· 

偏向報道のTV業界、信用できる媒体なのか

4月7日放送の情報番組「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)で新型コロナウイルスに関する取材を受けた医師の澁谷泰介さんが自らのFacebookで、「編集で取材内容とはかなり異なった報道をされた」「真逆の意見として見えるように放送されてしまいとても悲しくなった」などとコメントしたことが物議を醸しています。

けっきょく同番組は週をまたいだ12日の放送で医師のコメントを紹介し直したうえで、「医療現場の声をつなげる、その受け止めをおろそかにしていた部分があった」と謝罪したものの、“結論ありき”の制作姿勢についての言及はありませんでした。

さらに、「グッド!モーニング」の放送が終わった同日8時すぎ、今度は似た番組名の「グッとラック!」(TBS系)を見た人々の異論が続出。検察庁法案改正に賛成する上地雄輔さんの意見に立川志らくさん、国山ハセンアナ、西村博之さんが、「理解されていますか?」「わかってない感じがする」「法案は読みました?」などと小バカにするようなムードで畳みかけて説得するシーンがありました。

こちらも“結論ありき”のやり取りがあったことを知った人々から、「番組の方向に合わない人は排除するのか」「明らかな同調圧力」などの疑問の声が挙がっているのです。また、それを複数のメディアが報じましたが、ここまで番組はこれといった釈明をしていません。

なぜどちらの番組も“結論ありき”の放送をしてしまったのでしょうか。近年、「テレビは偏向報道ばかり」と言われがちな中、情報番組、ひいてはテレビ自体の信頼性を失いかねない“結論ありき”の制作手法を採ってしまう背景と改善すべきポイントを掘り下げていきます。

「これで行きたい」という流れがある

澁谷さんがFacebookに「PCR検査の検査数をどんどん増やすべきだというコメントが欲しかったようで繰り返しコメントを求められた」と書いていたように、「グッド!モーニング」に限らず情報番組の制作現場に、誘導的なスタッフがいるのは間違いありません。

私自身これまで各局の情報番組からコメントを依頼される経験が何度もありましたが、「“結論ありき”のコメントだけがほしいのだな」と感じることがよくあります。さらに言えば、いきなり電話をかけてきて「できればこういうコメントがほしいのですが大丈夫でしょうか?」と尋ねる人も少なくありません。

そういうときは必ず「生放送で時間がないからほしいコメントは決まっていますよね」「だからもう流れが決まっているんですか?」などと理解を示しつつ探りを入れるようにしていますが、すると大半のディレクターたちは「そうなんですよ」「すいません」などと正直に話してくれます。彼らの上にはプロデューサーやチーフディレクターなどがいて、その指示に沿って動いていることも、その言動に影響を与えているのでしょう。

下記、実体験と取材をもとに、彼らの心境を挙げていくと、

「会議の決定や仮台本に『極力これでいきたい』という流れがある」→「だから、そういうコメントをもらいたいし、もらえる人を探している」

「生放送だから時間内に収めなければいけない」→「だから、必要なコメントだけをコンパクトにもらいたいし、それ以外は使わない」

「取材したからには多少なりとも使わなければいけない」→「だから、最初にほしいコメントがもらえるかを尋ねて無駄をなくしたい(使えないコメントには報酬を払いにくい)」

「他の専門家に当たっている時間と労力がない」→「だから、こちらの意図を汲んでくれる物わかりのいい人がいると助かる」

制作側の事情優先で甘えも感じてしまう

“結論ありき”になりがちな理由には、放送内容だけでなく、取材時間の短さと人員の少なさ、各コーナーの尺(放送時間)、縦の人間関係などが挙げられますが、いずれも制作側の事情。残念ながら「これくらいは協力してもらえますよね」という甘えを感じてしまうことがありますし、専門家たちの間では、「『協力してもらっている』のではなく、いまだに『番組に出たらメリットもあるだろう』という上から目線の人がいる」という話も出ます。

そうした意識は制作サイドだけでなく出演者たちにも共有されているため、番組の放送中も空気を読んで“結論ありき”のコメントをしがちになり、良く言えば協調性がある、悪く言えばイエスマンぞろい。生放送だからこそ、時間通りの進行に計算が立つコメンテーターや専門家が重宝されますし、情報番組の出演者が似た顔ぶれになりがちなのはこんな背景があるのです。

逆に専門家の側から見ると、「情報番組に出演できるかどうか」のポイントは、専門性の高さに加えて、そんな制作サイドの意向に沿ったコメントができるかどうか。私は「情報番組に関わってひどい目に遭った」という専門家を10人以上知っていますが、彼らは主に「あまり出たことがない」という不慣れな人か、「ここは譲れない」という主張の強い人のどちらかです。

そもそも情報番組に限らずテレビ番組のコメント収録では、雑誌やネットメディアのように発言を確認することはほぼ不可能。さらに、数十分間に渡ってコメントしたことが数十秒、短ければ10秒程度に縮められて放送され、しかも、どの部分が使われるかはわからないのです。

なかには誘導的な質問もあり、その回答が使われる可能性は高く、似た質問が繰り返されると「正解をください」と促されているような感覚が否めません。それらをよしとしない専門家は「ひどい目に遭わされた」と感じ、さほど主張がなく番組出演に慣れている専門家は「甘んじて受け入れている」という傾向があるのです。

