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コロナが奪った日本の観光産業の「明るい未来?」

 

「なんでよりによって今年なんだ……!」

思わずそう言って頭を抱えた人は多いだろう。世界銀行がその影響について「世界のほとんどの地域で国民1人当たりの所得が減少している」と発表したように、たしかにコロナ禍は地球全体を巻き込んだ。そして、もちろんこの災禍がいつ日本を襲ったとしても未曾有の危機に発展したことは間違いない。それにしてもそれが日本に現実にやってきたのは、まるで意志をもって狙いすましたかのように2020年の春だったのである。

2020年の2月から世界的な感染拡大、3月11日にWHO事務局長によるパンデミック宣言、4月16日にはわが国においても緊急事態宣言の全国拡大、そしてそのまま終わりの見えないウィズ・コロナ期へ突入……という一連の災禍のタイミングは、とにかく日本にとっては最悪だった。

日本は「勝負の年」のはずだった

2020年といえば多くの人にとっては、東京オリンピック・パラリンピックが開催される「はず」だった年だろう。東京オリンピック・パラリンピック開催ということは、例がないほど大量のインバウンドが予想されるということである。

大量の宿泊客を見込んで、とくに東京や大阪、京都などの都市部ではホテルのオープンラッシュが加速する一方、それ以上のスピードで拡大していた民泊市場も、地域社会にさまざまな問題を引き起こしながらもバブルともいわれる活況を呈していた。すべては2020年に向けて、である。観光に関係する人々にとって2020年は数十年に一度、いや日本の観光史上最大の「勝負の年」だったのだ。

それは観光産業を新しい時代の基幹産業と位置づけていた日本という国にとっても同じであった。

政府は毎年「観光ビジョン実現プログラム」を策定してきたが、これは2016年に政府が策定した「明日の日本を支える観光ビジョン」の実現を目指して、その年ごとの観光政策の基本方針を示すものである。そして、この「ビジョン」を象徴する目標として掲げられ続けてきたのが「訪日外国人旅行者数2020年4000万人、2030年6000万人」という強気な数値目標であったのだ。

とくに2012年以降の安倍政権は、インバウンド誘致による観光産業の振興を地方創生の切り札として極めて重視してきた。そして、この2020年をメドとする「強気な」政策目標達成のため、免税範囲の拡充やビザの発給要件などの各種規制緩和、関係施設の整備など、観光産業の振興に寄与する政策を他分野の産業よりも優先して強力に推し進めてきたのである。

このように、この国にとって何よりも不運だったのは、この国がコロナ禍に突入したのが、よりによって2020年度が始まる春だったということなのだ。数十年に一度の「勝負の年」に向けて官民を挙げて国中が思い切りアクセルを踏み込み、トップスピードまで加速した……、まさにその瞬間だったということである。

日本はすでに「崖っぷち」の状態

しかし、そもそもなぜここまで日本は観光に入れ込んだのだろうか。それを理解するためには、わが国がすでに「崖っぷち」にあったことを確認する必要がある。

現在の日本の観光政策の指針となった「明日の日本を支える観光ビジョン」と同じ2016年に発表された国勢調査(2015年)では、1920年の開始以来、国勢調査の歴史で初めて日本の総人口が減少に転じたことが話題になった。北九州市をはじめ全国で実に8割以上の自治体で人口が減少したのである。

明治元年である1868年には3400万人あまりだった日本の人口は2008年の1億2808万人をピークとし、このあとはまるで崖を転がり落ちるような猛烈な勢いで減少していくことが予想されている。まず2025年には日本は75歳以上の後期高齢者が5人に1人という超高齢化社会に突入する。

そして国立社会保障・人口問題研究所の発表した予測値における中位推計では、減少に転じてから56年後となる2065年には8808万人にまで落ち込むことが予想されている。

この影響はまず何よりも地方の過疎化を急速に進行させることになる。そして2050年には現在人の住んでいる居住地域のうち6割以上の地域で人口が半数以下に減少し、さらに約2割の地域が無居住化すると推計されている。

はたして、このような地方の深刻な過疎化は何を意味するのだろうか。

近代日本は、地方から大量に物的・人的資源を吸い上げることで都市が繁栄し、そしてそこで生み出された富を再配分することで国全体が繁栄するというサイクルの中で成長を続けてきた。

とくに戦後の日本では、地方から東京への一極集中は大きく分けて3回起きている。1回目は高度経済成長期、2回目はバブル期、そして3回目は2000年代以降である。高度経済成長期とバブル期の人口集中は好景気によるものであり、「東京のほうがいい仕事がある」という東京のプル要因に導かれての人口移動であった。

