「ウィズ」・「アフター」コロナ時代をどう生きるか

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、多くの人が「早く元の生活に戻りたい」と願っているのではないかと思います。ですが、日々明らかになっている多くの情報をもとに考えると、私たちは「これまでとは違う世界を生きていくのだ」という覚悟を持つ必要があるかもしれません。

私自身、投資家としてはまず、新型コロナウイルスのワクチンや治療薬はすぐに出てこないという可能性を視野に入れつつ投資戦略を立てています。

これを前提とすれば、私たちは新型コロナウイルス感染症を予防したり治療したりする術がないまま暮らしていくことになります。つまり、緊急事態宣言に基づく実質的ロックダウンを実施し、拡大が落ち着いたらいったんロックダウンを解除し、また感染が拡大し始めたらロックダウンする……というように、「閉鎖、開放、閉鎖、開放」を繰り返していくしかない、ということです。私は、このような状況がかなり楽観的に見ても半年は続き、1年あるいはそれ以上にわたることもあるだろうと考えています。

政府の専門家会議は人との接触を「8割減らす」ように訴えている photo/gettyimages

これは、私たちの社会に非常に大きなインパクトをもたらします。

古来、人類は住居の外に出て、集団で狩りをしたり採集をしたりして生きてきました。文明も、人々が集まって活動することなしには発達してこなかったでしょう。現在、世界の人々がstay at homeという制約のもとに置かれているのは、世界の歴史の中でも類を見ない異常な状態だということです。私たちが、歴史の大きなうねりの真っ只中にいることは疑いようがありません。

このような状況の中、私たちは、これまで見て見ぬ振りをしてきたことを正面から見つめる必要性に迫られています。

「ウィズ・コロナ」の時代

時代を「ビフォー・コロナ」「ウィズ・コロナ」「アフター・コロナ」に分けると、「ビフォー・コロナ」に完全に戻ることは考えづらく、「アフター・コロナ」も見据えながら「ウィズ・コロナ」をどう生き抜くかを考えるべきでしょう。

家族とどう生きるか、仕事をどうとらえるか、そして日々の生活そのものについて、自分にとっての意味を深く考えることが求められているのです。

たとえば、多くの人が在宅勤務になって外出も自粛せざるを得ない中、「これまでは仕事一筋だったけれど、家族が一緒にいられることの価値を感じている」という人がいる一方で、家庭内で大きな問題が生じるケースもあります。

私が支援しているNPO法人D×Pでは、長年にわたり生きづらさを抱える高校生のサポートに取り組んでいるのですが、3月に一斉休校が実施されて以降、DVに関する相談が急増しているそうです。夫婦の関係についても、これまで「家庭内別居状態」でなんとかやり過ごしていた人たちが1日中顔を合わせて暮らすことになれば、強いストレスがかかるのは容易に想像できることです。

「コロナ鬱」という言葉も出るほど、長引くコロナ禍が人々の心身に影響を与え始めている photo/gettyimages

さらに、離れて住む家族や親族との間にもさまざまな問題が生じてくるでしょう。環境の急変で心身に不調をきたす人が増える中、「助けてほしい」「介護してほしい」と頼まれたり、困窮した親族から「お金を貸してほしい」と言われたりするかもしれません。

このように「ウィズ・コロナ」の時代には、身近な人との関係にどう向き合うのか、今の状態のままでいいのかといったことを真剣に考えざるを得なくなります。

低空飛行で社会を回していくしかない

しかしこれは必ずしもネガティブな話ではないと私は思っています。

もし「コロナ離婚」をすることになったとしても、ずっと見て見ぬ振りをしていた問題を解決し、新たなスタートを切るのは悪いことではないからです。もちろん、真剣に向き合うことでパートナーや親族との関係性がこれまで以上に良くなったり、お互いの価値に改めて気づいたりすることもあるでしょう。

ウィズ・コロナ時代が長く続く可能性を考えれば、仕事への影響も直視する必要があります。

これまでの社会は、人と人とが接触することで多くの物事が進んできました。しかし接触を避けなければならなくなったいま、レストランで食事をすること、スポーツをすることや観戦すること、演奏会や観劇に行くことなどはできませんし、スポーツジムやマッサージなどに行くこともできません。いわゆる「コト消費」は壊滅的な状況にあります。