ゆえに、自分の言いたいことが必ず放送されるわけではなく、その点で澁谷さんはFacebookに「医療者のプロフェッショナルとしての気概だけで現場を回すのには限界があると思い、そういった部分に行政などからサポートを入れて欲しいと強くコメントさせていただきましたが、全てカットになってしまい本当に悲しい限りです」と書いていたようにピュア過ぎたのかもしれません。

プロセスの検証と再発防止策が必要

そして、もう1つ忘れてはいけないのは、批判を受けたときの対応が不十分だったこと。

「グッド!モーニング」は、澁谷さんの書き込みから5日後の放送でようやく対応しましたが、「単に取材時のコメントを放送しただけ」に留まりました。これでは澁谷さんの批判を封じるために行ったものにすぎず、「目先のクレーム対応」と言われても仕方がありません。

謝罪しなければいけないことが起きてしまったら、「なぜこの問題が起きたか」というプロセスを検証して再発防止に努めるのが、組織としては当然の対応。それをしなければ、原因や改善方法がわからず、近い将来同じことが起きる可能性が高く、視聴者にも「形だけ謝っている」と思われても仕方がありません。

さらにダメージが大きいのは、「批判された人にだけ対応することが番組や局のやり方」というリカバリー方法が世間に知れ渡ってしまったこと。クレームは対応の誠実さによって、むしろ信頼を寄せられるか、不信感を募らせるか紙一重だけに、今回の件で番組や局のイメージダウンは避けられないでしょう。

一方、「グッとラック!」はこれといった釈明がなく、スルーの状態。ネット上の批判を気にせずに放送していますが、これでは「反省すべきことはない」と言っているようなもの。情報番組としての姿勢を問われるとともに、上地雄輔さんや上地さんのファンに対して不誠実。さらに言えば、番組の情報を信じて毎日見ている視聴者に疑念を抱かせたままでいることは得策とは思えません。

今回の対応は両番組のみならず、情報番組やテレビそのものへのイメージダウンにつながりかねないものでした。やはり人々の生活に関わる情報を届ける番組である以上、問題が発生したときは番組の責任者が速やかに対応するのが望ましいでしょう。

制作側のモラルとガバナンスの低下

2つの騒動では、ネット上に「偏向報道」というフレーズが飛び交っていました。偏向報道とは、メディアが恣意的に情報を編集し、それに沿わないものを排除して報じること。

ただ、最近の問題を見続けていると、「利益や保身のために自分たちの主張を通す。特定集団を守り、そこに対抗する人々を攻める」という闇の部分以上に、「制作サイドのモラルとガバナンスの低下」という寂しい現状が浮かび上がってきます。

特に現在は、新型コロナウイルスの徹底した感染対策や、難しい話題を連日扱い続ける重苦しさで、制作現場はかつてないほど疲弊。本来、情報番組がするべきプロセスを踏まず、「これまで以上に“結論ありき”で動きたくなってしまう。こんなに大変だから、これくらいは許してほしい」という心理状態が推察されるのです。

さらに、偏向報道と見なされやすい理由として見逃せないのは、「上司や取引先の顔色をうかがい、評価を気にする」こと。どの業界や企業でも、全体の流れや上司の意向に沿うものをスピーディーに用意できる社員は評価が高く、かわいがられますが、情報番組の制作現場でもまったく同じことが当てはまるのです。

実際、「上司の意向に沿う形で制作を進めて査定を上げよう」とするディレクターや、「取引先である番組の意向に沿ったコメントをすることで良好な関係を築こう」とする出演者の存在が、今回のような問題につながってしまうところはあるでしょう。当然ながらそうなってしまうと、公正中立な姿勢で報じることはできなくなってしまいます。

信頼を得るために大切な4つの指針

今後、両番組に限らずテレビの情報番組が信頼を得ていくために大切なのは、「事実ベースの情報を軸に番組を進めていくこと」「1つに偏らず異なる見解を見せること」「不安をあおるような構成・演出を抑えること」「批判を効果的なショーアップと考えないこと」の4点。ただ、これらはいずれも視聴率を獲得しづらいことだけに、「制作サイドが実践できるか」と言えば疑問が残ります。

しかし、情報番組の役割は、公正中立な立場から視聴者にさまざまな情報を提供して、思考の機会を与え、判断・行動するうえでの参考材料にしてもらうこと。その役割に立ち返るためには、しばしば視聴者から指摘されるような「事実を追求するというより、報じたいことを事実にするための材料を集めている」という制作姿勢のゆがみを正すべきでしょう。

ここではテレビの情報番組について書いてきましたが、新聞、雑誌、ウェブなどにも該当する「メディア全体の問題」とも言えます。たとえば、私のもとにも雑誌やウェブメディアから「こういう企画で、こういう流れでやりたいのですが、こういうコメントができますか?」という形の依頼が多く、そのようなオファーをしてしまう理由は、テレビの情報番組とほぼ同じ。そこに公正中立さはなく、編集長や編集デスクの意図ですべてが決まってしまい、専門家の肩書きと名前を借りているだけにすぎません。

このような制作姿勢のメディアは、多くの情報にふれ、賢くなった現代の人々には通用しなくなっていくでしょう。だからこそメディアとしての原点に立ち戻った公正中立な報道が求められているのです。