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日本人は年功序列の弊害の重さをわかってない

レガシー問題は日本型組織と密接に関連

日本は、メインフレームコンピュータの時代において、世界のトップにいました。ところが、その当時の技術体系にうまく対応しすぎたために、その後に生じたコンピュータシステムの変化に対応することができませんでした。これが「古いシステムが残って稼働し続けているために、新しいシステムに移行できない」という「レガシー問題」と呼ばれるものです。

日本のレガシー問題は、日本型組織と密接に関連しています。

これは、「1940年体制」の一環です。1940年体制とは、戦時経済への対応のために形成された日本特有の仕組みです。この仕組みは、高度経済成長期においては、うまく機能しました。

1970年代になって、情報化が行われるようになりましたが、メインフレームコンピュータは、1940年体制の日本型組織とは相性の良いものでした。

その後、「1940年体制」は制度としては崩壊しました。まず、1940年体制を必要とした経済的条件(資金割り当てによる高度成長)が消滅し、それを支えた制度(官僚制度、銀行制度)も、1990年代を通じて崩壊しました。とくに大蔵省と日本長期信用銀行について、これが顕著です。

しかし、1940年体制の主要な部分は、その後も生き続け、いまだに残っています。それは、企業間の流動性が限定的なことです。

厚生労働省の「雇用動向調査」によれば、入職率(新たに就職した率)が高いのは20~29歳の階層です。そして、離職率が高いのは60歳以上です。途中年齢での入職率・離職率は、極めて低いのです。そして、この傾向に趨勢的な変化は見られません。

つまり、「学校を卒業して就職し、退職までその企業にとどまる」という仕組みは、いまでも、高度成長期と変わりなく続いているということです。

従業員が労働市場に出されれば、ハローワークの世界になります。あとは、非正規労働の労働市場だけです。日本で労働市場といえるものは、新卒者を対象としたものしかないといっても過言ではありません。退職後の再就職も、市場を経由するとは限りません。大企業からの場合は、系列子会社への就職がかなり多いのです。

 

日本では、いったん雇用した労働者を容易に解雇できません。そのため、中途採用者の雇用市場が発達せず、さらに解雇が困難になります。

とくに、高学歴者が組織間を動かないことが大きな問題です。なかでも、経営者の労働市場は、存在しないに等しい状態です。これがもたらす問題については、後述します。 また、年功序列賃金体系も変わりません。高賃金者の賃金は年齢が上がるほど上がります。

IT化に対応できない1940年体制型組織

ITとは、情報技術を一般的に指す概念ではなく、1980年代以降に支配的となった情報技術のことです。

その中核は、PCとインターネットです。それまでメインフレームと専用回線によって行なっていたことを、より小さなコンピュータとネットワークによって行なえるようになったのです。そして、1990年代から、インターネットの活用が始まりました。

大型コンピュータの場合には、組織を超えたデジタル情報の交換には、高価なデータ回線を使わなければならなかったため、それほど頻繁には行なわれませんでした。組織ごとに閉じた仕組みの中でのデータ処理が中心だったのです。

しかし、ITでは、インターネットによって組織を超えたデータ交換が極めて容易に行えるようになりました。非常に低いコストで地球規模でのデータ交換が可能になったのです。組織の枠を超えた情報のやりとりが重要な意味を持つようになりました。

このような大きな技術革新が、経済活動を大きく変え、1990年代以降の世界を一変させました。ITがもたらした巨大な変化は、産業革命のそれに匹敵します。産業革命のときと同じような変化が、情報処理に関して生じたのです(そして、現在も進行中です)。したがって、この変化を「革命」と呼ぶのは、まったく適切なことです。

ところが、日本の組織は閉鎖的な仕組みであるために、これにうまく対応することができなかったのです。

いま日本が直面しているのは、デジタル化の遅れであると言われます。DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉がよく使われますが、それは、「アナログを脱してデジタル処理を行う、それによってビジネスの形態を変えていく」という意味で用いられています。

しかし、これまで述べたことから明らかなように、デジタル化自体は、すでに1970年代から行われていたことです。問題は、デジタル化の中身が、中央集権的なものから分散的でオープンな仕組みに転換したこと、そして、その変化に日本が対応できていないことなのです。

そして、その根底に、これまで述べてきた日本型組織の問題が横たわっています。新しい情報通信技術が、日本の経済社会構造、とくに大組織のそれと不適合なのです。

こう考えると、「レガシー」は、大型コンピュータだけではないことが分かります。

日本型組織が、深刻なレガシーなのです。これは、きわめて根が深い問題です。

日本型組織は、新しい技術の導入に対してネガティブな効果をもたらしています。

日本の組織における賃金序列は、職務上の序列を反映しています。入社直後の20~24歳では、賃金にほとんど差がありません。30歳をすぎるころから選別の結果が賃金に反映されるようになり、高賃金者の賃金が高い伸び率で上昇していきます。それは50歳ごろで頭打ちになります。

他方、60歳代になると、高賃金者以外の者の賃金が下落します。65歳になると、高賃金者の賃金がもう一段上がります。これは、経営幹部への昇進を反映するものでしょう。

これは、幹部候補生について、徐々に選別が行われていく状況を示しています。つまり、入社後、年齢の経過とともに組織の序列を上がり、権限も増大してゆく。そして、勝ち残った者が、組織の方向づけに影響を与える経営者となるのです。これは、組織の柔軟性という観点から見て、大きな問題です。さらに組織間の流動性が極端に低いのです。

こうした条件下では、専門家が生まれず、ジェネラリストが優越します。経営者について、特にそれが顕著です。組織のトップは、その組織についての専門家であり、どこでも通用する専門家ではありません。

そもそも日本では、経営が専門的職業だという認識すらありません。日本企業のトップ
にいるのは、組織の階段を上り詰めた人であり、組織を掌握できると評価された人々なの
です。

経営者がデジタル化を理解していない

こうした体制は、技術や条件が安定的ならさして大きな問題ではありません。しかし、変化に対応できないのが問題です。変化に対応するには、専門家や経営者が組織間を移動し、経営者が方向をリードする必要があります。

リーダーの資質は大変重要です。とくに、新しい技術体系がいかなる特性をもっているのかを正しく理解することが重要です。しかし、日本では、デジタル化について理解がある経営者が少ないのです。

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本来であれば、デジタル化に関する知識は、専門家としての経営者にとって必須の知識のはずです。しかし、日本では、必ずしも必要なこととは考えられていません。

例えば、経団連の会長室には、中西宏明会長の前まではPCが置かれていなかったといいます。つまり、それまでの経団連会長は、PCなどは使わなかった人たちだったのです。こうした状況でリーダーが組織のデジタル化を指導できるはずはありません。

ITのシステムについて専門的知識を持っていないので、ベンダーに丸投げになります。新しいシステムを入れるのでなく、従来のシステムを維持し続けます。日本でレガシーシステムが残ってしまう大きな原因がここにあります。