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「水素」「EV」で急速に国策が動き出したワケ

――菅義偉首相は10月26日の所信表明演説で、2050年までに温暖化ガスの排出を実質ゼロとする「カーボンニュートラル宣言」を行いました。それ以降、脱炭素化に向けて政官財が一気に動き出した感があります。

日本がカーボンニュートラル宣言を出したのはギリギリのタイミングだった。すでに中国は2060年までのカーボンニュートラル宣言を出していたし、グリーンニューディール政策を掲げるアメリカ・バイデン政権の誕生が確実になった11月以降に日本が宣言を行っていたら、「世界の後追いだ」と言われて評価されなかっただろう。

急に動き出した最大の要因は「アンモニア火力発電」

しかもこれが最も重要な部分だが、菅政権は苦しまぎれでカーボンニュートラル宣言を出したのではない。2050年までの実質排出ゼロは単なる絵空事ではない。菅首相の演説の直前、10月13日に火力発電最大手のJERA(東京電力と中部電力の火力発電事業統合会社)がアンモニアを活用して火力発電でも二酸化炭素(CO2)を実質排出させないロードマップを打ち出している。この動きこそが、菅首相のカーボンニュートラル宣言に現実味を持たせ、状況を察知した産業界の多くがどっと動き出す要因になった。

――確かに、蓄電池などの技術開発は漸進的でこの間にブレークスルーがあったわけではありません。今回のゲームチェンジャーは、火力発電のカーボンニュートラル化なのですね。

そうだ。JERAはすでにNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)からの受託事業として、アンモニア混焼の火力発電のフィージビリティスタディを行っている。2030年代前半にアンモニアの混焼率を20%程度とし、その後混焼率を拡大させて、2040年代にはアンモニア100%の専焼化に移行、それによってCO2排出をゼロにするというロードマップを打ち出している(アンモニアはNH3のため、燃やしてもCO2を発生しない)。

JERAと同様、水素とCO2を合成してメタンガス(天然ガスの主成分)を作る技術などを活用したカーボンニュートラル構想は昨年11月に東京ガスが発表していた。内閣府が所管する国家プロジェクト「戦略的イノベーション創造プログラム」(SIP)でアンモニア直接燃焼の研究が進められてきたという経緯もある。もともとこの技術はトヨタ自動車発だといわれている。

――火力発電がCO2フリー化すると、電力全体の構造はどう変わりますか。

電力の脱炭素化の基盤となるのは、もちろん再生可能エネルギーで、こちらも今後間違いなく拡大する。ただ、再エネの発電は天候や時間帯に左右される。それをバックアップし、安定した電力を供給する調整用電源が必要になる。蓄電池はその候補だが、容量拡大やコストなど技術的課題を突破できる時期は見通せない。火力発電はこれまでも調整用電源を担っていたが、CO2を排出するため、バツが付いていた。しかし、アンモニアの活用により、火力発電はCO2フリーの調整用電源としての裏付けができた。

一部には、菅政権のカーボンニュートラル宣言は原子力発電の復活を狙っているとの声があるが、それは違う。菅政権は依然としてリプレース(建て替え)は行わないなど原発に対しては踏み込んでおらず、逆に火力発電の脱炭素化が実現するなら、CO2を出さない電源としての原発の必要性は薄れる。菅政権は安倍晋三政権時代と同様に原発をそっとしておくつもりだと思う。

CO2の回収・貯留が最大の課題

――ただ、脱炭素化で先頭を走る欧州は、再生可能エネルギーで水を電気分解した水素・アンモニアを「グリーン」、天然ガスなど化石燃料から取り出した水素・アンモニアを「ブルー」と呼んで、後者の脱炭素化への効果に懐疑的な声を上げています。天然ガスから水素・アンモニアを作る過程で生じるCO2はどうするのでしょうか。

最終的な方向としてはもちろん、日本も再エネ由来の水素・アンモニアになるのだろう。しかし、再エネ価格が大幅に低下し、コストメリットで再エネ導入が進む欧州と、まだまだ再エネのコストメリットが見いだしにくい日本では事情が違う。現在の政府や民間のロードマップを見ても、日本はまず移行期として天然ガス由来の水素・アンモニアを想定している。

この部分は、非常に大きな課題だ。というのも、天然ガスから水素・アンモニアを作るときに発生するCO2を分離回収・貯留するCCS(二酸化炭素回収・貯留)の技術や装置で日本のメーカーは競争力を持つものの、CO2の貯留場所をいかに確保していくかについてはいまだ不確実なところがあるからだ。

天然ガス由来の水素やアンモニアを日本にどう持ちこむかについては、①資源国の設備において天然ガスから水素・アンモニアを作って、それを日本へ輸入するやり方と、②資源国からLNG(液化天然ガス)の形で輸入して、日本国内で水素・アンモニアを取り出すやり方の2つが想定されている。その際、資源国や日本国内でCO2を安全に貯留できる場所を確保する必要がある。

 

――CCSは容易ではない?