それに対して2000年代以降の一極集中は、少々事情が異なるのだ。長引く就職氷河期や地方経済の低迷により、「もう地方では食べていけない」という地方の窮状によって押し出されるようにして上京するというプッシュ要因によって起こっている人口移動なのである。

人口が過密になった都市で出生率の低下がみられるのは普遍的な現象であり、何も東京など日本の大都市だけに限ったことではない。それだからこそ都市の繁栄は人口再生産力の高い地方から余剰人口を吸い上げ続けることで維持されてきたのだ。

しかし、いま地方は「食べていける場所」ではなくなりつつあり、余剰人口どころか消滅の危機と闘っている。地方の余剰人口を吸い上げることで都市の繁栄を支えるサイクルはすでに崩壊し始めているのだ。

この事態を受けて、国は地方で産業を創出し人口の流出を防ぎ、人口減少に歯止めをかけるという「地方創生」を2014年から進めている。当初は2020年をメドに、東京圏(東京・神奈川・埼玉・千葉)から地方への転出を4万人増やし、地方からの転入を6万人減らすことによって10万人の転入超過を解消する計画だった。

ところが依然として東京圏への転入は増え続け、2019年には14万8783人にまで転入超過が膨れ上がった。このため政府も当初の目標を2024年に先送りせざるをえなくなっており、この問題の決定的な処方箋はいまだ見つかっていない。

そこで、先述のようにその地方創生の切り札と目されてきたのが観光産業なのである。近年の産業政策において観光が優先されてきたのは、観光産業の持ついくつかの特徴が現在、日本が抱えている課題の解決に特に寄与するものであるとみなされたからだ。

頼みの綱だった「観光産業」

すでに製造業の落ち込みなどを防げなかった日本にとって、観光産業は「伸びしろ」のある数少ない有望な成長分野であるということ。また他産業の拠点がどうしても大都市など限定された環境に一極集中しがちであることに比べ、観光産業では自然豊かな農山村や古い街並みを残す地方都市まで、さまざまな条件や環境を持った地域が拠点となりうるため、全国の幅広い地域が恩恵を受けることができること。そしてもう1つキーとなるのが交流人口という概念である。

いわゆる人口というときにはその地域に定住している人の数を想定するが、その定住人口に対して、交流人口とは通勤やイベント、観光などでその地域を訪れる人の数を指すものである。

もはや定住人口の増加を追い求めることが困難になった地域でも、交流人口を増やすことで地域を活性化させようというコンセプトのもと、近年とくに注目されるようになった。これについて観光庁は外国人観光客ならば8人、日本人宿泊客ならば25人で、定住人口1人と同程度の経済効果が生ずると推計している。

これらの理由から、避けがたい人口減少時代への突入を控えた崖っぷち国家である日本にとって、観光産業は最後の希望といっても過言ではないものだったのだ。

とくに観光立国という勇ましいスローガンを掲げた2003年から続く日本のインバウンド誘致・観光政策は、旗振り役となった政府の予想をも上回る目覚ましい成果を上げ続けている。

先述のように、国際社会で日本の各種産業の存在感が低下し続ける時代にあって、観光産業は数少ない優等生であった。

ちょうど国勢調査の結果によって日本が絶望的な人口減少局面へ突入しつつあることが明らかになったその年、2016年に打ち出された「訪日外国人旅行者数2020年4000万人、2030年6000万人」という強気な数値目標。それも人口減少への危機感と、この観光という「救国の産業」への期待の大きさの表れだったといえるだろう。

諦めるわけにはいかない

しかし、その最後の希望も、よりによって勝負の年を襲ったコロナ禍ですべて吹き飛んだ。

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一度は手が届くかと思われた「訪日外国人旅行者数2020年4000万人」という目標の達成は誰が考えても不可能なものとなった。われわれはいま、平和産業とうたわれた観光産業の、そして観光という営みそのもののもろさを突きつけられて、ただ呆然としている。

しかし、緊急事態宣言の解除後、6月19日に開催された観光戦略実行推進会議において政府の観光戦略の実質的な司令塔を務めてきた菅義偉官房長官(当時)は「2030年に外国人旅行者を6000万人とする目標」を改めて確認。

また、7月17日に閣議決定された「骨太方針2020(経済財政運営と改革の基本方針2020)」においても「観光の活性化」に割かれる紙幅は前年度に比べ大きく削減されたものの、いまだ「2030年に6000万人とする目標等の達成」が述べられている。

「死んだ」「終わった」、そう言い立ててみても、崖っぷちのわれわれに残された手札はもう多くない。この国はまだ観光を諦めるわけにはいかないのだ。