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コロナ禍で加速「プロしか食えない」時代の衝撃

今回のコロナ禍によって、「不要な会議」「不要な出社」「不要な出張」「不要な業務」、そして「不要な人」が顕在化している。

今回のコロナ禍は、日本のビジネス社会が長年抱えてきた「不都合な真実」を一気に露呈させるだろう。その1つが、日本企業の低生産性をもたらしてきたさまざまな元凶である。

コロナの影響で、多くの企業は操業停止を余儀なくされ、立ち止まらざるをえない状況に追い込まれた。もちろん業績的には深刻なダメージをもたらしているが、その一方で、日本企業に長年巣食っていた「問題の真相」があらわになった。

ひとことで言えば、会社は「不要不急」なものだらけだったのである。結論の出ない「不要な会議」、わざわざオフィスに行く必要のない「不要な出勤」、ただ飲み食いするだけの「不要な出張」、意味や価値のない「不要な業務」……。すべてが止まったからこそ、会社という組織がいかに「不要不急」なものに汚染されているかが明白になった

そして、それは単に会議や業務だけにとどまらない。いざ会社が再始動するときに、「本当に必要な人は誰か」「本当に役に立つ人は誰なのか」が明白になる。逆に言えば、「不要な人」「役に立たない人」、つまり「いらない人は誰なのか」が白日の下にさらされてしまう

世界経済や日本経済が堅調であれば、「不要な人」を救う手だてはあるかもしれない。しかし、中長期的な低迷が予測される中、企業が「いらない人」を抱えている余裕などもはやない

日本経済新聞によると、三井住友FGは本部人員を3割削減することを計画しているという。同社の「本社管理」の人数は約1万5000人。3割というと約4500人が「いらない人」となる

イスラエルの歴史学者・ユヴァル・ノア・ハラリ氏が指摘した「無用者階級」(useless class)は一気に増大するだろう。ただし、その理由は、ハラリ氏が予言したAI(人工知能)によってではなく、コロナによってなのである。

コロナの影響が最も深刻なビジネスは、重厚長大な大規模設備投資型の産業や人を多く抱える「労働集約的な産業」である。経済活動がストップし、稼働率が一気に下がると、固定費の高いビジネスはもちこたえることができない。

企業で進む「人件費の変動費化」

今回のコロナが収束しても、同様のウイルスがまた世界で猛威をふるうことは間違いなく起こりうる。企業経営者は投資を抑制するだけでなく、「固定費の圧縮」に取り組まざるをえない。「身軽」にしておくことが最大のリスクヘッジであることが、今回、痛いほどわかった。

固定費圧縮の1つの手段が、コストの「変動費化」である。例えば、人件費についても、「正社員主体」から「契約社員などの期間限定的な雇用形態」が増えていくだろう。

日々の事業運営を担う「コア人材」は正社員として処遇するが、高度専門性を持つ「プロフェッショナル人材」は必要に応じて契約社員的に活用するのが、これからの人材戦略の1つの柱となる。

「高度専門性のある人材は高い報酬水準で遇するが、長期的な雇用の保証はしない」という考え方が日本でも当たり前になっていく。

この流れは、プロフェッショナルを目指す人材にとっても悪いことではない。プロ人材にとっては、1つの会社で長年勤めるよりも、複数の会社で「他流試合」の経験を積むほうが、「引き出し」が増え、市場価値の増大につながるからだ。

つまり、「人件費の変動費化」を進めたい企業にとって、「プロ化」の流れは「必要な時に必要な人材を必要な期間だけ活用できる」という望ましい形態とも言えるのだ。

それでは、個々のビジネスパーソンにとって「プロ化」が示唆するものとはいったい何なのか。

「職種」より「個別差」がさらに大きくなる

ひとつ目の示唆は、「アマチュアは間違いなく淘汰される」ということである。

【1】「アマチュア」は淘汰され、「プロ」は引く手あまた

AIやロボットなど先端テクノロジーの進展により、多くの職業が消えてなくなると予測されている。

オックスフォード大学のオズボーン准教授らは702の職種を対象にコンピューターへの「代替性」を検証し、「その47%がコンピューターに置き換わる可能性が高い」と発表した。

例えば、公認会計士という職業がAIによって大きな影響を受けるのは必至である。公認会計士が行う仕事の多くは、AIによって代替されるだろう。

しかし、だからといってすべての公認会計士が不要になるかといえば、そんなことはありえない。「AIでは代替できない高度な付加価値を提供する」ことができる公認会計士は、逆にその存在感を高めるだろう。

 

つまり、「アマチュアレベルの公認会計士」はお払い箱になるが、「プロの公認会計士」は引く手あまたの存在になる。

大事なのは、「どの職業がテクノロジーによって淘汰されるか」ではなく、「その職業に従事する一人ひとりが『プロ』なのか『アマチュア』なのか」ということだ。

テクノロジーがこれまでの仕事や労働に大きなインパクトをもたらすのは間違いないが、それによってなおさら「個別差」、つまり「個が生み出す付加価値の大きさ」が重要になるのだ。

2つ目の示唆は、「プロになれば安泰」というわけでは決してなく、「プロvsアマ」の差よりも、「プロの世界の中での競争や格差」のほうがはるかに大きく、厳しいということである。

【2】「プロになること」は最低限の条件

プロになることは、サバイバル競争に勝ち残るための「最低限の条件」にすぎない。それは、プロスポーツの世界を見れば一目瞭然である。

例えば、JリーグのトップであるJ1でプレイする選手たちの平均年棒(2019年)は約3500万円である。1億円以上を稼ぐ日本人プレイヤーも何人もいる。海外で活躍する選手を見れば、その何倍も稼いでいる。

それに対し、下部組織のJ2の平均年棒は約400万円、J3は300万~400万円程度だ。せっかくプロ契約を勝ち取っても、大学初任給と同じレベルの報酬しか手に入らない

プロになることが成功を意味するわけではない。「プロとして結果を出し、上の世界で成功をつかむかどうか」が試されているのだ。

コロナの収束は「新たな時代」の始まり

サッカー元日本代表の三浦知良選手はこう語っている。

「2部や3部では『練習環境をよくしてほしい』といった声をよく聞く。でもね、自分が上にいかない限り、環境なんてよくならないんだ。(中略)環境を改善してもらうのを夢見るより、自分でその環境へいく。生き残りたいなら、今いる場所を出てでも、上がれるだけ上がらないとね

この言葉に「プロフェッショナル」の本質が凝縮されている。

これと同様のことが、日本のビジネス社会でも起きようとしている。居酒屋で同僚たちといくら愚痴をこぼしたところで、何も変わらない。自分の人生を変えるのは自分しかいない

 

コロナの収束は、「個に立脚する新たな時代」の始まりでもあるのだ。