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地方が復活するには!他力本はNG

私は「まちビジネス事業家」として地域の発展や再生にかかわっているわけですが、ときどき「とてもじゃないが、食べられない特産品」に出くわすことがあります。要は「これでお金をもらおうというのはムリゲー」というわけですが、一方でどんな商品でも「最初から完璧」というものはないもので、「カイゼンしていけばいい」ということでもあるはずです。

ワインが「まずい」と言った町議は問題なのか?

このことに関連して、先日広島県世羅町でこんな「事件」があったのを耳にした読者も多いのではないでしょうか。すなわち、ある町議会議員が、累積赤字に悩んでいる第3セクター「セラアグリパーク」の取り扱う「せらワイン」に対して「まずいから売れないのではないか?」という趣旨の発言をしたところ、地元関係団体が「不用意な発言だ」「生産者のやる気をなくす」といった声明を出し、町議会ではその町議への辞職勧告決議が可決される事態にまで紛糾したという話です。

食べ物や飲み物には好き嫌いがありますから、ある人にとっては「まずい」と感じるものでも、他の人にとっては「おいしい」ものもあります。私も実際にワインを飲んだところ、決して「とんでもなくまずくて飲めない」というものではありませんでした。しかし、問題はそこではないのです。

売り上げが思ったように上がらず赤字が続き、在庫も積み上がっているような状況からすれば、商品そのものに問題がある可能性を検討するのは妥当なわけです。しかし、そのような発言に対して「生産者のやる気をなくす」などという反論をしてしまうあたりに、特産品開発の問題が透けて見えます。

普通に考えれば、なぜこのような「売れない特産品が作られ続けているのか」が問題の本質のはずであり、そこからは当然「なぜ商品や販売手法などが改善されないのか」ということが問われないといけないはずです。実はこうした話は何も世羅町に限ったことではなく、全国的な問題になっています。

自分でこの20年ほどを振り返ってみても、過去には「たまねぎ入りの焼酎」「売り場の棚に入らない突飛なデザインのドレッシング」「胃に穴が開いたかと思ったほど高酸度の『飲むお酢』」「『どんどん試飲して下さい』と言われても二口と飲めないワイン」などなど、直接手にとった特産品だけでも、驚くべきものが多数ありました。

これらのすべては「ぜひ近くの商店街でも取り扱ってほしい」という要望をもらいましたが、あまりにひどい商品だったので「売れませんので、ぜひ改善を」ということを提言しました。しかし、残念ながら、こうした売り込みをしてきた人たちとはすべて音信不通になってしまいました。

「分不相応な予算」がつくと、どうなるのか?

世の中では、農業生産物を高い技術で加工・販売することにより利益率を改善しようとする「6次産業化」という話がなされるようになって久しいのですが、未だにこうした恐ろしい商品が生み出されるのは「作ることだけ」でも自治体などの予算がつくからです。

本来、商品開発というのは、目的ではなく、儲けるための手段です。しかし6次産業化が政策になってからは、さまざまな支援体制が作られたことにより「予算をもらうために特産品を作る人たち」が多く出てきました。つまりは「予算獲得の手段としての特産品」という側面が強くあるのです。

しかし、税金を使って素人が思いついた特産品でいきなり地元が稼げるようになるなどということは、確率から言ったらほぼゼロに近いものです。むしろ「分不相応な予算」がつくからこそ、いきなり大風呂敷となり、重要な「きめ細かい営業努力」などをしなくなってしまうことも少なくありません。なぜなら、こうした場合、「次なる予算を獲得する」ほうに労力をさくほうが、営業するよりも、まとまったお金が入るからです。

実際、農林水産省が推進してきた6次産業化ファンドなどを推進する目的で319億円の基金を元手に作られた「農林漁業成長産業化支援機構」(A―FIVE)はどうなっているでしょうか。2018年度末段階では累積損失が92億円超の状況となり、問題視されています。

農水省所管事業だけではありません。「雇用創出」の名のもとに進められた厚生労働省による特産品開発もあれば、「商店街空き店舗対策」としての取り組みもあります。このように、さまざまな予算を活用して「売れない特産品」が全国各地に多数量産されているのです。

「売れない特産品」には、必ず売れない理由があります。試作品の段階、あるいは発売開始時点から何らかの問題を抱えているのは当然です。最初からヒット商品が作れるのなら誰も苦労はしません。世の中には、改善に改善を重ねて、その末にヒットを生んだ商品が多数あります。それに比べて、特産品の多くは開発され販売されたはいいが売れ残り、それで終わりになっていく商品がいかに多いことか。

