コロナ後の職場で増える「ざんねんな人」図鑑

あなたの職場にこんな人いませんか

① すぐに何かの陰謀にする人たち

新型コロナウイルス感染症の流行以降、職場などでこんな風に言う人はいませんか。

「〇〇国はもうだめかもしれない」
「〇〇食品は体に悪い、絶対食べちゃだめ」
「ウイルスは〇〇が人工的に作り出したもので、人々を操作しようとしている」
「ワクチンは医療業界が儲けるためにやっているだけで、実は効かない」

医療や健康情報について詳しく調べるようになり、どこの食品や製品がいいの悪いのと周囲に喧伝し始めます。熱が入ったように周囲を啓蒙し、他人にも同じような思想や習慣を強要しようとすることも……。

 

こちらが否定しても、「あなたはだまされている」「マスコミに洗脳されている」などと言って、なかなか聞く耳を持ちません。相手の理論の矛盾をこちらが突きつけると、「○○がそう言っているから」「○○に書いてある」と他人の理論を傘にして、自分で論理的に検討することを放棄し始めます。

自分の考えや信念に肯定的な人とそうではない人に分けて考えやすく、ひとたび下に見られると隠れた敵のように扱われることもしばしば。そして、当人はたいへんだ、問題だと騒ぎながらも、どこか満足げでシニカルな幸福感に包まれています。

カギは「想像の過剰肥大」

このような人々は、真実を信じているように見えて自分の妄想に埋没していると言えるでしょう。

彼(女)らを支えているのは想像力です。想像力は、人間が文明を築くに至った基本機能の1つです。想像力を働かせれば、「隣の部屋にどんな人がいるか」「昨日この部屋で何が起きていたか」「明日この部屋で何をやろうか」などを推測できます。

うまく推測できれば、現実に対処する能力が格段に上がります。人間は想像力を持ったからこそ、見えていない現実について考えられるのです。

ところが彼(女)ら(以下、妄想属)の場合、この想像力が過剰に拡大して、現実離れしてしまっています。現実離れした想像は、現実をうまく推測できません。現実に対処できなくなる反面、想像を自由に働かせることで、意義ある人生を想像世界に構築して満足感が得られます。

妄想属が抱えている問題は、この想像と現実の不一致が原因となっています。とくに想像を現実と取り違えていると、一体感を高めるのにひと役買うこともありますが、現実が見えにくくなる場合が多く、厄介です。

妄想属の言動は言い訳のようにも聞こえますが、本人の中では想像が現実より先行しており、想像のほうが正しいと思っています。だから、「現実と異なるウソ」を自覚して表明しているのではありません。

彼(女)らに「それは単なる想像だ」と自覚させるには、現実を知らせることが重要です。ところが、妄想属に現実を知らせても反応は多様です。「それはフェイクだ」と、かたくなに拒否するケースも見られます。

一般に、現実に即した報道がなされても、あらゆる報道内容を疑うことができます。「メディアは政府の隠れた陰謀で動かされ、現実でないことを私たちに『現実である』と思いこませようとしているのだ」と考えればいいのです。

周囲ができることは限定的

これは「陰謀論」と呼ばれ、どんな情報もフェイクとして無視できる万能の方法です。陰謀論を唱えるほどの、かたくなな妄想属には、打つ手がありません。

周囲ができることは、現実を受け入れて想像を訂正できる一部の妄想属に、訂正の手がかりを提供することくらいでしょう。まずは、「それは想像にすぎず、現実と違うよ」と伝えてみて、想像の訂正もいとわない姿勢があるかどうかを判定してみましょう。

謙虚な姿勢があれば、妄想属を脱却する脈があるということです。傲慢な妄想属が管理職に就くと最悪です。うまくいってない現実を無視して、理想を追い求めてしまいます。企業では「3年赤字が続いたら管理職は退陣」などと決めていますが、妄想属に食いつぶされないための工夫です。

② 何でも占い頼みの人たち

お昼時になるとLINEの通知が鳴り、何やら真剣に見ている様子。「これ、今週の運勢なんだ」。聞けば、すごく当たる占いなのだそう。よくよく読んでみると、誰にでも当てはまりそうな言葉が並んでいるにもかかわらず、「占い師の○○さんはすごい」と感じ入っています。

意味不明で抽象的すぎる予言でも、自分の中で適度に読み変えて納得している様子も見られます。占い師は新型コロナウイルス感染症の流行や世界的不況などの事態も予想していたと当人は主張していますが、そこには何にでも当てはまりそうな不安と変化を煽る文章しかありません。

 

「共感力が高い」ともいえますが、「過剰に自分に都合よく解釈している」ともいえるでしょう。そもそも、自分の悩みや事態をきちんと把握していない可能性も高そうです。

運命を信じるあまり、重要な決断や自分の身の振り方は占い任せになりがち。予言を当てにすることで、自分で決定権を持とうとしません。また、結果が悪そうなときは、努力を怠ることもあります。

さらには、自分の行動の責任を自分で持ちたがらない傾向も。失敗しても本人の責任や行動の改善につなげがたいため、周囲は生暖かい目で見守るしかありません。

また、かなわなかった予言や願いについて、振り返って検証することはせず、次の予言を待ったり、逆にあきらめる傾向が見られます。

「次の星のめぐりがよくなれば変わるから」
「今年は変化の年だから身を任せていく」
「負のパワーにやられてしまった」

パワーブレスレットをあれこれ選ぶ前に、次回のプレゼン資料の準備をしてほしいんですけど……。

占いを信じるのは先史時代の遺伝から

このように占いを信じ、人間が何らかの運命の中で生きていると信じている人(以下、運命属)は、「未来に向けて自分が挑戦する」という気持ちが小さく、占い師に相談して「よりよい選択を聞き、それに従う」という依存的傾向を持っています。

