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銀行はアホの集まり。アホから借りれば企業の倒産は必然的

数年前の話になるが、不動産投資を始めたばかりの筆者は、とある地銀に決算書を持ち込んだ。面会の機会を与えられ、本店に足を運ぶことになったのだが、そこで待ち受けていたのは、50代以上と思われる複数人の役付きだった。

自己紹介を終えて、具体的な融資の相談が始まるかと思った瞬間、担当の口から出た一言が衝撃だった。

「会社ごとに決算期が違うね。銀行に書類を見てほしければ決算期はそろえて、きちんと補足説明資料を作らないとだめ。また形が整った頃に来たほうがいいんじゃない?」

筆者のように複数法人を経営する場合、すべての法人の会計期間を統一しろという意味合いなのだが、そのようなことをしなくていいように財務の試算表を作っているはずだ。

当時の筆者の会社は黒字を計上しており、現金の蓄えも1億円以上あった。きちんと財務資料を見てもらえば優良顧客になりえたはずだ。にもかかわらず、審査の前に断られた。いわゆる「門前払い」を食らったわけだ。

銀行の審査がしやすいように企業がお膳立てをしなければならないのでは、どちらがビジネスの主役なのかわからない。そう思った記憶がある。おかげで筆者の会社の決算期はそろい、財務資料は見やすくなったが、この銀行はその後、合併という形で姿を消した。

 

金融機関とのおかしなやりとりは枚挙にいとまがない。門前払いになるパターンはほかにもいくつもある。

「資料が多くて読むのが大変なので、受け付けられない」

「ほかにも取引している金融機関があるのだから、今回の案件はほかに持っていったほうがいいのではないか」

規模の大きさゆえなのか、大口顧客であっても門前払いにして他行に向かわせようとする感覚は理解に苦しむ。

銀行のプライドを立てなければはじまらないこともある。

「地銀で断られた案件はうちではやらない」と、あるメガバンクの担当者は言う。メガバンクは地銀よりも上位であり、上流の案件しか手がけないという彼らのポリシーを尊重するしかない。

「早めにお願いしたい」と催促してはいけない

ようやく審査をしてもらえることになれば、次の関門が待ち受ける。

「他行の動向はどうですか」

融資の相談を遮って、他行の動向を聞く担当も多い。競合の動向を堂々と聞けるのは銀行の立場が強いからにほかならないが、他行の状況を聞いたところで何が変わるわけではない。目の前にいる客の相談を真摯に聞くべきだろう。

一通りの話を聞いてもらえれば、ようやくスタート地点に立てる。だが、ここで催促してはいけない。

「お急ぎでしたら他行に問い合わせされたほうがいいでしょう。逆にご迷惑になってしまうので……」

それが銀行の決まり文句だ。「早めにお願いしたい」という当たり前の希望を持ち出したとたんに距離感が生じることもある。ここはこらえて銀行のペースで審査を進めてもらうしかない。

さて、ようやく審査をはじめてもらえても、ゼロ回答で終わることもしばしばある。それ自体は仕方のないことだが、お断りにも銀行特有のルールがある。

「上席と2人で訪問して説明したいので時間をとってください」

融資の否決は、上席と2人で訪問して伝える社内規則になっている。申込者からすれば断られることがわかっているのに、多忙のなか時間を作って銀行の儀式に付き合わなければならないのは苦痛でしかない。

このように審査には多くの障壁がある。狭き門をくぐり抜けて、首尾よく融資が可決されれば、担当者にお礼を言いたくもなるだろう。だが、担当者はすでに次の一手を用意しているかもしれない。

「期末目標があるので定期預金を作ってください」

融資の現場ではよくある光景だ。よく考えると、運転資金を借りに来る客は基本的に足元の資金が足りていない。それを知ったうえでも無利子に近い定期預金を「お付き合い」で作らせるのは、顧客に不利益な取引ではないだろうか。

