「緊急事態宣言」再発出が効果的でない根本原因

緊急事態宣言に外出を禁止する強制力はない

2021年に入っても新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。第3波の勢いが日増しに加速している。12月31日には、過去最多となる東京で1337人、全国では4519人の感染者が確認されている。

重症者数も増加の一途をたどっており、病床などの医療体制の逼迫が懸念されている状況だ。菅義偉首相は1月4日、1都3県を対象とした緊急事態宣言発出の検討に入った旨を明らかにした。

しかし日本の法制度上、感染症拡大防止を理由として海外のようなロックダウン(都市封鎖)を行うことができないことは、昨年3月の記事(日本のロックダウンが腰砕けになりかねない訳)で指摘したとおりだ。

緊急事態宣言を定めているのは、新型インフルエンザ対策特措法だが、この緊急事態宣言の効果は、人々に外出禁止などを命じるような強制力のあるものではなく、あくまで外出自粛の要請にとどまる。

この法律は、医療体制の確保や交通などのインフラの確保を主眼に置いている。そのため、人々の行動を制限するという点では、緊急事態宣言を出すことの実質的な意味は乏しく、あくまで国民の間に危機感を醸成するという点に意味があるにすぎない。

こうした問題点については、半年以上前から指摘されていたことであり、本格的に感染が拡大した場合に備えて法の不備を整えるべきであるという点も議論に上がっていた。にもかかわらず、感染がいったん小康状態に入ったこともあり、議論は棚上げとなったままとなっていた。

ここへきて菅首相が罰則なども視野に入れた法改正について言及したが、本来であればもっと早くに着手すべきであったことは間違いない。感染が急速に拡大していることを受けて、今さらながらあわてて、緊急事態宣言発出についての議論を再開しだしたのは、状況を楽観視したために後手に回っているとのそしりを免れないだろう。

日本の安全を脅かす危機は新型コロナウイルスだけではない。地震や津波、豪雨といったような自然災害もあれば、北朝鮮のミサイルによる脅威、尖閣諸島などへの海洋進出を推し進める中国による脅威もある。

こうした事態に際して、必要となるのが緊急事態法制である。緊急事態は突然発生するものであり、事前に法制度を準備しておかなければならない。日本が法治国家である以上、法律の根拠なく国家権力を発動することは許されないのである。

一般的な「緊急事態」が統括的に規定されていない

ところが日本の法制度には、一般的な「緊急事態」を統括的に規定する法律がない。戦争や国際テロなどの有事には事態対処法、地震や豪雨などの自然災害に対しては災害対策基本法、そして新型コロナウイルスのような感染症には感染症法や新型インフルエンザ対策特別措置法といったように、別個の事態に対してそれぞれの法律が定められている。

そして、その多くが特別措置法(特措法)で構成されていることも特徴としてあげられる。原発事故であっても、イラク戦争への対応であっても、新型インフルエンザであっても、どれも特措法で対応しているのだ。

これに対して、欧米では緊急事態というものを統合的に捉えている。例えばアメリカの「1988年スタフォード法」(災害救助・緊急支援法)では、緊急事態を次のように定義している。

「緊急事態」とは、生命、財産、公衆衛生、そして公衆の安全の保護、または大災害の脅威を減少または回避するための州や地方政府の努力や能力を、連邦政府が支援する必要があると大統領が判断した状況または事態をいう。

 

1988年スタフォード法は、自然災害だけでなくテロなどの「すべての危機について連邦政府のサポートを必要とするもの」を「緊急事態」としている。同法に基づいて設立されている連邦緊急事態管理庁(FEMA)も、あらゆる緊急事態に対処する「オールハザード・アプローチ」という体制をとっている。

フランスやドイツの憲法をみても、戦争や紛争のような防衛事態、テロや内乱といった治安事態、地震、台風、感染症のような災害事態をまとめて緊急事態として整理している。

法律とは本来、不特定多数の人や事象に適用されるという意味において、一般性と抽象性を有する必要がある。特定の人や事象を対象にした法律は認められない。

しかし、実際には高度に複雑化した現代社会において、一般的・抽象的な法律だけでは社会の要請に十分に応えることができず、ある程度個別的・具体的な法律をつくることで対応することが必要となる場合がある。こうした場合に制定されるのが、特措法だ。

日本には緊急事態に対応する基本法がない

日本の法制度の問題は、特措法があることではなく、特措法ばかりで、緊急事態対処や感染症対策などについての基本法がないことだ。これは、つねに事案が発生するたびに、対症療法的に法律を制定してその場をしのいできたことの証左である。

例えば、1999年の茨城県東海村臨界事故のあとに原子力災害対策特措法が成立。そして2001年のアフガン戦争をきっかけとしてテロ対策特措法が、2003年のイラク戦争をうけてイラク復興特措法が成立している。

この方法は、特定の事案に即した法律を柔軟に作ることができるという面もあるが、中長期的に見ると、それぞれが別個に存在することで全体像の把握が難しい複雑な法体系となってしまう。

実際、新型コロナウイルスの感染が拡大していた今年3月に、感染症法や検疫法、新型インフルエンザ特措法といった法律を適用することができるのかという議論となり、結果的には法改正をしたうえで、緊急事態宣言を行うこととなった。

この点についてはさまざまな角度からの議論があるが、各法律がそれぞれを相互参照している関係にあり、ツギハギのパッチワークのようになっていてかなりわかりにくく、法律としても抜け落ちている部分があったことは確かである。

また特措法は、あくまで特定の個別具体的な事態に対応する法律であるため、新しい別の事態が発生しても適用することができず、また別の特措法を作る必要が生じることになる。中には、ある時期がきたら失効する時限立法もあるのだから、なおのことである。

日本を取り巻く安全保障環境の変化や、気候変動とともに激甚化する災害を考えれば、危機が起きてから泥縄式に個別具体的な特措法を作るだけでは間に合わない。可能な限りの事態想定を行い、理性的かつ合理的に議論したうえで、あらゆる危機に対応した基本法を作る必要がある。

そのためには、あらゆる緊急事態を統合した「緊急事態対処基本法」を制定し、この基本法と個別具体的なそれぞれの事態に対応した法律とが連関して作動するよう作り込むことが必要であろう。

災害、防衛、治安に分けて基本法を制定する手段も

一足飛びにすべての緊急事態を統合した基本法の整備を行うことが難しいのであれば、緊急事態を、地震や台風などの「災害緊急事態」、戦争や紛争といった「防衛緊急事態」、テロや内乱のような「治安緊急事態」と分けたうえで、それぞれの基本法を制定することから始めるべきである。

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このうち自然災害については災害対策基本法があるからひとまず置いておくとしても、新型コロナウイルスのように我々の生活を一変させてしまうほどの脅威である感染症に対しては、われわれがいかなる理念に基づいて対策を講じるかについての基本理念を示す必要がある。

そのため、感染症法、検疫法、新型インフルエンザ特措法といった法律を統合した「感染症対策基本法」を制定することが必要である。

それでは、なぜ日本においてこれらの緊急事態対処の基本法を定めることができないのだろうか。後編(1月7日公開予定)では、その根源である憲法まで深掘りして考えてみたい。