「責任者不在」のなかで作られる「無責任特産品」

なぜ全国でこうした惨状が繰り返されるのでしょうか。この理由としては、前述の「自治体の独自企画予算での大失敗」もさることながら、税金が使われる場合には「地域内協議会」が作られたり、「第3セクター方式」が採用され、それが失敗につながることも少なくありません。

こうした組織では、地元団体の偉い人たちが集まるのです。いわゆるさまざまな地元団体で代表や役員を務める「充て職」と言われる人たちは、自らの出身母体のことばかり考えます。例えば農業者団体なら農業者の代弁者として、商業者団体なら商業者の代弁者として、地元民間企業なら自社のため、といった具合です。

母体の損得を基本に考え、母体のメンツを第1優先に考えます。さらに言えば、これらそれぞれの団体や企業には「地域内のヒエラルキー(階層)」が存在し、下位の層が上位の層に逆らって行動することはご法度とされています。

このような空気感のなかで進められる特産品開発の最たる問題は、結局「事業責任者が不在」ということにつきます。事業に対して責任を持つのではなく、母体に対して皆が責任を持とうとするので、プロジェクトでの対立ばかりが起きてしまうのです。売れずに在庫の山になっても「それはうちの団体、うちの会社の責任ではない」とするわけです。最終的に何を言い出すかと言えば「そういう空気がある」とか「地域内の逆らえないヒエラルキーがあるから仕方ない」というような話になっていきます。

当たり前ですが、参加している各団体や企業の面子だけで商売できれば苦労はないのです。結果として特産品開発プロジェクトにかかわる、行政・団体・企業のすべてがどこか他人事の姿勢になり、成果が全く伴わないばかりか、改善の議論すら成立しなくなり、何かを言えば責任のなすりつけ合いになっていきます。

つまりは「いい商品にしよう」ではなく、「売れないというのはこちらをバカにしているのか」というような話になって、改善に向けた前向きな話にならないのです。こうして空中分解し、消滅していった特産品はそれこそ跡を絶ちません。

何よりも、このような不毛なメンツの戦いの中で最も割りを食うのは、特産品開発の委員会や第3セクターなどの組織で働くスタッフたちです。仕事をしようにも、役員クラスはバラバラに参加している団体や企業が互いに罵り合う一方、スタッフたちも出身母体がそれぞれ異なる出向者であったりします。また採用条件なども違ったりするわけですから、働きにくいことこのうえないわけです。

その結果、どうなるのか。心あるスタッフは徐々に離れていくことになり、立て直しはますます困難になります。そして、その地元から離れる人すらでてきます。これでは地域振興のために始まったはずの特産品開発が、むしろ地域の財政負担を拡大し、さらに有能な人材すら流出させる原因になってしまうのです。

全国を見渡せば、長野県の小布施町や高知県の四万十町の栗加工品、徳島県馬路(うまじ)村や旧木頭村のゆず製品など、各地でその地域の良さが発揮され、全国区で高い評価を受け続け、成長する特産品も多く存在しています。

稼いで地域に奉仕する民間企業に学べ

そもそも、ご当地のお土産として定着している商品は民間企業の商品が多いのです。例えば札幌市の石屋製菓の「白い恋人」は、北海道土産の定番中の定番です。「もう飽きた」という人も少なくないかもしれませんが、コロナ禍で観光客減の苦しいなかでも、同社は病院勤務者などのエッセンシャルワーカーなどに商品を配布するなど、地道な社会貢献にも努めています。

また、今や博多名物となった辛子明太子を作ったふくやもこうした企業の1つです。自ら辛子明太子を開発したにもかかわらず、その作り方を地域全体に広めた同社は、今も地元のさまざまな企画の協賛なども務め、勢いある福岡を支える地場企業の一つとして多くの人が尊敬してやまない企業になっています。これらの企業には「税金を使う」などという発想はありません。

しっかりとした経営者が、社員と共に地域に貢献する姿勢を持つ。だからこそしっかりとした商品が作られ続けるのです。地方はいいかげん、特産品作りを税金のネタとして使って消耗したり、地元で揉めごとの種にするのを、まずはやめななくてはなりません。

冒頭のように、地域内でワインをめぐって揉めるエネルギーがあるのなら、もっと外に向けてエネルギーを使ってほしいのです。向かうべきは内なのか外なのか。地域活性化では「この差」があらゆるプロジェクトの成否を分けています。