高い利子を払ってまで借りた虎の子の運転資金を、定期預金として拘束されることに顧客側のメリットはない。金融庁が規制してもいいくらいだ。

こうしたおかしなやりとりは、担当者個人の問題ではないことも多い。担当者自身もおかしいと感じながら推奨してくるサービスもある。

「形だけでいいので遺言書を作ってほしい」「最初だけでいいのでビジネスマッチングサービス(有料)に案件登録してほしい」

融資以外の収益も確保して総合金融機関であろうとする各社の経営方針だろうが、本当に形だけのものが多く、顧客にメリットのある付加サービスに出会うことはまれだ。

筆者も、担当者に言われた通りにマッチングサービスに登録したが、当社案件への応募は1件もなかった。

信用保証協会の債務保証がもたらす歪み

「保証協会付き融資なら、うちはやる気です」

信用金庫の担当者は意気込む。保証協会とは、零細企業向けに数千万円程度の融資枠を提供する日本政策金融公庫の関連組織だ。公庫も保証協会も、中小企業の「最後の砦」といわれる公的金融機関であり、信用力に乏しい企業に小口資金を融資しているという点では同じだ。いずれも、なくてはならないセーフティーネット融資制度だといえる。

しかし筆者は、この保証協会のする債務保証が地域金融機関の活動に歪みを生じさせていると考えている。保証協会は保証だけを提供し、実際の融資は地元の信金などが貸し手となる点がポイントだ。

信金はこの制度を使って、保証協会に保証をさせたうえで貸せば、ほぼ無リスクで利ざやを得られてしまうというカラクリがある。そうなれば、自らのリスクで企業の事業性を評価して融資を出すことを控え、保証協会の「おいしい」保証に依存したくなるのもうなずける。

「埼玉は東京よりも保証協会の審査が厳しいので、信金が保証協会に頼らず、自らプロパー融資を拡大している」

そう証言する信金担当者もいる。保証協会の審査が甘ければ、信金はそこから無リスクで利益を上げることに走り、保証協会が使えなければ、自ら知恵を絞って顧客を開拓しているというわけだ。

昨今のコロナ対策融資も実務は保証協会が担当しているが、ここでも同じことが繰り返されている。

「いまは、コロナ対策融資以外は取ってくるなと支店長に言われている」

信金から見れば、コロナ融資はリスクをとらずに利ざやを得られる"ボーナス"だ。それを獲得するためにプロパー融資は一時休業というのは、金融庁には聞かれたくない営業方針ではないだろうか。

実は保証協会付き融資を客に提案するのは、体(てい)のいい断り文句にもなっている。プロパーで貸す気はないが、公的融資の窓口代行ならばぜひ、というわけだ。それが冒頭の「保証協会付き融資なら、うちはやる気です」の意味合いだ。なんとも皮肉な「やる気」ではないだろうか。

零細企業の最後の砦であるはずの保証協会は、零細信金の最後の砦になっている現実がある。

「うちの銀行もいつかはつぶれますよね」の杞憂

筆者が経験してきたような銀行本位のやりとりは、すべての金融機関に当てはまるものではない。事業性を評価して数千万円単位の無担保融資を出す「侠気のある」金融機関もある。しかし、少なくはない金融機関にあてはまるのは業界全体が顧客本位の感覚を失っているからかもしれない。

入社してから日の浅い若手はこのような状況を憂慮して「これじゃ、うちの銀行もいつかはつぶれますよね」(メガバンク)とつぶやく。しかし、筆者の考えは逆だ。「つぶれない」ことがわかっているからこそ、銀行本位の営業を続けられるのではないだろうか。

なぜなら、日本で経済活動をしたければ銀行との取引は必須であり、銀行規定のコストを客が負担するしかないためだ。そして、その非効率性による高コストは、金利上昇や業務速度低下などを通じて最終的には、融資を受ける企業や一般市民が負担することになる。

その観点では、金融機関は半官半民セクターともいえるだろう。そのような組織が非効率ならそのツケは最終的に国民負担となるのはいつものパターンだ。金融機関が真に顧客本位のサービスを行うとき、日本経済は再び活力を取り戻すだろう。