世界を見ても、CCSを商用稼働しているのはアメリカ、オーストラリア、ノルウェイだけだ。海外では、枯渇してきた油田にCO2を押し込んで、その圧力で石油を取り出す形で利用されることが多い。石油生産の経済性を増すため、CO2は「商品」となっている。だが原油価格が一定以下に下落すると、不採算になるため、将来的な持続可能性は不明だ。

スウェーデンとノルウェイのエネルギー会社が主導するオランダの水素火力発電は2025年の稼働を予定し、既存の天然ガス火力発電から水素へ転換するものだ。天然ガスから水素を作るときに発生するCO2は、船舶でノルウェイへ送り、同国でCCSを行う方法が計画されている。ちなみにこの水素火力発電のタービンは三菱パワー製だ。日本勢はこうしたプロジェクトも参考にして、日本向けの構想を練っている。

水素社会は水素とアンモニアのすみ分けに

――政府の発表や報道では、「水素」という言葉が使われており、一般の人たちはアンモニアと水素の違いなどで頭が混乱しやすいと思います。全体を整理すると、どうなりますか。

水素と空気中の窒素を合成すればアンモニアができるし、アンモニアを水素化することもできる。水素とアンモニアが近い関係にあることは事実だ。

ただし、経済産業省の中にも、燃料電池自動車(FCV)などを念頭に水素を中心に考えるグループと、電力を念頭にアンモニアを中心に考えるグループに分かれているようだ。水素とアンモニアをまとめて「水素社会」と呼んでごまかしているところはある。だが、当面はそれでもあまりまずいことにはならないだろう。

おおざっぱに言うと、日本の電力業界はみんなアンモニアによる火力発電へ突き進んでいる。アンモニアは毒性(強い刺激性)があり、コンシューマ用途には向かないが、工業や肥料用などで長年使用されてきたため、発電所や工場などではハンドリングしやすい。

一方、水素にはFCVに代表される自動車分野や家庭用のエネファームなどの用途があるが、貯蔵・運搬面で技術的課題がある。運搬方法では大きく2つの候補があり、1つはマイナス253℃まで水素を冷却して液化する方法、もう1つは水素にトルエンを混ぜてメチルシクロヘキサン(MCH)にして輸送・貯蔵する方法だ。MCHなら普通のコンテナで運ぶことができ、低コストだが、最後に水素を分離する際に約400℃の熱を加える必要がある。液体水素、MCHともに冷却や加熱によるコストの課題などを抱える。

――なるほど。発電はアンモニア、自動車など輸送機器は水素というすみ分けですね。しかし、発電所自体がアンモニア活用でCO2フリーになるなら、自動車業界が長年力説してきた「Well to Wheel」(油井から車輪まで)で見ても、全部EVでいいということになりますね。

自家用車はEV、大型など商用車はFCV

EVは電池容量の関係で航続距離が短いこと、充電に30分以上かかることがネックとしてあるが、一般的な自家用車の利用としては問題ない。一方、トラックやバスなど大型車やフォークリフトといった商用分野では、航続距離や充時間(水素なら約3分)という要素が重要であり、水素が活用されるだろう。つまり、自家用車はEV、商用車はFCVというすみ分けだ。

インテグラル(すり合わせ)型に強い日本車メーカーは、モジュラー型(組み合わせ型)のEVに消極的だといわれてきた。しかし、実際にはトヨタなどは火力発電のCO2フリーというゲームチェンジャー登場を受けて、EVとFCVにがぜん力を入れ始めていると思う。

――歴史を見るまでもなく、エネルギー政策は、安全保障と不可分一体です。日本が水素社会の方向へ舵を切るとすれば、外交にも影響は及びそうですね。

日本の外交戦略である「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)は、日米とインド、オーストラリアがカギを握るといわれている。こうした中で、水素戦略によって日本で大幅な需要拡大が予想される水素・アンモニアの調達先としては、オーストラリアが注目されている。米中対立の余波を受けて、中国がオーストラリアからの輸入を減らす方向だが、代わりに日本がオーストラリアからの天然ガスないし水素・アンモニアの輸入を増やすことはFOIPにとってもプラスという考え方だ。

日本はLNG(液化天然ガス)などの貿易や物流のノウハウで強みを持っている。その強みを発揮して、アジア地域での水素社会化やエネルギー輸送などで主導権を発揮することが期待される。また、CO2フリーの火力発電建設の輸出も期待できる。一方、中国も水素関連技術に強い関心を持っており、対中政策でも交渉カードの1つになるかもしれない。