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キャッシュレス化はなぜ進まない?戦略の失敗と「古脳」が原因

日本では都市を丸ごと最先端テクノロジーの研究開発・実践の場とする「スーパーシティ」の構想が進んでいる。その実現に向け、改正国家戦略特区法が参議院本会議で可決され、この夏からスーパーシティに指定する自治体の選定が始まる予定だ。

スーパーシティでは、AIやビッグデータを活用し、車の自動運転、ドローン配送、オンライン診療などの実現を目指す。こうした目標のひとつに含まれているのが、キャッシュレス決済の浸透である。

しかし、日本におけるキャッシュレス決済の実状は、スーパーシティで描かれる未来像からは程遠い。実際に日本のキャッシュレス比率は20%程度に留まっており、2025年までに40%を目指しているのが現状だ(経済産業省「キャッシュレス・ビジョン」(2018)より)。

これは、すでに50%を超えている中国や欧米諸国と比べ、世界でも突出して低い。それゆえに日本はスーパーシティどころか、「キャッシュレス後進国」と呼ばれている。

コロナウイルスの感染拡大が危惧されるなか、消毒されずに多くの人の手から手へ渡る現金は使用を避けたいものだ。それでも、日本ではいまもATMに長蛇の列をつくり、現金を下ろし、現金の利用から離れられない人が大勢いる。

なぜ日本はキャッシュレスの普及に出遅れたのか。どうすれば日本にキャッシュレスは定着できるのだろうか。マーケティングの視点から分析していきたい。

「優先順位」を見誤った日本

キャッシュレスが定着できている国の利用者の心理には、「現金よりも楽」という明快なメリットがある。まず安心できて、そして楽で、さらにお得だから当たり前に使われている。キャッシュレスの定着には、この「①安心、②楽、③お得」という優先順位が絶対的に求められる。

それでは、日本の現状を見てみよう。日本の各種キャッシュレス・サービスは、リリース当初には「〇%オフ!」や「〇円キャッシュバック!」を強烈にアピールした。クーポン配布、ポイント還元、キャッシュバックの期間限定・店舗限定キャンペーンを打ち出し、まっさきに「③お得」の競争に明け暮れた。

そして、サービスごとに利用できる店舗が細かく限定されていた。消費者はPayPayのキャンペーン期間にはPayPayを使い、LINE Payのキャンペーン期間にはLINE Payを使った。しかしその後、日常的に利用しようとしてみると、使えない店舗ばかりで不便さが勝ってしまった。

キャンペーンや店舗によってサービスをいくつも使い分けるのは面倒で、結局はいちばん楽な現金に戻ってしまう。日本のキャッシュレス・サービスは、「③お得」の前に「②楽」が欠けていたのだ。

さらに致命的だったのは、キャッシュレス決済に不可欠な「①安全」を担保できなかった点だ。どのサービスもキャンペーン中にシステム障害で決済できなくなる事態を繰り返した。

とくに7pay(セブンペイ)のリリース、トラブル発生、サービス中止という一連の騒動が決定打になった。結果、もともとリスク回避を好む日本人の心理に、「キャッシュレス決済はまだまだ信用できないもの」という固定観念がつくられてしまった。

はじめに安全が確保されてこそ、利用者はキャッシュレスに前向きな心理を抱けるようになる。安全性に疑いがあれば、一気にリスクを避ける動きに傾いてしまう。日本にキャッシュレス決済が浸透できていない原因は、この優先順位が崩れたところにあるのだ。

「安心」ばかり追い求めてしまう日本

マーケティングには2種類のタイプがある。

ひとつは、アイデアやビジネスのプラスの側面を伸ばす「加点型マーケティング」だ。加点型は、トライ&エラーを高速に繰り返しながら「②楽」「③お得」といった価値を最大化させていく。

例えば、中国人起業家のエリック・ユアン氏がアメリカで創業したWeb会議サービス「Zoom」は、加点型によって急速に広められている。リリース前に長時間をかけて万全のサービスに仕上げるのではなく、普及を拡大させながら高速でサービスの改良を行っていった。当初はセキュリティ面での問題なども散見されたが、怒涛の改良を経て、結果としていまでも大きな支持を集めている。

