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日テレ同時配信開始で聞こえる電波返上の足音

10月から、日本テレビがついに放送と同時のネット配信のトライアルに乗り出す。午後7時から11時のプライムタイムの番組で、権利者の許諾が取れたものを配信する予定だという。配信プラットフォームは、日本テレビの配信サイト「日テレ無料」や各民放番組の見逃し視聴サービスをしている「TVer」が想定されているそうだ。将来、TVerでの民放各局の同時配信・見逃し配信が実現すれば、そのインパクトは非常に大きい。

そもそも日本は、同時配信においては後進国だ。例えば英国では公共放送のBBCと民放のITVが2008年から無料の同時配信と見逃し配信サービスを提供している。日本はなんと12年も遅れている。その最も大きな要因は危機感の違いだ。

振り返ると2006年から2008年にかけては、世界の映像ビジネスが大変革を始めた転換点だった。2006年にはスタートアップだったYouTubeがGoogleに買収され、翌年にはアメリカのレンタルDVD企業Netflixがコアビジネスをネット配信に移行させている。

2008年にはアメリカのNBCやFOX、ABCなど大手テレビ局によるHuluがサービスを開始。英国もこの流れに乗り遅れまいとネット配信を加速させた。アメリカでは、高額なケーブルテレビからはるかに安価なネット配信に乗り換える人たち、「コードカッター」が急増し、各テレビ局も動画配信サービスに次々と乗り出した。

日本の同時配信が遅れた理由

一方、日本のテレビ局は、日本語という言語の壁に守られているうえ、無料のテレビ放送が圧倒的に普及しているので有料の配信サービスは受け入れられず、ネット配信の影響は限定的だとみていた。事実、2011年に日本に進出したHuluは苦戦し、2014年には事業を日本テレビに売却している。

しかし2016年にNetflixやAmazonプライムビデオが日本に上陸したあたりから事態は変わり始めた。Amazonは通販の送料が無料になるプライム会員をすでに多く獲得していたが、その会員なら追加料金なしに動画配信サービスを利用できるという強力な施策を打ち出した。

Netflixも日本語のオリジナル番組と優れたリコメンド機能を武器に着実に会員数を伸ばした。そしていつの間にか、世界を股に掛ける巨大企業は日本に確固たる足掛かりを築いていた。

図表は日本のテレビ局系と世界の有料動画配信サービスの会員数を比較したものだ。

Netflixの会員数はアメリカでは全世帯数の半数近く、英国では4割以上を占めている。日本でもつい先日、8月末時点で500万人を突破し、約1年前から200万人増えたと発表している。これは日本テレビのHulu、フジテレビのFODよりはるかに多い。

またAmazonプライムビデオは日本でも頭抜けた会員数を獲得している。グラフには含めていないが、ほかにもスポーツ動画配信サービスのDAZNの会員数は200万人とも300万人ともいわれている。

会員数の差だけではない。日本のテレビ局にとってもう1つ怖いのは、NetflixやAmazonの桁違いの資金力だ。例えばドラマ1話の制作費は日本の数十倍ともいわれ、DAZNがJリーグの放映権を10年で2100億円という破格の金額で獲得したことは知られている。

日本のアニメへの投資にも積極的で、NetflixとAmazon両社ともテレビ作品の配信権を高額で買い占め、オリジナル作品を次々と制作。このままでは圧倒的な資金力を持つ黒船に、ユーザーやコンテンツだけでなく番組を作る制作者も奪われてしまいそうだ。

テレビ離れ対策に同時配信は有効か

こうして日本のテレビ局が、日本語と無料の壁に守られていると思い込みノロノロしていた間に、視聴者であるユーザーはテレビ局を見限ってしまいつつある。以下のグラフはNHK放送文化研究所が5年ごとに調査しているテレビの行為者率の1995年から2015年までの経年変化だ。

 

行為者率とは1日に15分以上テレビを見た人の割合になる。これを見るとテレビがどんどん見られなくなっているのがわかるが、男性は2010年から2015年にかけて減少幅は大きく拡大し、テレビ離れが加速している。

とくにZ世代と言われる幼いときからネット環境の中で育った世代のテレビ離れは顕著だ。2015年これほどまで落ち込んだものが5年が経った2020年、どのようになっているか。今年の調査結果が気になるところだ。

こういったテレビ離れした人たちに番組を見てもらうためには、その人たちが見ている場所、つまりインターネットに番組を出していくしかない。日本テレビだけでなく全局が全番組を同時配信、さらに見逃し配信をすれば時代遅れだったテレビは一気に復活すると私は考えている。ところが、それがなかなか難しい。最大の障害は権利処理の問題だ。

