく教え込み、優秀な大学に進学させている。

バナヤン氏の祖母は、「自分を“見失って”世界中に自分探しの旅に出るような人にはなってほしくない」とはっきり語り、バナヤン氏に重い誓いの言葉を言わせてもいる。

しかし、当のバナヤン氏は、まさに「自分探し」の準備の真っ最中。「自分の人生をどう生きるのか」という自問自答にぶち当たり、著名な経営者や政治家、作家、アーティストなどの書物を読みあさりながら、ちょっぴり「自己啓発系」の若者としてもがいているのである。

一言で片付けてしまわないすごさ

「家族との誓い」という呪縛と、「自分はこれでいいのか」というさまよえる自我とのジレンマに陥って、期末試験が迫っても、なかなか勉強する気力が起きない。けれど、著名人の書物からはすさまじく感化され、「彼らがどうして偉くなれたのか」ということをすごく知りたい。

若き時代のビル・ゲイツは、どうやってマイクロソフトCEOへの第一歩を踏み出したのか? ウエイトレスだったレディー・ガガは、どうやってレコード契約に結びついたのか? スティーブン・スピルバーグは、どうやってハリウッド史上最年少の監督になれたのか?

普通なら「そりゃ、才能があったからでしょ?」と一言で片づけてしまいそうな疑問だが、バナヤン氏がスゴイのは、ここで「そうだ、本人に連絡をとってインタビューしてみよう!」と思いつき、「僕のインタビューには当然、応じてもらえるはず」という強烈な思い込みのもと、なんと実行に移してしまうところだ。

さらにそのうえ、バナヤン氏が「家族との誓いを守り、医者になる人生」という「井戸」から、「大海」へと飛び出すための最初の一歩は、「まずはインタビューに行く軍資金が必要だから、テレビのクイズ番組に出て優勝しよう」という突拍子もない扉を開けることなのである。

ここからはじまる七転八倒の冒険譚のおかしさや、次々と現れる新たな扉、それを開けてゆくワクワク感は、ぜひ本書を手に取ってお楽しみいただきたい。著名人とのアポを得るために、とにかく執拗に突撃してゆき、けんもほろろに弾かれるその姿は、ほとんどストーカーと化す場面すらあり、共感すべきは、落ち込むバナヤン氏なのか、それとも迷惑を被っている著名人のほうなのか、混乱するほどだ。

だが、そこが面白い。「へたな鉄砲」が命中し、見事にインタビューの機会を得たり、重要な味方として行動を共にする仲間を得たり、奇跡的な出来事も起きるのだが、バナヤン氏は、一連の失敗や成功、その際の思考回路や心身の反応などを、バカ正直なほど赤裸々に「その時点での、自分の視野」でつづっているのだ。

すっかり成熟した大人になってから、若気の至りを回想し、きれいにまとめた自伝はよくあるが、『サードドア』には、失敗をやらかしたその時点では、まだ深く理解できておらず、「えっ、なんでダメなの? うまくいくはずなのに」という具合に、ちっとも思い込みから抜け出せていない、若者の危うい未熟さがリアルに描き出されている。

「わかった気になっている」状態と、「腑に落ちる、合点がいく」状態とはまるで別物だ。人は、自分が経験し、身に染みた範囲までしか、物事の複雑さや、他人の事情などを理解できないところがある。自分の了見が浅く薄っぺらなうちは、他人の姿もその程度までにしか見ることができないのだ。

「空の蒼さ」を知るために必要なこと

そのような、自分の視野の範囲がすべてだという「井の中の蛙」的な思い込みは、いくつもの体験をパズルのピースのように組み合わせたとき、はじめて「そういうことだったのか!」と打ち破られ、「空の蒼さ」の多彩さを知ることができるものだろう。

調子よく「外への扉」を開け続けていても、「内なる扉」の開放が行えなければ、人は成長できない。成長のためには、開かずの扉に跳ね返された痛みを受け止める、つらい作業も必要になる。『サードドア』は、アレックス・バナヤンという18歳の若者の視野を通して、その過程を追体験することができる。

バナヤン氏が「外への扉」と「内なる扉」を開けていくそのピースは、失敗からも成功からも、苦しみや喜びからも、そして、かなり迷惑な思い込みからすらも、発見されてゆく。

数々の著名人へのインタビューをこなしていった終盤、天然素材のベビーケア用品販売で知られるジェシカ・アルバへのインタビューが行われ、ジェシカから奇しくもこんな言葉が飛び出す。

「誰だって生まれてくる境遇を選ぶことはできない」「あなたの生まれた家族があなたの家族で、あなたの生まれた環境があなたの環境なの。だから自分の置かれた場所でなるべく多くのものを得られればそれで十分だし、ほかの人と自分を比べる必要なんかない」

あなたの前にサードドアが現れるとき

寮のベッドの上で「自分探し」の旅を妄想し、「自分を変えてくれるなにか」に期待していた時点のバナヤン氏では、きっとまだ、この言葉の持つ意味を理解することはできなかっただろう。

だが、ハチャメチャで破れかぶれながらも、自分の直感や行動力で扉を見つけては開け続け、成長しはじめたバナヤン氏は、どうやらこの場面から、1つの答えを見出しているようだ。その感覚が、ラストへとつながってゆく。

物語の序盤では、『サードドア』というタイトルから「外への扉」「新境地へ飛び出すためのドア」あるいは「ショートカット」といったイメージや、ある種の「意識高い系」の感性を感じ取ることになり、自分とは別世界にいる、特別な人の話であるような印象を持つ人もいるかもしれない。もちろんそれも1つの面白さだ。

だが、体当たりをしながら視野を広げてゆくバナヤン氏に、どこかで自分の心を結びつけることができたとき、きっと、自分がいまいる場所で見出せること、「空の蒼さ」を1つでも多く、一段でも深く知る方法があるのではないかということに、思いを馳せることができるだろう。それが、あなたの前に現れるサードドアなのかもしれない。