確実にいる「勉強に向かない子」がするべき選択

中学2年の子どもがいます。難しい年頃でなかなか言うことを聞きません。小学校のときから学校の勉強が嫌いで、積極的にやろうとしません。一方で、コンピューターにハマっていてプログラミングには興味があるようで、そればかりやりたいと言います。
しかし、まずは学校の勉強ができないといけないと思い、塾に行かせましたが、宿題はほぼやらず、塾もサボり気味になっています。何をやっても勉強に向かわないため、母親をやめたい気持ちです。どうしたらいいでしょうか。
(仮名:太田さん)

「勉強に向いていない子」はどうしたらいいか

母親をやめたいぐらい、完全にお手上げ状態なのですね。

まず、勉強をしたいと思っていない子に勉強をやらせようとしている時点でアプローチを完全に間違えているのですが、そもそもあることに気づかないとこの問題は解決しません。

それは「この子は学校の勉強には向いていない子」ということです。

これまで4000人以上の子どもたちを直接指導してきて、その中でも勉強ができない子がたくさんいました。しかし、勉強ができないと一口にいっても、大きく3つのタイプに分かれます。

(1) どこかのタイミングで、勉強に関する劣等感を植え付けられた子

→ 植え付けられた段階にさかのぼり、そこを補強し“リハビリ”することで、自信を取り戻していくことがあります。

(2) 勉強方法を知らない子

→ 勉強をやっていても、伸びないという場合、理由のほとんどがこれにあたります。これは勉強方法を教えてあげれば短期間で伸びます。ただし親が教えると拒絶反応を起こすため第三者からの指導がいいでしょう。

(3) そもそも教科勉強が向いていない子

→ 多くの子どもたちを指導してきて、中には明らかに「教科勉強に向いていない子」も少なからずいました。それでも、受験や試験はテクニックでも取れてしまうため表面的に点数を取らせることは可能ですが、本質的には教科勉強には向いていません。

「勉強に向いていない」という言葉を聞くと、バカにされたような印象を持たれるかもしれません。しかし、違う表現をすれば、「別の才能を持っている」ということでもあるのです。

つまり才能の「種」が違うということです。種が違えば、違う花が咲くのは当たり前のことです。しかし、「皆、同じ種を持ち、同じような花が咲くはず」と錯覚するところから、悲劇が始まります。

確かに学校の勉強ができるに越したことはありません。しかし、そもそも勉強に向いていない子が、学校へ行き、毎日勉強することは非常に苦痛なことでしょう。そこへさらに追い打ちをかけて、家でも塾でも勉強をやらせると、どのような結果になるでしょうか。本来は違う花が咲くのに、皆と同じ花を咲かせるために、「種」の品種改良みたいなことをやってしまいかねません。

勉強に向き不向きの子の特徴

勉強に向いている、向いていないという言葉を使ってきましたが、では、勉強に向いているとはどういう状態にあるでしょうか。これまで筆者が考察してきた子どもたちの共通項を挙げてみると、次のようになります。

<勉強に向いている子の特徴>
知的好奇心が強い、調べる習慣がある、なぜだろうという探究心がある、自分の意見を論理的に言う習慣がある、問題の矛盾を発見する、勉強をゲーム化・クイズ化できる、共通部分をすぐ見抜く

子どもの年齢によって異なりますが、このような特徴を複数個持っています。

では、勉強に向いていない子とはどういう子でしょうか。それは上記とほぼ真逆になります。

<勉強に向いていない子の特徴>
教科学習が退屈で面白みを見いだせない、勉強を自分でゲーム化・クイズ化できない、そもそも勉強内容に興味がないので「なぜだろう」とは思わない、勉強は意味がないと思っているので当然調べるという習慣はない、学習知識を得たいと思わない

このような子でも、あることがきっかけで突如、勉強に興味を持つということもありますが、そのようなきっかけを期待していても、いつやってくるかはわかりません。

 

では、勉強に向いていない子はダメな子なのでしょうか。実はダメどころか、とても高い能力を持っており、すばらしい「花」が咲く子が少なくないのです。

筆者の知人に小中学校の成績が、ずっとオール1だった方がいます。その方は、学校の勉強はまったくできませんでしたが、手が器用であったため、小学生の頃にすでに近所の人たちから修理を頼まれるほどでした。

それならば、図工や技術の成績がいいはずです。しかし、完成した学校の課題である木工作品があまりにも完成度が高く、先生に怒られたそうです。なぜなら、「お前はなぜ自分でやらないで大人にやらせたんだ!」と。自分でやったと説明しても信じてもらえないため、「すいません」と謝ったそうです。その結果、成績は1です。

そして中卒で、その後自分の才能を伸ばし、木工職人となり、天皇陛下がお座りになるいすや、屏風を納めた方でも知られる有名な木工職人として現在活躍されています。

この方は「確かに勉強はできなかったが、得意分野があった。それを伸ばしていけばいい」とはっきりおっしゃいます。現在、その方の学び量は尋常ではなく、博識でもあり、有名大学出身の方を指導する立場にもなっています。

確かに、学校の勉強には向いていなかったといえるでしょう。しかし、それだからといって、その人自身が否定されるものではまったくないのです。否定どころか、勉強以外の才能を持ち、それを伸ばしていくことで、結果として後から「学び」がやってくるということを証明しています。

やりたがっていることを“徹底的に”やらせてみる

太田さんのお子さんの場合で言えば、お子さんの才能は「コンピューターやプログラミング」にある可能性が高いと考えていいでしょう。

とくにこれからの時代は、学歴偏重時代をようやく脱却しつつあり、価値観重視の進路選択へとシフトしつつあります。しかし、いまだ昭和時代の経験を引きずり、情報がアップデートされないまま現在に至っていると、自分の過去の経験を眼の前の子どもに投影してしまうこともあります。例えば、中学受験の勉強に向いていないのに、周囲の情報や自分の体験からやらせてしまい失敗してしまったという例は枚挙に暇がありません。

以上から、お子さんは教科勉強という“花”が咲くのではなく、別の才能の“花”が咲くと考えてみてください。そうすれば、現在取っているアプローチがいかに異なったことをやってしまっているかわかると思います。

つまり、「勉強をさせる」というアプローチを捨て、その子がやりたがっているプログラミングを“徹底的に”やらせてみるというアプローチです。日常では勉強という言葉すらいっさい使わず、子どもの意思でやりたいようにさせてみてください。

期間としては2週間程度、試されてみるといいでしょう。これまでの実例では、2週間程度で勉強に向いていないはずの子が、なぜか勉強するようになるという想定外の行動変容がみられる場合もありました。しかし、そのようなことを期待しすぎてもいけません。お子さんの才能を伸ばしてあげること、ここに一点集中してみてください。