カワウソの子、実はみんなカナヅチという衝撃

教え方さえ、学んで会得するもの

カワウソは、水中を素早く泳ぎ回って魚を捕らえることができます。魚を捕らえるためには、つまり、魚を上回る泳力が求められるということなので、カワウソがいかに優れたスイマーかということがわかると思います。ところが、このカワウソ、実は生まれつき泳げるわけではありません。お母さんに泳ぎ方を教えてもらわないと、満足に泳ぐことができないのです。

カワウソの母親は、子どもを水の中に引きずりこみます。そして、強引に潜らせたり、子どもの首をくわえて水の中をいっしょに泳いだりするのです。こうして母親は、子どもに泳ぎ方を教えていきます。

無理やり泳がされる子どもたちは少し気の毒にも思えますが、自ら泳いで魚を捕ることができなければ、カワウソとして生きていくことができません。そのため、教える母親も必死なのです。

このようにカワウソの子は親から「泳ぎ方」を学びますが、カワウソの母親は、「泳ぎの教え方」をどのようにして身に付けるのでしょうか。本能に備わっているものなのかというと、おそらく、そうではありません。

カワウソの子どもは、母親に泳ぎ方を教わります。そして、その母親を見て「教え方」もまた学んでいたのです。大人に成長し、親になったカワウソは、自分がしてもらったように子どもに教えるのです。

動物園で人間に飼育された動物は、上手に子育てができなかったり、子育てを放棄することがあると知られています。ちなみに最近では、動物園でも動物を繁殖し、増やすことも重要になっているため、園で生まれた動物もやがて自分の子を育てられるように、できるだけ子どもと親をいっしょに飼育したり、飼育員が親の子育てをサポートするようになっています。

つまり、私たち哺乳動物は、親もまた、親となるための練習が必要なのです。

さて、繰り返しになりますが、哺乳動物は、「エサをとる」という生き物が生存するうえで最低限に必要な技術さえも、学習しないと得られません。そして、子どもに学習させるというその技術もまた、学習して会得するという仕組みなのです。

もし、親が適切な学習をしなければ、子どもを育てることができません。そして、子どもが適切な学習を受けなければ、子どもは生きていくことができません。よく考えると、これはなんて危うい仕組みなのでしょう。

哺乳動物が欠点のある知能を選んだワケ

哺乳動物は、なぜこのような危うい仕組みで命をつないできたのでしょうか。これは、哺乳動物が発達させてきた「知能」という戦略ゆえのことです。

「知能」に対して「本能」には、生きるための技術があらかじめプログラムされています。例えば、虫などは、本能をみがき、発達させてきました。このプログラムに従えば、誰の助けを受けなくても、産まれたばかりの子どもでも、生きていくことができます。本能というのは、ある意味で、とてもすぐれたシステムなのです。

ところが、本能には欠点がありました。

それは、「環境の変化に対応できない」ということです。どんなに生きていく環境や状況が変化しても、生物はあくまでも本能というプログラムに従って行動します。環境の変化に合わせて本能のプログラムが書き換えられるためには、とても長い進化の歴史を必要とするのです。もしその書き換えが環境の変化のスピードに追いつかなければ、その生物は、時代遅れのプログラムのために滅んでしまうかもしれません。

一方、知能というのは、自分で状況を判断する力です。環境が変化しても、状況に応じて行動を変えることができるのです。しかし、その知能にも、欠点があります。知能は、学習してたくさんの情報をインプットしなければ、何もすることができないのです。

本能にも知能にも、メリットとデメリットがあります。この2つの戦略のうち、哺乳動物は知能を選んで、進化を遂げたということです。

もっとも、哺乳動物にも本能はあります。ほとんどの場合、産まれたばかりの赤ちゃんは教わらなくても母親のおっぱいを飲むことができるようになります。恋の季節になれば、オスはメスを好きになり、メスはオスのことが好きになります。たとえ環境が変わっても変化することのない不変の行動だけは、本能でプログラムされているのです。

それでは、どうして「生きる術」は、知能に依存しているのでしょうか。もうおわかりでしょう。生きる術は、環境に合わせて変わるものだからです。

例えば、ライオンなどに比べて体の小さいチーターは、トムソンガゼルやインパラなどの、あまり大きくない草食動物を獲物にします。しかし、トムソンガゼルやインパラが、いつでもエサになるとは限りません。環境が変われば、そのどちらもいない環境もあるはずです。

そこでは、小さなネズミを捕らなければならないかもしれませんし、逆に大きな獲物に挑戦しなければならないかもしれません。そのため、エサをとるという「生きる術」は、本能にプログラムしないのです。

不変なことには本能で、変化には知能で対応

また、最初に紹介したカワウソはどうでしょうか。環境によって泳ぎ方は変わります。そこは流れの速いところかもしれませんし、水深が浅い場所かもしれません。獲物になる魚の種類によっても、必要な泳ぎ方も変化することでしょう。そのため、知能によって泳ぎ方を覚えていく必要があるのです。

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哺乳動物は、不変のことには本能で対応しますが、変化することに対しては知能で対応するように進化をしているということです。

そして、子育てもまた、知能を使います。子どもがかわいいとか、子どもを守りたいと思うのは本能です。しかし、子育ての方法は本能にはプログラムされていません。それは、親が子どもに教えるべき「生きる術」は、時代や環境によって変わるからです。さらに、子ども一人ひとりによっても、それぞれに違うからです。

「本能」は、プログラムされた行動は正確に行います。一方の「知能」は、もしかすると判断を誤るかもしれなかったり、うまくいかないかもしれないというリスクをつねに持っています。

それでも哺乳動物は、「教え方は変化する」という戦略を選んだのです。