東京オリンピックが開催延期に追い込まれるなど、イベントは立て続けに中止・延期となっている photo/gettyimages

これらに関わる事業者の方々へのサポートは当然、必要だと思います。しかし国が補償するとしても、その負担は富裕層が負うなり将来世代が負うなりするわけですから、いずれ社会全体で返していかなければなりません。

それに社会全体でサポートしたとしても、それだけで「コト消費」がいままでと変わらない規模を維持できないことは明らかです。新型コロナウイルスの感染が完全に収束するまでは、少なくとも、300人のキャパシティがあるホールで客席を100に絞ったり、40人入れるレストランでも15席程度にしたりといった対応を続ける必要があるからです。

結局のところ、ウィズ・コロナ時代は低空飛行で社会を回していくしかないのです。その中で事業者の方々はあらゆる工夫をし、いかに生き残っていくかを考えなくてはなりません。

私たちはどこに住むべきか

ここで問われるのも、非常に本質的な問題です。

ウィズ・コロナ時代にいまの仕事を長く続けていくことが可能なのか、当面は我慢するとしてどの程度まで我慢し続けられるのか、そもそも自分の仕事は十分な利益が得られなくても続けていきたいことなのか——こういった問題に、私たちは真剣に向き合うことを求められています。

もう一つ、ウィズ・コロナ時代が長く続いていくことになったとき、私たちはどこに住むべきかが議論されるようになるでしょう。

これまで多くの人にとって、生活は仕事を中心に回っており、勤務先で働く時間が「主」、家庭で過ごす時間は「従」でした。しかしstay at homeと言われるようになり、この主従関係は逆転しています。都心部では、多くの人が苛烈な通勤ラッシュから開放される一方、「家族そろって1日中過ごすには広さが足りない」「いまの自宅では集中して仕事できる環境をつくれない」といった問題が生じています。

Zoomなどを使用したオンライン会議が急拡大する一方、「家で働く」ことの新たな問題も生まれてきている photo/gettyimages

このような状況が続けば、「いまの家に住み続けなくてもいいのでは?」と考える人は増えるでしょう。主に在宅で仕事をするなら、日々の通勤の便を考える必要はないからです。

家族がずっと一緒に過ごすのに十分な広さがあり、仕事をするスペースも用意できる家に住もうと考えれば、地方が選択肢になります。そして、これはウィズ・コロナ時代だけの話ではありません。今回の経験によって在宅ワークに関する知見が蓄積されれば、アフター・コロナ時代にも働き方や住む場所を見直す動きは続くでしょう。

この動きは、地方創生が新しいフェーズを迎えることを意味します。

生き方も働き方も激変する

従来、人が住む場所は仕事によってある程度決められてしまっていたため、地方自治体は住民を増やすために工場の誘致などに力を入れてきました。しかし住む場所と仕事との関わりが薄れれば、空気や水がきれいで食べ物がおいしいことや自然が豊かであること、素敵なカフェがあることなど、住みやすさや暮らしやすさが重視されるようになるでしょう。

私たちの会社レオス・キャピタルワークスについていえば、アフター・コロナ時代を見据えて柔軟な働き方をデフォルトにしていきたいと考えています。たとえば、出社するのは月に数日ほどでよいことにして地方への移住を推奨する一方、毎日出社したい人はそうしてもよく、東京で暮らしたい人は東京に住むというように、その人が働きやすい状況で暮らしてもらえる環境にしたいのです。

もちろん、在宅だけで仕事がスムーズに進むなら、ほぼ出社なしにしてもいいでしょう。そうすれば「パートナーの海外赴任についていって、海外からレオスで働き続ける」とか「親元に帰って介護をしながらレオスで働き続ける」という選択肢も生まれます。

これはコロナの問題とは関係なく、こちらのコラムでも度々伝えてきましたし、考えていたことでした。本来、子どもが生まれたり親が年をとったりしてライフステージが変われば、人の生活は変化するものです。しかしこれまで仕事と家庭は切断されており、人の生活は職場に縛られて柔軟に変えられない状況でした。それは不自然な、おかしいことだと感じていたからです。

今後、「在宅で仕事をしても、みんなが協力しあえばきちんとパフォーマンスがあげられる」ということになれば、ライフステージに応じて生活を変えながら仕事を続けることが可能になるでしょう。ウィズ・コロナ時代、アフター・コロナ時代は、私たちの生き方や働き方を激変させるかもしれません。そして生き方や働き方の多様性が高まった結果、社会はしなやかに強くなるのではないか——私はそう考えています。