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町内会と自治体の重要性

日本は今、独特な苦境に立たされている。世界中の政府がこの新型コロナウイルスの感染拡大に対応し人の接触を極めて厳しく削減する方策を採っている中、日本の中央政府や地方自治体はそのような方策を遂行したり強制したりする権限を持たない。彼らにできるのは国民に人と距離をとるよう要請することだけである。

このやり方は目下のところ、確かにある程度まで効果を出している。最新の数字を見ると感染拡大の速度は少し下がっているし、恐れられたオーバーシュート(感染爆発)は防げたように見える。しかし、安倍晋三首相は人との接触を80%減らすことを目標としながら、アップルのデータによると、東京の公共交通機関の乗客はその約半分までしか減少していない。しかも緊急事態の制限がだんだん穏和してから居酒屋や遊園地やパチンコ店が再開すると、再び感染拡大のおそれが広がりかねない。

一方、日本の歴史を見ていると解決の糸口がありそうでもある。カギを握るのは町内会と自治会だ。

日本に住んだことのある人なら皆、この組織に接したことがあるだろう。込み入ったゴミの分別方法を監督したり、地元のお祭りを取り仕切ったりするのはこの組織である。政府と社会の間の不思議な隙間を埋めていると言える。参加するのは自発的だが、役所によって提供されるサービスを多く代行し、役人と協力して住民個々の行動を方向づける手助けをする場合もある。

災害時において重要な役割を果たしてきた

町内会は、昔から災害時の対応において、とくに重要な役割を果たしてきた。最も古い町内会は江戸時代にさかのぼる。定期的に発生する、町々を焼き尽くす火災から町を守るために住民が共同組織を作ったのである。近代では1923年の関東大震災の直後に形成され、戦間期には、火災、犯罪、病気に対応する地域の主たる組織的枠組みとなった。

町内会の役目は第2次大戦中に拡大した。町内会管理の下で隣組が成立されて、国民は全員加入が義務付けられたのだ。戦争の激化に伴い、隣組は愛国心をかき立て、戦時債券を売り、防空壕を掘り、配給切符を配るといった、銃後の重要な役割を担うようになった。

戦後、アメリカの占領政府は町内会を全体主義の道具とのみ見なし、廃止しようとしたが、多くは形を変えたり占領終了後に再編されたりして存続した。実質、1958年には町内会は98%の地域に存在していた。戦時中に近所の人たちに戦時債券を売りつけていた同じ主婦たちが、数年後に今度は赤十字社の寄付を募り、国家復興債券を売るのに奔走していた。

現在、町内会への参加は純自発的であるが、国との連携はある程度続いている。全国では約30万の町内会、自治会が活動を続けているとみられ、同じ目的達成のため役所と緊密に連携していることが多い。

町内会は社会学でいうロールシャッハテストのようなものだ。ある人たちにとっては人が孤立しがちな現代において地域の結びつきを保つ、日本社会をまとめる糊(のり)のようなものだ。また、ある人たちにとっては、他人のことに過度に首を突っ込むうるさいおせっかい集団であるし、多くの自由主義を重視する人は町内会を社会的保守な団体だと見るし、極めた場合に左翼運動家や在日朝鮮人が町内会の活動に差別される経験を持っている。そして現実にはその両者である。

町内会が本領を発揮するのは災害時、つまり台風や地震の際の食料の調達、被災者の避難所手配などにおいてである。現在、新型コロナウイルスが日々感染拡大していく中で、町内会はその感染防止に非常に大きな役割を果たせるかもしれない。

町内会が機能を発揮するには若い世代が必要

近所を巡回し、地元住民に、公共の場での人との距離を保つことやマスクをすることを呼びかけたり、具合の悪い人に自主隔離を勧めたり、酒飲みがバー、居酒屋、公園などでたむろするのをやめるよう注意することもできるだろう。

ただそのためには、町内会は新たに若い会員を集める必要がある。若者の町内会への参加率は近年著しく低下していて、今では高齢者がメインだ。高齢者はウイルスに最も脆弱な年代である一方で、若者は比較的免疫性が強い身体を持っている。若いメンバーはテクノロジーを導入し、メッセージングアプリやビデオ会議ツールを介して通常の対面式の会議をオンラインにすることができる。

私の提案は不吉に聞こえるかもしれない。市民社会において地域監視ネットワークを作ると言ったら多くの人は日本の軍国主義の暗い谷間を思い起こすだろう。実は私も3カ月前にはこのような言葉を書き表すなど想像もしていなかった。しかしコロナタイムで事情が意外と素早く変わるし、このウイルスは、私たちに以前は考えもしなかった選択を強いるようである。

ウイルスの感染拡大を効果的に鎮圧するには、何カ月にもわたり何らかの形で人との接触を避けるよう何百万人をも説得する必要があり、1人ひとりの自制だけでこのような長い期間努力を維持するのはかなり無理があろう。

また、個人の行動を形作るために民間で監視しようとすれば確実に怒りを買うだろうが、それでも戦時中の隣組の力や他国で実施されている厳しい封鎖と比べると穏やかな対応だと言える。

町内会の訓告に法的拘束力はないが…‥

町内会によって出された訓告に法的拘束力はなく、できるのはパブリックマナーの規範を確立し、不用意に他人の健康を危険にさらすことを選択した人々を恥じさせることくらいだ。

人と人との社会的距離を保つソーシャルディスタンシングの必要性がある程度緩和された時、町内会がさらに力を発揮する可能性もある。緊急事態宣言が解除された後、コロナを抑え込む努力は、全面的な準ロックダウンから、詳細な監視と局所的クラスターの封じ込めを行う段階に移行する。

町内会はそのような対策を実施するための理想的な組織になりうる。地域内のアナログ監視は、政府が考案した中央集中型デジタル機器よりも抑圧的でなく、効果的でもあることが明らかになるかもしれない。

町内会にいくつかの欠点があっても、地域の連帯を築く役割を果たすこともできる。これは今後数カ月の間に切実に必要とされる力だ。この組織は人々に物理的な距離を保つようにと言いながら新しいつながりの構築を助けることもできる。これまでの災害時と同じように、伝染病によって最も被害を受けた人々に食料、薬、そして慰めを提供することができるからだ。地域コミュニティは現在の危機によって、以前よりも強くなって続いていくことになるかもしれない。

逆説的だが、ソーシャルディスタンシングを維持するための最良の方法は、人間が結束することなのだ。