自分でほとんど選択しないので、失敗したと思うことがありません。厳しい状況に追い込まれても、それも「運命」として受け入れます。その点では、後悔を重ねる人とは対照的です。むしろ、もう後悔したくないから運命属になった人もいるでしょう。

先史時代からこのかた、人類は社会集団で生活してきたので、個人で決断することにあまり慣れていません。だから、集団の掟に従って生きるほうが性分に合っていて、安心できるのです。

「自分で決めていいよ」と言われると、人によってはたいへん当惑します。その結果、自ら「決めてくれる何か」を求めて、運命属になるのです。

運命属は、自分の将来を誰かに委ねているので危険です。その誰かの思惑に気づかないうちに従っている可能性があります。カルト宗教に入会したり、詐欺にあったりする事態が予想できます。「適度に信じる姿勢」が大切になります。

誰かの宗教的信仰を周囲が変えさせるのが困難であるのと同様、運命属を脱却するよう周囲から促すのは至難の業です。単に指摘するだけでは、何の解決にもつながりません。

周囲ができる唯一の策は、本人が依存しているものに代わる「何か」を提示して、そちらに乗りかえるように勧めることです。例えば、占い師以上にカリスマ的な魅力を持ったリーダーのいる職場に配置転換してみるといいでしょう。

周囲が警戒すべき点は、運命属の相談に乗っている間に、その相談者が依存の対象になる可能性です。依存心の強い運命属の場合、つねに頼れる存在を求めているので、相談相手と抜き差しならない関係になりがちです。

他人から頼られるのは気持ちいいものですが、相談相手を延々と続けることもまた難しいでしょう。続けられなくなったときに、運命属は途方にくれて「愛が憎しみに転じる事態」を起こす可能性があります。

多くの場合、周囲ができるのは相談相手になることではなく、せいぜい深刻な事態にならないかどうか見守ること程度なのかもしれません。

違う自分がいるのは普通のこと

③ ネットでいいことを言い出す人たち
「大切なのは、部下を大切にすること。社員の安全が第一です」
「日本も海外並みの意識を持つべき」
「社会の変化を機に、会社も組織も変わらなくては」

SNSアカウントを検索してみると、こんな風になんだかいいことを言っています。新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、危機意識を持つ必要性を訴えたり、ビジネスモデルや組織を変えていこうと意気揚々と主張していたります。

しかし、その人格は職場などで見せる側面とは明らかに違う様子。どうやら、そのアカウント内ではそういうパーソナリティやキャラクターで統一しているようで、「いいね」を押したり、つながっている相手も、その人格と関連した人種になっています。

「あれ、こんな人だったかな」と思って、SNSや特定のコミュニティで見せている人格を前提としてリアルで接してみると、非常に冷淡な反応が返ってきます。

ネットで見せていた熱い思いや勢いはどこへ。「ネットではこんなこと言ってましたよね」とさりげなく指摘してみてもどこ吹く風。どうやら、コミュニティやアカウントによって、キャラクターを使い分けているようです。

なんとなく収まりが悪いような、納得できないようなモヤモヤ感が残ります。しかし、明らかな違反や問題行為ではないため、注意しづらいのです。

このような人たち(以下、変心属)は、周囲からは「節操がない」と批判されますが、よくいうと「一貫性のある自己表出」にこだわりのない人なのです。

 

人間は、異なった振る舞いが周囲に見えてしまうと嫌なものです。なぜかといえば、人類は太古の時代から、それぞれ個性あるメンバーが、集団で協力して仕事を分担していたからです。

一貫した個性があれば、その仕事を安心して任せられるので、周囲から集団の一員として認められるのです。今日でも「相手を見て態度を変えてはいけない」と言われるのは、このためです。

しかし、私たちは皆、状況に応じて異なる自己が出るものです。例えば、友人同士で破天荒に振る舞っているところに、意中の異性が来たら、思慮深い自己を演じたりします。でも、その場にいた友人に2つの異なる振る舞いを見せてしまうと、どちらが本当の自分か、混乱させてしまいます。

社会心理学では、これを「多重観客問題」と呼んでいます。普通の人は、周囲を混乱させないように気を使って、大きく異なる振る舞いをしないように心がけます。

変心属には、この配慮が足りないのです。彼(女)らは「理解されにくい事態を気にしない」という点で、人目を気にするアピールしたがり屋とは反対の方向性です。

1つのパーソナリティを求めることには限界がある

変心属を見かけたら、「状況に応じて自分らしい対応をしているんだな」と、おおらかに受け止めたいものです。決して、本人に「一貫性のある自己表出」を求めてはいけません。

むしろ、それを求めることこそが、過去の習わしへの固執なのです。変心属に過度な負荷をかけないようにしましょう。

人間は複雑な存在です。ときには豹変があってもいいのではないでしょうか。でも、職場での節度ある態度とは裏腹に、職場の裏事情をネット発信している場合は放っておけません。

その場合は、「一貫性のある自己表出」を求めるのではなく、「裏事情の情報発信が社員としての服務規定に違反する」などと警告するのが効果的です。

1人の人間の中には、実は多様な心の働きが潜んでおり、外側から見える表面はわずかなのです。

あなたが「一貫性のある自己表出」が心からできているのならば、やりたいこと、やれること、やれる環境がみんな合致している「幸せな人」であるため、ほかの自己が表面化せずに済んでいるだけなのかもしれません。