これと対照的なもうひとつのマーケティング戦略が、ビジネスのマイナスの側面を取り除く「減点型マーケティング」だ。穴を埋め、リスクを取り除き、きめ細かなプロダクトをつくりあげる減点型は、「①安心」を重視したプロダクトを仕上げ、顧客の信頼を獲得していくことに有効となる。

日本の企画会議などでよく耳にする「万が一、こんなことが起きたら~」「それは前例がないから危ない」「成功する保証がない」といった言葉は、減点型の特徴だ。徹底したネガティブ・チェックが行われるからこそ、ピジョンの哺乳瓶や花王のオムツ「メリーズ」のように、安心・安全な高品質製品として、国内外で評価を集めるメイドインジャパンのものづくりが実現されている。

このように、多くの日本企業は加点型マーケティングには不慣れだが、減点型に特化している。

しかし、キャッシュレスにおいては、「①安心」を優先させる減点型マーケティングが得意なはずの日本企業が、なぜか加点型で「③お得」ばかりを追求してしまった。その結果、日本のキャッシュレス・サービスは、「お得だけど、まだ安全ではなく、少し不便」なものになってしまっているのだ。

ここからキャッシュレスを定着させていくためには、「まず安全、そして楽、さらにお得」という優先順位を取り戻す開発とプロモーションが不可欠になる。つまり、加点型から減点型に戻さなければならない。減点型で完璧にシステムをつくりあげてから、加点型でサービスとして飛躍させる、というルートをたどる必要があるのだ。

そして、このルートをたどることで成功を収めたのが、中国ベンチャーの雄、アリババが展開するキャッシュレス決済のアリペイだ。

なぜアリペイは成功したか?

中国では本来、EC取引そのものが信用されていなかった。「リアル店舗でも偽物が多いのだからECはなおさら危ない」というわけだ。

商品・物流・決済のすべてに信用がなかった。そこでアリババがつくったのが、アリババの消費者間EC取引「タオバオ」におけるポイント通貨「アリペイ」だった。これは日本でいえば、メルカリのメルペイにあたるものだ。

タオバオでの買い物はアリペイで取引される。いったんお金をアリペイに変え、取引中に問題が起きた場合はアリペイが全額保証することで信用を担保した。アリペイは減点型で穴のない決済サービスとしてつくられ、利用者の信用を勝ち取っていった。

アリペイはタオバオの決済手段として定着し、こつこつと利便性を向上していったが、そこから飛躍しなかった。減点型でつくられたがゆえに、小さくまとまってしまったのだ。その現状を見たアリババの創業者ジャック・マー氏は、「アリペイは腐っている!」と怒りをあらわにしたという。

マー氏は「組織の変更によってこそ、戦略は転換できる」と語り、組織をつくり替えることで減点型から加点型へビジネスを強制転換させた。そうして加点型の組織として再編されたのが、アントフィナンシャル社だ。

アントフィナンシャルは、アリペイを加点型の決済サービスとして再定義し、より広大な成長市場を開拓していった。ネットでもリアルでも、どこでもアリペイが使えるようにサービス対象を急拡大させ、衣食住や娯楽のあらゆる場面をアリペイで完結できるよう変革した。

アリペイは減点型で開発・リリースされ、途中で組織を再編することで加点型へ切り替わり、サービスとして飛躍を遂げた。いまや中国は、アリペイとウィーチャットペイがあればどこでも安心して生活ができる、世界の最先端を進む「キャッシュレス先進国」だ。

日本でキャッシュレスを定着させるためには、「まず安全、そして楽、さらにお得」という優先順位に基づいて、加点型と減点型の2種類のマーケティングを有効に使い分けることが求められる。

このマーケティング戦略は、車の自動運転、ドローン配送、オンライン診療など、スーパーシティでも描かれている、新たなテクノロジーを活用した多くのビジネスに広く有益なものとなるはずだ。