考えを文章だけで表す人は図の威力を知らない

例えば「今日の夕食はなんにしようか」とか、「週末はどこへ遊びに行こうか」とか、そういった日常のあれこれに関することであれば話は別かもしれない。しかし仕事の場においては、「考える」という行為をそれほど単純化させることはできないだろう。

『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

せっかく「考える」のであれば、相手をうならせるようなアイデアを出したり、重要な問題に関する有効な解決策を導き出したりしたいと思うもの。しかしそのためには、ただ漫然と考えるだけでは不十分なのである。すなわち「考える」だけでは足らず、「よく考える」「深く考える」ことこそが重要なのだ。

では、「よく考える」「深く考える」ためにはどうしたらいいのだろう? そのことについて考えるうえで参考にしたいのが、『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(東洋経済新報社)である。

著者の平井孝志氏は30年以上にわたり、ビジネスの最前線において経営問題の解決策や新たなアイデアを「考え」て、「結果を出す」ことを求められてきたという。そんな経験を軸に、「頭で考えることは、ビジネスで大きな武器を手に入れることに等しい」と主張してもいる。

「頭で考える」と全体像を描ける

そのような考え方に基づく本書の重要なポイントは、「頭で考える」というテーマに特化している点だ。

「図で考える」ことが威力を発揮する理由は、ビッグ・ピクチャー(全体像)を描ける、論理展開が明確になる、構造やダイナミズムを的確に把握できる、といったところにあると思います。なぜそんなことが可能なのかと言うと、「 図で考える」ことで、モノゴトを抽象化して捉え直すことができるからです。これは「文章」にはなかなかできないことではないでしょうか。
(「はじめに」より)

確かに文章とは違って、図の場合はそこに盛り込める情報の量が限られている。そのため「情報は多いほうがいいに決まっているじゃないか」と思われるかもしれない。だが、そうではなく逆なのだ。「無駄をそぎ落とす」ことこそが重要なのである。

情報量が限られていて、図に入れるべき情報を制限するということは、必要ないものを省くということだ。するとその結果、図には「大事なもの」しか描けなくなり、結果的に必要な「論理」や「本質」がより明らかになるのである。

だが、そもそも図とはなんなのだろう? このことについて平井氏は、本書におけるいちばんシンプルな図を、「紙1枚(例えばA4)に描かれる線や丸や四角と言葉で表現されるイメージ」と定義づけている。

ちなみにこの場合の言葉とは、長い文章ではなくキーワードや簡単な見出し程度のもの。読むのではなく、目に飛び込んでくるくらいのものであるということで、線や丸や四角と同様の視覚的要素ということになる。

したがって、無駄をそぎ落とし、必要なことだけを紙1枚に描いた図は「思考の全体像」となるわけである。それは、平井氏の言葉を借りるなら「現実から抽象的に切り出された本質的に大事なものであり、頭(とくに右脳)でいじることのできるイメージ」である。

図の種類(概念図・構成図・分析図)

なお平井氏は、図を大きく以下のような3つに分けて考えているそうだ。

(外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

(出所)『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(東洋経済新報社)

まず1つ目は、「最もシンプルなポンチ絵」と表現されている「概念図」。1枚の紙の上に思いつくまま、丸や四角や線を描いていく図のことで、つまりは落書きのようなもの。まだ頭がモヤモヤしているような段階において新たな着想を得たり、あるいは問題の構造を見つけたりするため、試行錯誤しながら描く“自由演技の図”である。

2つ目の「構成図」は、「型」を活用しながら描く図。なんとなく思考の切り口が見え隠れしているような場合は、有効な「型」を当てはめてみることが効率的だということ。問題の全体像を捉えるのに適しているわけだ。概念図が自由演技だとすると、これは規定演技的なものだそうだ。

そして3つ目の「分析図」は、なにか特定の対象を“分”けて明“晰”にするために描く図のことだが、本書では主に「概念図」(基礎編)と「構成図」(実践編)に焦点を当てており、「分析図」は扱っていないという。本書の主眼がビッグ・ピクチャーを捉え、大事なもの、本質的なもの、構造や論理をあぶり出すことにあるからだ。

これらの図を使うと考えが深まる第1の理由は、情報の渦に溺れることがなくなること。そもそも紙1枚であり、長い文章も用いないのだから情報量はかなり限られることになるわけだ。

情報が多すぎると、それらを整理するだけに手いっぱいになってしまうばかりか、思考の低下をも引き起こしかねない。知識が「常識」になってそこから抜け出せなくなり、柔軟な発想も奪われるというようなことが往々にして起こるのである。

最初のうちは、新しい情報を得るたびに問題への理解は深まっていくだろう。新たな視点が、思考を刺激してくれるからだ。とはいえ、ある時点を境に情報量と思考量は反比例するのだという。

(出所)『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(東洋経済新報社)

そういう意味で、1枚の紙の上の適度な情報量が「ちょうどいい」ということだ。

また当然ながら、図を書くと思考を可視化することができ、その結果、思考のモレや矛盾、弱点が明らかになる。誰にでも経験があるだろうが、頭で「わかった!」と確信したとしても、その論理は意外に「緩い」ことが多いもの。しかし図にすれば、そうした緩さが白日のもとにさらされるわけだ。

