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目標はかえって働く人の「生産性を低下」させる

毎年の決まった時期、必ず作らされるのが目標です。その理由は、主に3つあります。

①目標を設定することで「個人の生産性」が上がるから
②目標の達成度合いを測ることで「客観的な評価」が可能になるから
③チームで目標を連携させることで、全員が同じ方向を向き、業績が促進されるから

働く個人にとって、企業の上役にとって、そしてチームビジネスという団体競技上、目標は有用というわけです。しかし、労働科学の分析では、これら3つはすべてそのとおりでないことが判明しています。

目標を課すことで生産性向上につながるのか

まず、目標を上から課すことが生産性向上につながることを示す証拠は1つもありません。それどころか、正反対の影響を及ぼし、業績がかえって下がってしまうことを示す証拠は山ほどあります。

 

雨の日にニューヨークでタクシーを捕まえようとしたことはあるでしょうか? 簡単なことではありません。やっとタクシーが来た、と思ったら、先客が乗っている。そんなことが何度も繰り返されます。

経済学をかじった人なら、雨でタクシーに乗りたい人(需要)が増えたのに、運転手の数(供給)が変わらないのがいけない、と思うかもしれません。しかし、実際に起こっているのはそんな机上の空論ではありません。

アメリカのタクシー運転手は、多くの場合これだけ稼いだら店じまいにするという、1日の売り上げ目標やノルマを持っています。その日の売り上げがノルマに達した瞬間、家へ飛んで帰り、次の日に備えて体を休めるのです。

目標の数字そのものは毎日同じです。しかし、雨の日はタクシーに乗る人が増えるため早々に目標を達成し、その瞬間一目散に家に向かうというわけです。

目標が「天井」の働きをする

同じことは企業の「売り上げノルマ」でも起こります。

リーダーがノルマを設定するのは、営業担当者の業績を促進するためでもあります。しかし、実際にはノルマはそういうふうに働きません。優秀な営業担当者は、年度が終わる何カ月も前にノルマを達成し、契約締結を先延ばしにして、翌年有利なスタートを切れるようにします。契約の「貯金」を作るのです。

売り上げ目標は優秀な営業担当者の業績をかえって低下させます。ニューヨークのタクシー運転手同様、業績を促進する触媒となるどころか、上限を決める天井の働きをするのです。

業績不振、もしくはごく平均的な担当者の場合はどうでしょう? 奮起を促す起爆剤になるのではないでしょうか? しかし、そうはなりません。平均的、または業績不振の担当者に何が起こるかというと、ノルマは単にプレッシャーとなります。しかも、それは自分の重要な目標を達成するために自分で課すプレッシャーとは種類が異なるプレッシャーです。

会社に押し付けられた目標を達成しなければ、というプレッシャーは強制であり、強制は恐怖と同類です。恐怖に駆られた社員は、時に追い詰められ、不適切または違法な方法に走ってしまうことがあります。

アメリカのウェルズ・ファーゴ銀行が、各支店に抱き合わせ販売のノルマを課したときに起こったのが、まさにこれでした。ウェルズ・ファーゴの個人向け商品担当者は、当座預金口座の開設に来た顧客に、普通預金口座とクレジットカード、ローンも合わせて勧めることになっていました。しかし、そうしたノルマが課されていたにもかかわらず、抱き合わせ販売が増えないどころかとんでもないことが起こりました。

顧客に無断で350万件を超える口座が開設されていたのです。強制は、人の目を曇らせ、善悪の判断をつかなくさせてしまいます。

従業員の評価としても、目標は役に立ちません。多くの企業が、達成した目標の数で個人を評価しますが、問題が1つ。各従業員の目標の難易度を平準化しない限り、相対的な業績を客観的に判断することは不可能なのです。

例えば、ビクトリアとアルバートの2人を評価するとします。2人はともに5つの目標を掲げており、年度末時点でビクトリアが3つ、アルバートが5つをクリアしていたとします。

目標達成の数ではアルバートに軍配が上がりますが、だからといってアルバートのほうの業績がいいとは限りません。もしかすると、ビクトリアの目標は「帝国を統治する」で、アルバートの目標は「お茶を淹れる」のようなものだったかもしれないのです。

目標達成度でビクトリアとアルバートを評価するには、すべての目標の難易度を完璧に測定し、すべてのマネジャーが完璧な一貫性を持って評価に臨む必要があります。これは現実には不可能なので、評価手段としても目標を使うことは本来できないのです。

「自己評価」で謙虚な自分をアピールする人々

年度末に目標に照らして行う「自己評価」にも、疑問が残ります。

おそらく皆さんがやっているのは、目標を全部達成したと豪語して傲慢な勘違い野郎だとにらまれるリスクと、計画どおりに進まなかったことを認めて上司や会ったこともない重役にボーナス減額の口実を与えるリスクとの間で、適当な落としどころを見つけようとする作業ではないでしょうか。

言い換えれば、目標の自己評価とは、注意深い自己宣伝と、政治的な位置決め、そしてどれだけ自分をさらけ出すか、猫をかぶるかの選択です。

そんな部下の目標に対面するチームリーダーの心理も、歪曲します。年度末が近づくと、チームリーダーは目標達成用紙の束を前に腰をおろします。部下の目標の下に、それぞれの仕事ぶりを説明する短い1、2文を書きながら、チームリーダーの頭をよぎるのは、部下の仕事ぶりのことではありません。どうしたらこの山を片付けて、やることリストから「目標の振り返り」という項目を消せるかということです。

評価される部下と同様、リーダーも貴重な時間を無駄にしているという焦りに駆られています。目の前にあるのは、やろうと思っていることを適当に思いついた分類にはめ込み、読む人にできるだけ感銘を与えるように書き、周到に位置づけた自己評価を散りばめたものでしかないからです。

チームリーダーにとってこの用紙への記入は、管理職の仕事のなかでも最悪の部類に入ります。「去年の評価より短くても誰も文句を言いませんように」と願いながら、簡潔な文章を書くしかありません。

目標が役に立つかどうか、より大きな貢献をする助けになるかどうかを判断する唯一の基準は、その目標をその人個人が自発的に設定したかどうかです。全体目標から落とし込まれた目標では、自発性は引き出せず、チームの意思統一が図られるべくもありません。

では、組織で全員に落とし込むべきもの、共有すべきものはないのでしょうか?

人は「意味」と「目的」がわかれば自発的に行動を起こしやすくなります。なので、組織として「このプロダクトを広めることは、どういうことなのか」「なぜ、この商品を広めるのか?」を共有して連鎖させることは非常に有用です。組織で働く人は、無自覚にせよ集団としての価値観を知りたがっているのです。

チームの奮起を促すには?

チームの奮起を促す材料には大きく分けて「チーム内部で醸成されるもの」と「チームの外部に端を発するもの」の2つがあります。

「チーム内部で醸成されるもの」とは、チームメンバー同士の安心感やお互いへの信頼などです。「チームの外部に端を発するもの」とは、会社の使命や会社の未来への自信などが挙げられます。つまり、チームは自分たちの必要の一部を自力で満たすことができますが、より大きな使命感や未来への自信は、チームの中だけでは生み出すことはできないのです。

リーダーは、チームとチームメンバーに、外の世界で起こっていることをリアルタイムで理解させるとともに、どの山を目指しているかを伝える必要があります。そうすることで、チームメンバーは自発的に目標を設定し、それこそが生産性の向上につながるのです。