「犬は家族を順位付けする」が迷信にすぎない訳

しつけに関する俗説に要注意

かむ犬に対するしつけに関しては、さまざまな俗説が聞かれます。
「かむ犬には上下関係を教えないといけない」
「リーダーウォークが大切」
「かまれたら、手を口の中に押し込め!」

よく聞くこのようなアドバイスは、本当にかむ行動を解決できるのでしょうか? 結論からいいますと、これらの俗説を信じて対応することは、意味がないばかりか、攻撃行動を悪化させることすらあります。

もちろん、たまたまうまくいく場合もありますが、深刻な攻撃行動に対しては、大抵はうまくいきません。その理由は犬がかむ行動の原因に目を向けていないからです。

犬がかむ原因はひとつではなく、多様な要因が絡み合っており、改善には、それぞれの要因に合わせた対応を行う必要があります。かむ原因に目を向けずに、「かむ犬には〇〇をすればいい」という、短絡的な対応をしても、かみつきが改善されることは稀です。

たとえば、車が動かなくなった時、エンジンが悪いのか、タイヤが悪いのか、電気系統が悪いのか、バッテリーが悪いのか、わからずに対処するエンジニアはいません。

犬と人の関係も同じです。犬がかむ、人がかまれるという関係は、決して良い共生関係とはいえません。その共生関係の破綻がどのようにして起こっているか、その原因もわからずに、「リーダーウォークで上下関係を教える」という対処をしても、エンジントラブルで動かない車のタイヤ交換をするようなものです。

かむ行動には理由があります。それもとても多くの要因があり、親犬からの遺伝、胎児の時の発達、母犬の子育ての仕方、社会化などの発達の問題や、脳や身体の疾患が関わっていることもあります。

そして、どんな攻撃行動でも、飼い主との相互学習の影響は大きいといえます。そのうえ、それぞれの家庭において、それぞれ独自の学習が起こっています。それぞれの攻撃行動は、個々の環境で多様な要因が積み重なって発生しています。これらの要因を知らずして、攻撃行動への対処はできないわけです。

「犬は家族に順位をつけて、自分が上に立つからかむんでしょ?」という話は、飼い主さんからよく聞きますし、半ば常識化しているような気がしますが、この話は迷信だということをご存じでしょうか。

犬の群れでは、階層的な順位関係が観察されないことが、野犬の群れの観察から見出されています。犬同士ですら明確な順位をつけないのですから、人と犬の間で順位を付けるというのは論理が通りません。さらにその順位を理由にして、犬が上位だから、下位の家族を攻撃するという考え方はとても無理があります。

オオカミの行動研究を犬に当てはめていた

では、この順位づけの迷信はどこから生まれたのでしょうか。これはオオカミの行動研究を犬に当てはめて考えたことに起因しています。従来、オオカミの行動観察は、飼育下での行動を中心に研究されてきました。

飼育下のオオカミの群れでは、社会的階層構造が築かれることが知られています。群れの最上位の個体のことをα(アルファ)、その次の個体をβ(ベータ)、その次をθ(シータ)と呼称し、食事の摂取や心地よい寝床の使用など、資源が競合する場面で、順位が上の個体が優先権を持つことが観察されています。

そして、群れのなかはαの座を巡って常に緊張関係にあり、順位関係の挑戦に基づく攻撃行動が観察されたため、オオカミの群れでは、直線的で絶対的な順位関係が存在すると考えられてきました。

しかし、近年、野生のオオカミの群れを観察した研究によって、この考えは覆されました。野生のオオカミの群れは基本的に血縁のある家族であり、両親と子どもたちによって構成され、直線的で絶対的な順位関係を築くのではなく、親や若い個体が、幼い子どもに食餌を与えるなど、互いに支え合いながら生活していることがわかってきました。

「犬は家族との間に序列を作る」という話は、従来の絶対的順位関係を作ると考えられてきたオオカミ像を、犬に当てはめて考えるようになったことがきっかけでした。オオカミの群れのように、人と犬の間でも、人が犬のαにならなければならない、人が犬の絶対的上位者にならなければならないという考え方が広まったのです。

さらに、この考えを攻撃行動に当てはめたものが、アルファシンドローム(権勢症候群)です。アルファシンドロームは、犬が認識している自らの社会的順位が脅かされることによって生じる、もしくはその順位を誇示するためにみせるとして定義されてきました。

たとえば、犬が何か自分にとって嫌なことが起こりそうになった時、食べ物など良いものを取られそうになった時、ソファなど気持ちの良い寝床からどかされそうになった時などに、家族に対して攻撃する状態を指し、その原因について、犬が家庭内でαになってしまったためだと解釈されていました。

「犬が上に立っているからかむ」は迷信

犬をαにしてはいけない、飼い主がαにならなければならないという考え方は旧来行われてきた体罰を用いる強制的なトレーニングを正当化し、また、飼い主にそうしたトレーニングを指導するうえで、都合のいい考え方でした。

そのうえ、オオカミが順位を作り、犬も同じように順位を作るという話は、正しいかどうかは別として、専門家や飼い主にとってわかりやすかったため、世界的にもてはやされました。そして、日本では今でも信じられているという状況です。

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しかしながら、野生のオオカミの群れの観察で、α理論の根拠となっている従来のオオカミ像が否定されたうえに、オオカミと犬の行動も大きく異なっていることがわかっている現在、α理論を、人と犬の関係を説明するために用いることは不適切であると考えられています。

かつて、アルファシンドロームと診断された犬でも、あらゆる場面で攻撃的になるわけではなく、攻撃的になる場面では、フードを守る、居場所を守る、触られるのが嫌・怖い等、それぞれに特定の原因が存在します。

このことから、個別の場面では個別の動機づけを分析する必要があり、序列関係を攻撃行動の原因と考えることは適切ではないという考え方が、行動学者の間でも一般的になっています。「犬が上に立っているからかむんだ」という指摘は、根拠のない、迷信なのです。