そしてもう1つのメリットは、記録として残せること。頭の中の記憶が消えたとしても、図にしておけば消えることはない。いつでもその図を取り出し、続きから考え、「思考のビルディングブロック」を積み上げていけるのである。

「ビッグ・ピクチャー」を捉えられる

1枚の紙の上で考えることのもう1つのメリットは、「鳥の目」に慣れること。1枚の紙に大事なことを描こうとすると、おのずと視座が上がって、その紙1枚がヌケやモレのない全体像、すなわちビッグ・ピクチャーになるからだ。

きちんと考えるためには、いま考えていることに対して影響を及ぼすすべての要素を、視野を広げて大きく捉える必要がある。もし視野が狭いと、その視野の外にあるなにかが影響し、想定外の事態を招きかねないのだ。したがって、基本は「考える範囲」=「影響が及ぶ範囲」ということになる。

(出所)『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(東洋経済新報社)

「ビッグ・ピクチャー」は、影響がある範囲を切り取る境界線で定義されるべきだと平井氏は言う。ビッグ・ピクチャーを持てると、答えの精度が上がり、ミスを減らせるとも。

図は、新しい着想を得るうえでも役に立つそうだ。平井氏はそのことに関連し、有名な経済学者のヨーゼフ・シュンペーターを引き合いに出している。かつてシュンペーターは、「イノベーションはすでに存在しているものの新しい組み合わせ〈新結合〉によってもたらされる」と指摘したというのだ。

なるほど周囲を見渡してみれば、2つの要素の組み合わせで生まれたものはいくらでも見つかる。シャンプー(洗う)×リンス(ダメージケア)でリンス・イン・シャンプー。印刷機能部品×インク(消耗品)でカートリッジ。ロボット(機械)×ウェア(機能)でウェアラブルロボットスーツなどなど。

平井氏が大学のゼミ生と新規事業や新製品創出の議論をする際にも、異なるものの組み合わせによるさまざまなアイデアが出てくるそうだ。

・日本的デザインと消臭などの高機能を兼ね備えた伝統工芸高級靴下(デザイン×機能性)
・海上輸送中に、3Dプリンターで製品を作ってしまう工場船(輸送×製造)
・カメラで撮影した家の外を、家内の壁一面に投影し壁が消えてしまう家(撮影×投影)
・乗れば乗るほど健康になる車(移動×診断・治療)
(61ページより)

という具合だ。つまり新しいアイデアをひねり出す際に、1枚の紙のタテとヨコになんらかの軸を取り、その掛け算のマス目をにらんで「なにか新しいものはないか?」と考えてみるということである。

(出所)『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(東洋経済新報社)

図なしで組み合わせを考えるのは困難

興味深いのは、これを「図なし」で考えるのはとても難しいと平井氏が指摘している点だ。

2つの異なる要素をタテ・ヨコに取れば、紙を見ながらぱっと考えることができる。そればかりか、空いているマスもすぐ目につくだろう。ところが、これを箇条書きにするとどうだろう?

タテ・ヨコの要素が5つあるだけ、すなわち5×5の箇条書きになるわけだから、どこをどう見てなにを発想したらいいのかわからなくなるかもしれない。したがって、もしも3つ以上の切り口を組み合わせて発想を試みるなら、それらの要素を紙にバラバラと描いて眺めたほうが、箇条書きにするよりずっといい。

例えば、3つの異なる切り口に5つずつ要素があるとすると、箇条書きだと5×5×5で125行になってしまう。だとしたら下図のように、バラバラと要素を書き出し概念図にしたほうがわかりやすいはずだ。それを集中してにらみ、直感的にさまざまな組み合わせをイメージして考えれば、アイデアも浮かびやすくもなることだろう。

(出所)『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』(東洋経済新報社)
つまり図は、文章だけでは捉えられないものをわかりやすく、直感的に見せてくれるのだ。そのため本質的な理解が深まり、新しい着想を得るのに役立つわけである。
(63ページより)

「頭で考える」習慣が役に立つ

素直に白状すれば、本書を手にした時点では「頭で考える」ということに共感していたわけではなかった。難解なイメージを拭えず、理系の人が思いつきそうなことだというような偏見があったのである(事実、平井氏はもともと理系で、図やグラフを使うことに慣れていたという)。

ところが読み進めていくうちに、そんな思いが文系である自分の偏見にすぎないことがよくかった。直感的でわかりやすく、いろいろなことが腑に落ちたからだ。だから後半の「実践編」も無理なく受け入れられたし、少しずつでも図を描く習慣をつけてみようかなという気分になっている(まだ行動には移していないので、重要なのはこれからだが)。

平井氏も、人生のいろいろな場面で「頭で考える」習慣が役だったと過去を振り返っている。例えば、こんな感じだ。

・打ち合わせのとき、紙やホワイトボードに図を描くとすっきり議論が整理できた
・レポートやプレゼンを作るとき、工夫した図を入れると、けっこう高く評価された
・悶々と難しい問題に悩んでいたとき、紙の上で図を描いていると、いいアイデアが閃いた。
(「はじめに」より)

どれも日常の仕事で応用できそうなことばかりだ。先入観を排除して「図を描く習慣」を身に付ければ、このようにさまざまな可能性を広げることができるのかもしれない。