番組を配信するには放送とは別にすべての権利者から許諾を得なければならず、二重の権利処理が必要でコストと労力がかかる。番組配信はまだビジネスとして未成熟であり、多くの番組の権利処理が必要な同時配信はテレビ局の負担が大きい。

解決策は同時配信を放送とみなすことだ。これについては、政府も動き出した。内閣府の規制改革推進会議が7月2日に出した答申では同時配信について、『著作権法上、放送と同等に扱われるべきであり、ふたかぶせの問題を解決するにはこの制度改正が必須である』としている。

「ふたかぶせ」とは、同時配信の番組の中で権利の許諾が取れない部分は視聴できないように「ふた」をかぶせてしまうことをいう。「ふたかぶせ」によってニュースや情報番組では許諾の取れないスポーツ映像が視聴できなかったり、NHKの同時配信では当初『ブラタモリ』は番組自体が視聴できなかったり、TBSの見逃し視聴では大人気の『半沢直樹』がダイジェストしか視聴できなかったりする。この問題を解決するには、著作権法の改正が不可欠なのだ。

同時配信と見逃し配信はセットで有効

またこの答申が画期的なのは、『放送番組のインターネット同時配信には、類似のサービスとして、いわゆる追っかけ再生や一定期間の見逃し配信も含むべき』と明記されていることだ。

実は同時配信だけではそれほど需要がないことは実証されている。NHKでは2016年11〜12月の3週間、4999人を対象に同時配信と見逃し配信の実験をしたところ、期間中に一度でも同時配信を利用した人は6%、見逃し配信を利用したのは8.5%という結果だった。

利用者が少なすぎるように見えるが、視聴習慣はそう簡単には変わらない。利用者の絶対数ではなくむしろこの実験では、同時配信より見逃し配信の方が多く利用されたことに注目したい。

SNSではテレビ番組がよく話題になるが、見逃し配信でなければ話題の番組を見ることはできない。民放公式の見逃しサービスTVerは、今年3月時点で累計ダウンロード数は2500万を突破しMAU(マンスリーアクティブユーザー)も1000万を超えている。

このTVerという共通プラットフォームで日本テレビだけでなくほかの局の同時配信と見逃し配信が視聴できれば、ユーザー数は急増しテレビ番組の面白さに気付いた若年層のテレビ回帰につながるとみている。

同時配信については、NHKが一足先に今年4月から開始した。6時から24時までの、東京エリアで放送する番組を全国に同時配信し、追っかけ再生や放送後7日間は見逃し配信も見られるなどNHKの力の入れ方がわかる。

NHKはかなり以前から同時配信を早く始めたいと考えていた。関係者によると「スタートラインに両手をつき、クラウチングの姿勢のままスタート合図を今か今かと長年待ち続けていた状態」だったという。それに対して民放は同時配信についてはこれまで腰が引けていたが、日本テレビが一歩踏み出したことで、ほかの局も重い腰を上げざるをえないだろう。

とはいえ、NHKと違い民放の同時配信の実現には権利処理以外にも障害がある。それは、ローカル局問題だ。NHKと同様に、民放も関東エリアの放送を全国配信するようだが、そうなるとローカル局への打撃は小さくない。

とくにテレビ局が2〜3局という県域では、現在は放送されていない東京の他系列の番組がネット上で見られるようになるので経営が圧迫される。ローカル局はキー局以上に広告収入が減少しており、問題は深刻だ。

不便で時代遅れのテレビが生まれ変わるとき

ただ、ローカル局も含めた全民放で同時配信、見逃し配信が実現すれば、そしてすべての番組が共通のプラットフォームで配信されるようになれば、テレビはメディアとしてもビジネスとしても劇的に進化する。

ネットに進出すれば、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアとつながり、リンクを通じて視聴に誘導できる。アナログなテレビ広告がデジタルになり、はるかに先を行くネット広告のアドテクノロジーが使えるようになる。不便で時代遅れだったテレビが生まれ変わる。

さらにその先にあるのは電波からの解放だ。まもなくスタートする5Gが普及するカギはゲームと動画配信と言われており、すでにGoogleやApple、通信キャリアなど多くの巨大プレイヤーが動き始めている。ここ数年で一気にテレビもネットも含めたメディア環境が変わるだろう。

ネットでいつでもどこでもテレビ放送が見られるようになれば電波を使う必要はなくなり、貴重な電波はIoTなどの社会インフラに活用すべきだという議論は必ず起きる。10年後にはテレビ局は電波を返上しているかもしれない。